葬儀出席が続いていく。
近親の方などの生と死に近づく機会があると、やはり人生そのものの意味などを考えてしまう。
存在しない「正解」の幻影に魅入られ、立ち尽くすのは滑稽。
「こうする!」と一歩踏み出す、それ自体が救いになる局面もあるのではないでしょうか。
ゴールテープを切るように、ちょうどピッタリであの世へ旅立つ人はいません。
倒れるときは皆等しく道半ば。
人生など「中途半端」が相場です。
などと、
「人生、「中途半端」が相場」(2023.6.24日経のなやみのとびら)にありました。
先日、韓国で行われたアメリカ大リーグWBCの第2戦。
ドジャースの先発ピッチャーは山本由伸君。
日本で3年連続の沢村栄治賞・MVPを受賞し、
これ以上ないような成績を背景に、
大リーグで好待遇な処遇を受け、大きな期待を受けた先発だったけれど、1回5失点と残念な結果だった。
観戦させていただいたけれど、なにか伸びやかさがなかったなあ。
人生のどこにも正解は転がってはいない。
ただ、オンとオフを切り替えつつも、
今はオンの時と気を引き締めれば、
「こうする!」と踏み出し、
踏み出したからには、
(相手がいる場合、相手側だってその先の結果は知らないのだから、)
すべて忘れて、目の前のことに集中したい。
そこでは、自らのあらゆる(特に心の)束縛を素通りして、
そことは、その自らの力をふるえるよう用意できたところ、
そんなところに立ち位置を持てたことに感謝しつつも、
伸びやかに動く。
どれだけ伸びやかに動けたかで結果は判明していくことが多いのではと思う。
「正解」が幻影ならば、
踏み出し動こうとすること、
そして心の束縛から解放させて自由に伸びやかに、
そんなことが、幻影なのだろうけれども「正解」のようなことに近づく。
そして、心残りはどうしてもでてくる。
でも、それは小さなことだ。
そんなあたりで、あの世に旅立てる人は、幸せな方なのだろう。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」