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いずれ、必ず。(おもしー378)

7月23日(日)に放映されたNHKの「どうする家康」のなかの、

家康のセリフに

「情けないが、・・・ 決断できぬ。

これまで精一杯準備してきたが、今の儂には到底成し遂げられん。

無謀なことをして皆を危険にさらすわけにもいかん。

全ては・・・全ては、我が未熟さ。 すまぬ。」


おもわず、記録してしまいましたので、ここに記しました。


人生そんなことばかり。

手が届きそうながらも、

果たして、手を出していいのか。

立ち向かっていいのか。

自らのほぼ全てを懸けることとなる。

関係者に、多大な迷惑をかけてしまう。

神君と、呼ばれることとなっている家康。

市井の民も、決断をするときはある。

その、ほとんどは、あの時こうしておけばよかった。

そんなことは、後のお祭り。

どうする? 僕。どうする?あなた様。

今がその時ですら気づかずに、時を虚しく過ごす。

気付くかどうかは、どれだけ準備がなされているかどうかで、決まる。

その深さ、皆の納得。

その上で、決断を見送る。


家臣たちは、口々に

「いずれ、必ず。」と意を同じくする。


史の実かどうかは関係ない。

そこを通して自分(僕)の生きざまを見る。


改めて、徳川家康の生涯を見ると、

元和2年(1616年)4月17日巳の刻(現在の午前10時ごろ)、

満73歳4か月でお亡くなりだそうで、胃癌説が主流だそうです。

その前年、

慶長20年(1615年)5月8日、秀頼と淀殿、側近らを自害せしめ、豊臣宗家の滅亡で、後顧の憂いを排した。


どの時点が、本人にとって、(必ずを)成し遂げたと感じられたかは知らず。


『東照宮御実記』では、2首が辞世の句。

「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」

「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」


辞世の句を詠む学はないなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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