はなかみ。
花紙。
華神。
そんな発想をしてくれた外国人さんが居られたと聞いたことがあります。
「はなのかみ」から、そんなありがたいような、優雅な雰囲気。
鼻をかむ。
これもまた、有難いと思います。
鼻をかめる動物でいられることに感謝したいくらい。
家の猫(勘太君)なんか、鼻をかむことはできない。
(もっとも、彼らは、そもそも、鼻を詰まらせた僕のような軟弱な心身をしていない。時々、鼻水を垂らしているけれどもね。)
柔らかい紙を、鼻の出口あたりに両手で添えて、
うっとおしく溜まっている白血球達の闘いの結果のゲル状の塊が出てくれた時の爽快感は、その時限りとはいえ、とてもうれしい。
それを期待して、
いきおい、つい、鼻腔に入れる呼気を強くしたくなる。
でも、それはだめなんだよなあ。
鼻腔内の圧力急上昇で、
鼻腔と耳の中耳を繋ぎ、
鼓膜という膜で大気を遮断している外耳側との空気の圧力の調整をしてくれている耳管に、
そのゲル状のものの一部が押し込まれてしまう。
それはなるべく避けたい。
耳管は中耳に直結していて、中耳炎という炎症を起こすまでに至らなくても、耳管が詰まるような感じで、気持ち悪い。
正しくないとされる鼻の噛み方は、
左右両方一緒にかむ。強く1回でかみきろうとする。
ということのようなので、
その反対で、
左右片方ずつ、一方の鼻の穴の出口付近に指(僕の場合、大抵、中指)を添えて、
片方の出口を塞ぎ、
(勢いよく排出させたいところだけれども、)
心持ち弱めに呼気を押し出す。
どうも、気付いたときから耳の左右差があり、
左側の耳管に、排出物が押し込まれようとする。そんな音や感覚がある。
時折、閉塞感を感じることやなんとなく痒みがあるようなのも左側。
右側では、あまり感じたことが無い。
利き耳のように思っているのも、右側。
50歳代前半だったか早くに亡くなった叔父が、(亡)父の耳のことを言っていたことがある。
父や叔父たちが子どもの頃、近くの川の堤防のようなところで父は深く潜り、耳を悪くした。自分はそこまで潜れなかったと。
そんなことも理由のひとつなのかもしれないけれど、
たしか、僕と同じ左側のほうが聞こえが悪かったような。
そんな半世紀以上前の記憶たち。
はなをかむ。
特に、左側には、あまり力を籠めないようにしようーと。
ただまあ、
はなをかむのも、久しぶりのような。
なにか何年かぶりのような気もする。
杉さんが風邪をひくなんて。
と アルバイト先の人たちが言ってくれた。
でも、僕は、風邪をひいたとは言っていない。
熱もあまり出ていない。(たぶん37度台まで)
ただ、咳が出て、そのうち鼻水も出てきた。
たぶん、体内に進入してきた病原体をそのあたりで防御しているからだろう。
奥まで進入していないので、体全体の防御(発熱)までには至っていない。
そんな感じ。
だから、いつもと同じ素足に雪駄履き。
(年寄りの冷や水そのものだなあ。)
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」