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自分が怖くてできなかった質問(おもしー622)

聞かれる側の考え方や立場だってあるんだ。


どこであったとしても、

どんなときをすごしていたとしても、

じぶんでできなかったのなら、

それはできなかったこと。

棚ぼたで与えられたとしても、それは幸運のおすそ分けであり持続可能ではない。


被告の妻に問いかけた。

夫が刑務所を出るまで待てますか?

被告の手紙

<自分が怖くてできなかった質問を聞いていただき、妻は待つと言ってくれた。感謝します。>

必ず立ち直ると感じた、

などと、

(2024.3.17読売の編集手帳)にありました。


一般的には、美しい話となるのでしょうけれど、

どうにも引っかかる。

そもそも、被告の妻の方がその場に足を運んだことで、

そのようなお互いのお気持ちがあり、

それを、その場に居合わせられている方々も含めて、

分かる形にする。

それが、その 質問 と 言ってくれたこと なので、

それ自体は、言ってくれた人も含めて、心に落ち着かせることとなったということ。

ただ、

どのケースも、お互いにそのようなお気持ちがあったとは言い切れない。

複雑な思いのまま、その場に行くこととしたことだってある。


冒頭に書いた如く、

聞かれる側の考えや立場は様々。

なにか、時代劇のような、

そして、裁かれる側が男性でその配偶する者は妻(女性)であることが、

そして、その、世間が求める対応は、記載されているかの如くなのか。

どうにも、違和感がぬぐえない。


そして、

じぶんができなかったのならば、

それは、やはり、他人事になってしまうのではないか。

本当に、必ず・・・と思っていいのかどうか。


まあ、

必ず・・・・・と思うことは誰しも自由。

それは、今はできていないけれど、将来にありたきことを願い現実にしようと、

今思っていること。

でも、明日のことは解らないよ。


ただ、

人が人と助け合って生きること。

そのこと自体も、この人間社会において否定しないし、人である証明ともいえる。

でもね、

繰り返すけれど、

明日のことだって、この1時間後のことだって、わからないんだよ。

それと敢えて同列だと思うけれど、何年の実刑が言い渡されるのか知れないけれど。

人には人それぞれの生き様がある。

なにか、型にはめられてしまうようなことに、違和感が。


さあ、年度末の最終週が始まります。

いろいろなものが乱高下するような、

いづれも、型にはめようとはならない荒波が押し寄せることだってあるのかも。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


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