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重さがない言葉(おもしー615)

人間が自然の時間を止めて文明をつくった

道具は変化する時間を止めて、人間の行為を固定した

7万~10万年前に言葉が登場したことで時間の流れが一気に変わった。重さがない言葉はどこにでも持ち運べる。

言葉は「自ら体験する」時間を止めて、物や出来事を抽象化し再現してくれる。

言葉のない時代は日々変わりゆく自然に直感的に対処することにより人間は暮らしていた。

未来に現在の時間を奪われている

天気を見て日々の行動を決める余裕

自然の時間に寄り添える場所に身を置く機会を持つべきだ。

など など など

ほんの一部を切り取らせていただいても何のことかよくわからないことになりますが、

「自然の時間を無視した文明」(2024.3.14朝日の科学季評)で、

敬愛する山極寿一先生がわかりやすく文明構築がヒトに対しての害悪になってしまう面を諭していただいています。


少し前に、娘に、なんでバイクに乗っているのか と問われました。

上司に聞かれたからとのことでしたが、

いろいろ忘れられるからね と 返答しておきましたが、

直感的に対処する 刻々と変わりゆく自然に対して 天気を見て行動を決める

僕の趣味という位置付けで語ることもある

大型二輪 空手 山歩き などは、

そういった状況が共通しているような。

大型二輪の運転は楽しい。

なぜ楽しいのか。

ひとりで瞬間瞬間変化する路面状況などに対処する時間を、日常の晴れた日の通勤時間に取り込んで、それ以外のことは、あまり考えていない。

3年目となっている習い事の空手にしても、

どんな突きや蹴りが相手から来るのかわからないし、個々にする基本の練習にしても足腰のきつさに耐えながら、集中せざるを得なくて、それら以外のことは、あまり考えていない。

最近、バイトが忙しくて、明日は晴れそうだから登山日和だなどと、ひょいと行っていた大山登山に少し距離ができたものの、山行中は、天候を常に注視しつつも、目の前の登り坂にヒ―ヒ―言いつつも、えびの尻尾などの氷の造形の美しさに心を奪われ、それら以外のことは、あまり考えない。


文明の恩恵を享受させていただきながらも、

ひとりで自然に向きあう時をそれなりに確保しないと、

人間の都合に振り回されているヒトの心をリセットできない。

文明構築は、たかだか数万年のことで、

ヒトは まだ、そんな状況に慣れきることはできていない。

言葉には確かに重さがないけれど、

その言葉を発するためのおつむはとても重たい。

その重い頭部を維持発展させてきた人間は、先生が言われるように予定と呼ばれている未来に縛られている。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


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