本年最後の満月が朝(午前9時33分)のうちに訪れますけれど、
満月と言えば、
「望月の歌」が
どうしても連想されます。
「一冊でわかる平安時代」(大石学さん監修)のなかで、
威子(いし、藤原道長の三女)が、
後一条天皇の中宮となった祝いの席において道長は
「この世をば わが世とぞ思う 望月(もちづき)の
かけたることも なしと思えば」
という和歌を詠んだといいます。
一般的には
「この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように、全てが満足にそろっている」
近年は
「今夜は心から楽しい。空の月は欠けていても私の月である后となった娘たちを混じえた宴席でみなと交わす盃(杯/つき)は欠けていない(みながそろっている)のだから」
という別の解釈も提唱されています。
と紹介されていました。
満月の状態であることはほんのひと時ながら、
ヒトにはよくわからないので、その日は満月の日としている。
わからないながらも、新月に向かい、そしてまた巡りくる。
道長さんは、62歳でその生涯を閉じ、
晩年は、糖尿病からくるさまざまな合併症に悩まれていたとか。
同書の終わりのほうには、
清盛は熱病で倒れ、 64年の生涯を終えました。
ともありました。
栄枯盛衰、諸常無常を琵琶法師が語ってきたとされる平家物語ですが、
『平家物語』によれば、平家の絶頂期、清盛の義弟の時忠(ときただ)は
「この一門(平家)にあらざむ人は、みな人非人(にんぴにん)なるべし」
(平家でない者は人でない)
と語ったと言われますが、
「宮中では平家以外は出世できない」
といった趣旨だったようです。
とも紹介されています。
僕の あなたの 望月は いつ訪れてくれたのかなあ。
いやいや。
平穏に今日の月を眺められるのであれば、
今日も望月の日。
世界中の人に、等しく訪れてくれている満月。
曇りができるだけありませんように。
今までも、これからも。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」