漸増年金(ぜんぞうねんきん)
こんな言葉はないとは思うのだけれども、
受給選択において、そんな選択肢があってもいいのではないか。
いや、なければならないのではないか。
なにかと、年金のことを気にさせるような年齢(65歳なので)です。
特に、なんでそんなことを気にするのかと思うことのひとつに、
いつから受給すれば得になるのか。
とのこと。
ネットでも紙でも年金においては欠かせない話題のようですが、
そんなことに関心を深くするから、
長生きできないようになるし、年金受給の本質を見誤らせる、
と思っています。
受給開始からお亡くなりになるまでの間で、
年金受給総額が多いのはいつから受給すればお得になるのか、
といった不毛で終わってみなければわからない結論を自らで予測してみようとするお考え。
あーあ。
そんなことわかりませんよ。
そして、それがいったい何の役に立つのだろうか。
それは、
65歳のときに受給する額(例えば、200万円)と、
同額を受給するとした75歳、
そして85歳、
さらに95歳 それぞれとでは、
同じ200万円でも、意味合いがまったく違う。
と語ったところ、
アルバイト先の(4つ下の)同僚さんが、本当にそうですね と 言ってくれました。
(同居のお母様の受給額のことも含めて言っておられました。)
高齢者として生きているのであれば、
心身の衰えに抗いつつも、その進行を受容していかなければならないことは誰もが認める事実。
今、65歳として、20代から考えると65%ほどの体力知力の能力とするならば、
20年後の85歳では、自ら行える行為はより小さくなり、社会的な力に頼る部分を得ようとするならば、その具体的な道具として お金(おかね) と呼ばれるものの価値がその方にとっては大きくならざるを得ない。
だから、体力知力年齢に応じて お金と呼ばれるものの必要性は変わってくる。
ですので、
年齢がいけばいくほど、労働収入は減っていくことに反比例するように、
漸次、年金額が増加していきますよという年金受給の選択肢があれば、
利用なされる方もあるのではないかなあ。
いや、
そうあって欲しいと誰しも思っているのではないか。
でも、現実はそうなっていないので、補足するための自らの貯えを確保しようとなされている。
その方向性は人々にとってとても大きなものだと感じる。
自営の方々が基礎年金のみの受給では生活できないとなされ、
営業を継続されているということをよく聞きますし。
年金に個人の将来の希望を含ませてほしい。
幾分緩和するのではないですか。
漸増ならば。
そして、長生きの精神的な支えにもなってくれるのではないですか。
この国の制度って、年齢画一で面白くない。
コンピューター(なにかとても古いイメージ)、
いや、AIさんの時代なんでしょお。
いろんな選択肢があっていい。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」