天井にもいろいろあるようで。
ガラスの天井という表現が、女性に対して使われている。
やはり今の人間社会も男性中心なのですね。
そう深く思います。
年齢という”鋼鉄の天井”を押し返せ!
とのくだりのなかに、
渦潮にまかれて海の底へ引きずり込まれていくような恐ろしさがある。
と示されていました。
「87歳ビジネスマン。人生を面白くする仕事の流儀 今が一番働き盛り」
(郡山史郎さんの御本です。)
を(近くの図書館からお借りして)読ませていただいたところです。
そうか、年齢は、鋼鉄の天井なのか。
そうかもしれないなあ。
それを押し返せとは、なんとも勇ましい。
実感するその多くは男性のような気がする。
それは、
配偶するケースの多くは女性のほうが、年若く、そして平均寿命も長い。
鋼鉄の天井が、いろんな立場や意味で近づき、実感を深めやすいのは、やはり、男性のように思うので。
そして、その天井を意識するのは、
本人もそうですが、周囲の方のほうがより強く意識するみたいに思います。
お元気ですね。
そのお言葉をいただいたとしても、
その前には、
言われないにしても、
(御年の割に)
が、必ずついている。
決して、お元気ですねと言ってくれた人と同じ実年齢、同レベル、同じ土俵で、生命個体としての比較や評価をしていない。
自分よりお年であり下位に見た(見ようとする)うえでの、
お誉め言葉。
そんなケースがとても多いと感じています。
実年齢は、プライバシーなんでしょうけれど、だいたい公になっている。
もし仮に、全く秘されることとなったら、どうなるだろう。
自分であろうが他人であろうが、それを人に示したりすれば、重罪に処される。
そんな社会的仕組みでなくても、
ヒトがその実年齢に興味を失っている社会。
そんなことは ?
つまり、
過ごしてきた年数よりも、これから健康で生きていけそうな年数が、
客観的根拠や、それを判断した実績の積み重ねで、
信用できることと社会に根付き、人々が思うこととなるならば、
(そんな時が来ることあるのかなあ)
誰しも、
過ごしてきた年数(年齢)よりも、
今後の健康年数のほうを、重要視するのかもしれない。
自分に対しても、他人に対しても。
社会も異性も、選ぶ選ばれることにあたって、相当変わってくるのでは。
けっこうおもしろい社会かもしれません。
例えば、首に健康余命年数の数字をぶら下げること とされたらどうします。
(それこそ、実年齢よりも、もっともっとプライバシー度は高いのですが、)
生命個体として、どうしようもない実年齢よりも、
何らかのことをするしないによって、
つまり、その個体の意思や行動により、
健康余命が増減し、それを社会が認知するようなことであるならば。
ともあれ、現在まで、そしてこれからも、
これからのことは誰にもわからないし、
わからないこととしてきた。
だから、人類共通の尺度である実年齢に頼ることとなる。
しかし、人生100歳時代などと、
個々の生命体によっては、その、わからなさが、その後半においてそうとう曖昧になってきた。
長寿であれば、個体間の差が大きく目立ってくるということ。
だから、それぞれの旅立ちの日が相当異なっている。
(もしかすると、高齢者の中では、あくまで感覚的に、すでにそんな受け止めもあったりして。
そしてまた、女性が実年齢を明らかにしようとしないことがあるのは、せっかく努力して実年齢を下回る成果が見える(ように思っている)のに、それを台無しにする目線になってしまうからで、実質的に余命の長さというか個体の能力を重視しているから。)
???
そうか、顔面などを曝して生きているヒト(女性も男性も)は、
感覚的な健康余命年数を公にしているということなのか。
勇ましく、押し返そうとは思いませんが、
人の目はどうしようもないものの、
自分としては、なるべく自由に好き勝手をすることで、
天井があるとしても、
日々、自然に押し上がっているみたいだからよくわかんないなあ。
そんなことを言ってみたい。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」