「現実には難しいのでは」
「難しいとしか言わない人は、大体において現状を変えたくない人なんですよ」
と
「少数派の痛み 見ぬふりしない」(2023.10.15朝日の日曜に想う)にありました。
そうなんですよねえ。
僕も、使ってしまうなあ。
「現実的には難しい」
とか
「状況が変わるのを待つしかない」
たぶん、その時捉えられている問題が他人ごとなのだから、
問題解決ではなく、我慢せざるを得ない状況だよ などと、
上から目線で、言いているような。
おお、
悍(おぞ)ましい姿を、幾度、晒しだしたことか。
一緒に解決しようという姿勢が感じられない。
たとえ、聞いてくださいと言われても、
勿論聞きますが、
どこまで、踏み込んで、問題解決に関わるのか。
その度合いによっては、聞きっぱなしで、多くを語らないことも有り。
僕の本気度が試されてしまう時。
あ~あ。
多くの場合、僕も、現状を変えたくない側の人間なのか。
年金受給資格が与えられる年齢まで生き延びてしまっている。
まあ、前向きにとらえて、生活給が一定分保証されてくると捉えてもいい。
それなら、やはり、
自らの働きだけではないのなら、自分の考えも変えてきてもいいのでは。
現実には難しい。
生活に汲々とする世代と、
少し軽減される世代の、現実の捉え方は、
同じでないといけないわけではない。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)
コメント