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人とAI(おもしー466)

「人間がゴリラになる未来」(2023.10.20日経の文化)では、

AIがシンギュラリティー(技術的特異点)に到達し、

人類と同等以上の知性を持つ『スーパーインテリジェンス』(超知能)が誕生したとき

安全に運用できれば、

古代ギリシャの貴族が奴隷を使役して文明を発展させたように、

人類はAIに労働を代替させて文化活動にいそしめるユートピアが実現するだろう

AIが賢くなりすぎることを抑止しようとすれば、

AIが人間を『排除すべき対象』と見なすかもしれない

人間はゴリラの地位に転落する

いちど実現してしまったものを後退させたり、なしにしたりはできない

人類の創造的な活動こそが最も危惧すべきものとなった

などとあります。


纏めておられますが、

さして、目新しい論説ではありません。

ロボットを語る時。

コンピューターを語ってきた時。

漫画や映画と呼ばれる表現方法の中でも、

従来から繰り返し語られて来たこと。

ジャジャンジャ ジャンジャジャン

みなさんの頭の中で映画「ターミネーター」の音楽が流れてきませんか。


自らの立場を危うくするものの出現に、人は、脅威を感じ、

差別や戦争と呼ばれる行動を行ってきたし、現に今も行っているし、今後も無くなることは無い。

人や人間である限り。

その仲間や相手の中にAIさんが加わる。

これは将来の現実だと思っている。

しかも、そんなに遠い未来ではなく、

記載の中にもあるとおり、今世紀中なのでしょう。

もう、2023年。21世紀も、中頃が見えてきそうですね。


僕のヒトとしての命の限りを考えたとき、

その最初あたりの利益を享受できる時間を過ごすことができるかもしれない。

つまり、

引用の最初のあたり、

「古代ギリシャの貴族が奴隷を使役して文明を発展させたように」

そんな状況に浸れることに近づけるのだろうか。


まるで、江戸時代の天皇や公家さんの扱いの様。

まつりごとに近づかせず、生活の安定を与えておいて、学問・諸芸に励むようにとしていた。


それらが、人として、幸福かどうかは、如何なものか。


そして、

たぶん、

真っ先に、

『排除すべき対象』に選ばれるのは、

いてもいなくても大勢に影響のない僕のようなのものではなく、

将棋の8冠を勝ち取られた方のように、人々をリードなされていく方々。

現在は、その意思がないとしても。


あ~あ。僕の思考が、

「ターミネーター」に乗っ取られているようだ。

既に、近未来のAIさんの戦略に嵌っているのかもしれません。

ただ、それに気付かず、

いや、気付いていない振りをしつつ、

日々の生活活動を優先させざるを得ない時間を送らせてもらっている?


個々のヒトはその命の限りがある。

しかし、AIさんに、命の限りはない。

(限りがあるとするならば、それは、人がいなくなること。)

それだけでも、とても太刀打ちはできなくなってくるのだろう。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


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