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古いと古くさい(おもしー528)

古いし古くさいし。

そんな僕ですが。


古いものが、古くさいわけではない。

昔ながらの桶や樽を、作ったり使ったりする人たちの言葉は不思議と未来を感じさせて、ニュースの現場にいるようだった。

「余さず生かす 木桶に見る知恵」(2023.12.12朝日の多事奏論)の冒頭にありました。


場面は全然異なるものの、

余さず生かす。

先日、懇親会で、出された料理の端にレモンの切りかけがあったので、

食べていると、

レモンが好きなのですかと隣の方から言われました。

いや、嫌いではないし、どうしてもそれでなければでもないけれど、

そのまま捨てられるのは忍びないので、と言って、

また、酸っぱい果汁をいただく。


樽桶は傷んだ板を交換すれば半永久的に使えて、

(以前のどこかで書いたけれど)

酒蔵からしょうゆやみその蔵に払い下げる桶のリユース

などとも記載されています。


たぶん、傷んだとされる板も、窯の燃料として灰になり、その灰も庭の野菜の肥料になりなどと、

余さず生かす、

そんな工夫があればあるほど、

古いものが、古くさいわけではない。

と言ってもらえるような気がする。


モノならば、わかりやすいものの、

目に見えない動きではどうなのだろう。

古いし古くさいし。

そんな僕の考えの及ばないところはとても多い。

多すぎる。

そしてその範囲やその影響を与える領域は、人間が操っていると錯覚している社会の中で大きく拡大している。

そして、本日昼過ぎ(12時27分)冬至に至ります。

この惑星は、平然と公転しているなあ。

ヒトから見れば、とてつもなく古いけれども、まったく、古くさくない。

まさに、出来事の最前線のようにも感じる。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)


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