天下(てんが)のうごきもわからず、ただ、ひたすらに、むかしの栄光にすがりつき、優柔不断のままに、
「戦うのでもなく、戦わぬのでもなく・・・・・」
というよりも、むしろ、
「戦をしたくもないくせに、むざむざと敗戦へ引きずり込まれてしまった・・・・・」
北条家の愚かさが、杉太兵衛には我慢できぬのであろう。
この一節は、
池波正太郎先生の小説「忍びの旗」にあるとおりです。
歴史の捉え方は、その時(時代)やその立場などにより、変わってくる。
どれが正しいと言っているのでもない。
秀吉と関東の北条家との対立と従属に至る過程のことを先生は書き、
それが歴史的に多くの賛意を受けているかどうかは、この際関係ない。
要は、そんなこともあるなあと、改めて思えばいい。
改めて思うとは、
今現在の僕の生きている環境のなかで、
経済にしても、
外交にしても、
「優柔不断のまま」「むざむざと敗戦へ引きずり込まれ」
そんな感じを受けることあまた。
アンテナが低く、心に響くことが少ない時は、
図書館(無料の貸本屋さん)に行って(ありがたく)気になった本を借り入れて読む。
そうだなと思った一節を、ダイアリーに書き残したり、ここに紹介したりする。
本日は新聞休刊日なのでそんな時はそうなってしまうこともあり。
優柔不断なのか、
そのように見えるけれども「いつか、必ず」と伏せて時を待っているのか。
その違いは、なにかに向かう姿勢で判別できると思っている。
まったく関係ないことのようでも、
自らの修行のように、しかし、荒立てるでもなく、静かに、行動を重ねる。
「こりゃ、とても、勝てる戦ではない」
「なれば、せめて、うまく負けることよ」
「負くるも死ぬるも、われらの腑に落ちればそれでよい」
そうとも書いておられます。
きちんと腑に落ちてお亡くなりになられる方は如何ほどか。
そのための、老後の病の存在意義が有るのかも。
今日は雨なので、自家用車でバイトに行き、日銭を稼ぎます。
明日は晴れ予報。明日も生きていることになるならば、バイクで行きます。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)