どこへ亡命すれば、どこまで逃げれば。
どこへ亡命しても、どこまで逃げても。
「亡命の露操縦士 射殺体で発見」(2024.2.22読売)では、
昨年8月にウクライナに亡命した元ロシア軍ヘリコプター操縦士 がスペイン南部ビジャホソヤで射殺体で見つかった
犯人は見つかっておらず、地元当局が捜査を始めた。
露軍参謀本部情報総局の職員が昨年10月、国営テレビで「見つけ出して処罰する」と発言した。
などとありました。
そんな国が隣国にあり侵略を受けている。
歴史的にも現在進行形でも、これに該当する国はどれほどあるのだろうか。
ウクライナが安易な停戦に臨めない気持ちが少し理解できるような。
スペインの南部と言われれば、温暖な気候を想像する。
参謀本部とか情報総局などとのひびきからはスパイ映画の一部を連想させる。
そして、現実に、射殺体が発見されている。
とりあえず第3国の住民たちは眉を顰める程度のことか。
当事国の住民たちでは、自分たちのこと。
7面の下のほうであった記事の扱いは、もっと強く表現した欲しかった。
僕だって、何処かへ居を移す必要が出てくるかもしれない。
その時は、何も持っていけないだろう。
それこそ、着のみ着のまま。
そして、移すことができても、体調不良となり終わりを告げられることとなる。
だから、せめて、温暖な南国へと思ってしまうのかなあ。
なにか、終活みたい。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
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