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簡単に騙されるよ。(おもしー503)

なんで勉強しなければいけないの。

小学生低学年の子供はそう口にする。

低学年でなくても、子どもの多くはそう思っている。

大人と呼ばれる年齢であってもそう思う人は確実に居る。


例えば、

算数なんて大嫌い。

足し算、

引き算、

掛け算、

割り算(このあたりから苦手意識を持つ方もあるような。)


自分で確認できなければ人の言葉を鵜呑みにするしかない。

鵜呑みにする。

信頼しているから。

と 自らを納得させる。

だから人生のうちの何回かのうち何回かは騙される。

騙されるといっては語弊があるけれども、

利益をかすめ取られる。


一次方程式、複数次の方程式、因数分解。

人間の社会は、順次複雑化しているし、その進行を止めることはできない。

微分・積分・ベクトル・確率。

その昔、50年ほど前の高校での数学はこのあたりまでだったような。

今は、難しいことは、AIにお任せする時代になりつつある。


でも、

考え方の基本や、ある程度の仕組みをそれなりに踏まえたうえで、

足し算、引き算、掛け算、割り算を自分でやってみるだけでずいぶん違う。

そうか、それならこうやってみようかと判断する。

だから、自主性のために、算数は大事。


では、国語はどうなの?

日常使う語学

(日本国という国のなかでの語る主な言葉は、いわゆるところの日本語)を

理解できなければ、

それこそ、足し算、引き算、掛け算、割り算の段にならない。

状況の把握のためには、

人が何を表そうとしているのかを理解しなければならない。

自分も表明したいので使いたいし。


いわば、

国語や社会(理科もかな)を学ぶことは、耳や目のような情報収集能力を高めること。

算数や外国語などを学ぶことは、収集した情報を使って手段のように使える能力を高めること。


今の時期の書類として、

年末調整における扶養や保険の提出書類がある。

生命保険の営業の方に記入してもらっているのを見る機会がよくある。

これって、どうかなといつも思ってしまう。

そんな方がいる組織に結局は利用されているように見えて仕方ない。

こんなことは些細なことなのだろうけれど。

社会全体では、さまざまに、広く薄くも含めて利益を得ようとしている。


タイトルにした、「騙されるよ」は、

近所の学習塾の先生の受け売りです。

そうだよなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


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