うーん。
建前としての拒絶とその下で見えないと思っているところの握手?
そんなところか。
「移民政策の「二枚舌」は限界」(2024.1.17日経)では、
米国と西欧(特に英国)は亡命希望者を中心とした、少数の移民集団に関して、見せかけの受け入れ反対姿勢を示してきた。
これは大量の経済移民を静かに受け入れるための隠れ蓑になってきた。
排外主義的な有権者は原理的に求めているものを手に入れ、
人手不足に悩む企業は働き手を確保できた。
この組織的な偽善 この二枚舌 国民の我慢の限界がきている
豊かな国の政府は長年、移民管理政策について 人の注意をそらす技を使ってきた。
などとありました。
結局、
豊かな政府と表現されている体制を支えてくれていたのは、
自国民よりも安い単価で働いてくれる移民の皆さんのおかげということを現わしている。
表向きは、経済移民に反対し、国民の労働場所を奪わないような姿勢を見せていても。
そのように読ませていただきました。
ニッポンのお国は、実質経済難民鎖国が行き渡っている?
円安でさらにそれが進んでいく?
名指しされている米国と英国のようなことは、幸か不幸か現実に起こっていない。
幸か不幸かとしたのは、
二枚舌であれば、ニッポンはもっと豊かな国になっていた?
建前的な運用であったからこそ、ニッポンが日本であり続けられた?
どうがいいのか、本当のところは僕にはよくわからない。
どちらにも、いい面がありそうだし、
そうではない面も多くありそうだし。
ただ、確実にこの列島に居住する人の口の数は減少していくのでしょう。
それがいいのかどうかも、僕には判じられない。
地球にヒトの数は多いと思っているので。
そういえば、二枚舌?
得意な人達がこの国の政権中枢に居られるのではない?
だからこそに、そこに居座っている。
その人たちの立場を危うくできる選挙民ではないごまめの歯ぎしりです。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」