句読点の歴史はそれほど古くない。
例えば「源氏物語」には句読点がない。
かつては係り結びの法則や「候」などの文字が文章の切れ目を示す句読点的な意味合いで使われた。
現在の形式に近い句読点が整備されたのは明治期以降。
句読点はまさに記号なので、意味が伝わるなら、なくても問題ない。
最近の傾向なのかハラスメントという言葉が出るのが少し怖い
スタンプでのやりとりが普通になり、句読点どころか文字を打つのがハラスメントといわれてしまいかねない。
などと、
「「。」(まる)は冷たい?句点に感情深読み」(2024.3.4朝日)にありました。
そうなんですか。
そう言われれば、
今年、放送されているNHK大河ドラマに映されてくる書には、句読点がないなあ。
明治期以降ということなら、そんなに古くない。
いったい、「、」や「。」はいつからあったのだろう。
古くからあったものを一般的に使うようになったことなのか、
整備されたという明治期に発明されたものなのか。
発明されたのならば、立派な業績だ。
英語のピリオドも昔はなかったのかもと連想してしまう。
ラインなどでは、
よくできた、だいたいのものはかわいい、そんなスタンプをいただく。
文字はないことも多くある。
そんな時は、当然に句読点はないし、
文字を入れる時でも、
空間で区切りを表したりすることもある。
そのとおり。
意味が伝わるなら、
スタンプの方が、より的確に近い表現となると判断するならば、
それだけでいい。
そして、
記載で懸念されている、文字打ちがハラスメントになる気配も漂う。
読まれている方に伺候すると、この「おもし」も、ハラスメントの塊になっているのかも。
(おそるおそる、絵文字スタンプをひとつ入れてみました。)
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」