新聞紙は薄くてよく燃える。
だから、焚きつけに使っていた。
五右衛門風呂や薪ストーブで。
あくまで、順次、焚きものを大きくしていく端緒の位置付け。
マッチ一本でよく燃え上がってくれる。
その新聞紙だけで、あの固い米粒をご飯に炊き上げてくれるという。
「燃料は新聞紙 ご飯炊ける」(2023.10.28朝日)では、
新聞紙があれば米が炊ける炊飯器「魔法のかまどごはん」を発売した。
3合なら新聞紙1部(36ページ分)にライターやマッチで着火し、炊飯20分、村氏15分でできあがる。
とありました。
ちなみに、
本日の日経紙は40ページ、日本海紙は28ページ。
地元紙ではもう少し足りませんが、この田舎での全国紙の朝刊では十分。
炊き方はわかりませんが、
薄い新聞紙をぎゅうぎゅうにして、密度を上げ、いっぺんに燃えあげないようにするのではないかなと思う。
防災グッズとして、また、アウトドアに利用できるとされています。
新聞を宅配していただいているならば、大概の家庭では、新聞紙が廃品回収の主なものとなる。
つまり、余っている。
余分というか、廃棄物扱い。
リサイクルされているとはいえ、何か悲しいね。
簡単に読み捨てられているようで。
また、新聞宅配を止める家庭も多い。
新聞紙が毎日の日常生活の風景に当たり前にあることは、
ここ100年ぐらいのものなのかな。
いろいろなことの先を見込む中で、
新聞というシステムもだいぶ変わってきているし、
新聞が紙を介する時代も、次第に、薄くなりつつあるなあ。
販売も右肩下がりのようで、
内容も、なにか、次第に、薄くなりつつあるような。
薄っぺらい新聞が、硬い岩盤や、意固地な政界を、突き崩してくれていたのになあ。
薄くても、内容がぎゅうぎゅうになることを。
どうでもいいことが大きな紙面を占めている。
これでは、焚かれても、燃料にされても、あまり文句は言えないような。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)