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僕も日常、過ちを行っているけれど(おもしー484)

「過ち認め 自ら振り返る社会に」(2023.10.26朝日の論壇時評)では、

「知って」いたのに、

誰もがそれを公然と語ることも、

批判することもなかった。

それが今になって急に、

「問題にして良し!」の号令がかかったように

声高に論じ始める。

そのこと自体がまさに問題の核心であると思えてならない。

自らを「訂正」できない組織や社会は持続できない。

日本の社会と組織が問い直されていることを強く感じる。

ありました。

ジャニーズ性加害問題について政治学者の方の時評ですけれど、


なにが、思えてならない ですか。

なにが、問い直されている ですか。


では、

日本社会で、どれほどの組織が 過ちを認め 自ら振り返ることができていると捉えておられるのか。

今に始まったことではないからこそ、この問題の経緯がそのようにある。

自らを正当化しようとする。

誰しもそうしたいのだけれど、やはり、それではうまくいかないんだなあ。


過ちを認めることは 孔子先生が言われているとおり、とても難しい。

論語の核心ともいえる。

いまだに読み継がれているということは、

人間という生き物が、その社会を生きるにあたって、いかに、過ちを認めて来なかったか。

過ちて改めず、これを過ちという。


政治学者であるならばこそ、

タイトルになされた「過ち認め 自ら振り返る社会に」とされたのはどうか。

それができてこなかったのは前提ではないのですか。

「従来から 過ちを認めてきていない社会だから

自ら振り返らせることはできてこなかった。

だから、その社会の外からの強い働きかけがないと、

過ちは認められない。」

そのようなタイトルにすべきだったと感じています。


こんなことは、

日本の歴史の中で、そこら中にある。

明治維新だって、戦後の混乱だって、

それらに比べれば小さいのかもしれませんがジャニーズだって。

誤りを小さいうちに認め、改善しようとすると、それを良しとしない勢力のいかに大きいことか。

あー。めんどくさ。

僕は、日常生活で、過ちが多い恥ずかしい生活を送っている。

自分でできる小さなことは、できるだけさっさと直す。

少し面倒なら、人にも相談するけれど、解決方向へ。


AIさんなら、こんなめんどくさいことからは、少し距離がある?

ヒトは、人となり、人間となって、しがらみにがんじがらめで、自由から遠ざかる。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


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