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インセン(おもしー501)

そうですか。

そうですか。

そうですか。

お疲れ様でございました。

適切な言葉とも思えませんが、

そのように言わせていただく程度のことが、今の僕の限界付近。


「ひとり暮らしの親を看取るまで 家で死ぬということ」(石川結貴さん)を

読ませていただいたところです。


タイトルにした「インセン」。

初めて聞く略された単語です。

略さないのは、「インブセンジョウ」。

なんとなく感じる。

漢字にすると、「陰部洗浄」。

そうですそういうことです。

そりゃあ必要でしょう。

自分で当たり前にできる人なら、日常的に行っている。

生きているうちに自分ででき無くなれば、

日常の大小が排出される付近を誰かにしてもらうか、垂れ流しにするか。

誰だって、そういうことになります。


「異性の親の「インセン」」という項のところでは、

ヘルパーは持参した空のペットボトルに50度のお湯を入れた。

キャップにはキリで開けたような数個の穴があり、ボトルを逆さにすると簡易シャワーのように使える。 略 

お湯をかけながらボディーソープを泡立てる。介護用手袋をはめた両手で陰茎や陰嚢、肛門周辺などを丁寧に洗い、再びお湯をかけてタオルで拭く。 略 

父親という存在は全く別物だ。その陰部を洗うことなど想定になく、人生初のインセンに恐怖すら覚える。 略 

娘が父親の、息子が母親の、要は異性の親のインセンをする際、抵抗はないのだろうか。 略 

年寄りはお尻にシワも寄ってるし、ウンチがシワの隙間に入ってもう大変。チンチンだってびろーんと垂れ下がってるでしょ。だからチンチンをつまんで持ち上げて、タマタマの裏側もよく洗って、下手したら肛門に指まで入れて残っているウンチを掻き出すとかさ。

などなど。

(どうか、直接、全体をお読みくださりませ。)


そう書かれると、

自分で風呂場に入って、入浴する前に、似たようなことを行っている。

それは、自分でする「インセン」。

インブに限らず、全身を自分でセンジョウできる幸せが身に沁みるように思える。

ありがたいことだ。

しかし、有難し、有ることが難くなるときが訪れることは、

どうも、それも自然の成り行きであるように思える。

受け入れるしかないけれど、

どなたかにしていただくなら、

今の僕は、やはり、家族ではないほうがいい。

つまり、家で死ぬという選択は、しないと思っている。

でも、自分の体が動かせれる程度の時の判断と、

不自由になった時の判断とは、別のものになるとも思う。

元気な時の考えは、そうではない時や、そうではない人の考えと同じではない。


そして、書かれているように、

施設入所の困難さ。

介護費用等の圧縮のための国の政策の方針は、できるだけ在宅で。

介護度の認定などの理不尽さ。

なるべく出さないようにしていることがよくわかる。

それもこれも、高齢化社会の進捗に対応するためと言われればそれもある。


一番最初の項の題は、

「「ピンピンコロリ」と言う人ほど、「コロリ」のほうを考えない」です。

終末が来るのは、年齢の順ではないけれど、

そういう現実があることは、認識しておかないといけない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


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