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ゴミ拾いは運拾い(おもしー518)

昨日の続きのような。


そうか。

そう思うことにすれば少し気持ちも軽くなる。


人生は糾(あざな)える縄の如し

と ことあるごとにつぶやいている。

いいこともあればそうでもないこともある。

運が良いような時もあれば、

運が悪いとしかいいようのないような時もある。

つまり、人々の平均で言えば均されるのですが、

個々を見れば、いい時の人、そうでもない時の人がある。

人間の社会で、人は、比較して生きていく動物であるからには、

全ての人がいいというわけにはならないし、

全ての人がわるいということにもならない。

だから、

自分がいいというような時に、

どこの誰かは知らなかったり、

近くで図らずも比較してしまう悪い時の方が居られるということもあるならば、

その誰かの犠牲の上にそのときの自分があるような、

そんな、

とても、居心地の悪い気持ちがずっとあった。


しかし、

運がいい時とは、

誰かがごみと思ったモノやことを 捨てて 落とし ているものを、

僕がそのモノやことを 救って 拾って供養する(適切に葬る) ことで、

そこに運の移動があり、

拾ったことで得てしまった運は、

誰かが自らいらないものとしていたものであるので、

それらを得て運がいいような時が来たとしても、

誰かを足蹴にした結果ではない。

そんなことも少しはあるのではないかと、

思いました。

いや、そう思うようにしようか。

だから、

そう思うことにすれば少し気持ちも軽くなる。


勿論、チャンスをつかむには、

近づいてくる事象を、

受け止める能力が必要で、

その能力の向上は、不断に努力なされている方とそうではない方との違いは歴然。


僕は、不断の努力とかからは、遠く離れた生活を送っている。

ただ、

運がいいような時に、

僕のように、変に、居心地が悪いなどと、心を閉ざすようなこともどうかなあ。

感謝の気持ちを持って、少し、解放してもいいようにおもいだします。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」


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