気持ちがいいことを読ませていただいた。
「この年齢になると若い頃ほど『チャンス』というバスは来なくなる。
それでも、たまにくる便に飛び乗れるように準備すれば次の扉は開ける」
と
「学び直し 憧れの職場に道」(2024.4.8日経)にありました。
似たような言い回しや表現は、
それぞれのお立場で異なるものの、
その度に勇気をいただいています。
僕が、このお言葉の中で大事なことだと思うところは 飛び乗る の 飛び。
単に乗るのではなく、飛んで乗るということ。
飛べば 両足が地から離れる。
勇気がいる。
その勇気を醸して支えてくれるのが、日頃の準備なのだと思う。
でも、それなりに、やってきたじゃん。
そう思えれば、飛び乗ることもできるのかも。
最近思うところは、
経済も政治もスポーツ観戦も、結局は他の人(同種の生きもの)との比較。
何か楽しくない。普遍性がなく、その時その場限りのようで面白くない。
しかし、ヒトの(僕の)体はいつも正直。
素直でない所業はその体に現れてくる。
病の元も自らの生活や思い込みに起因することが多いと感じている。
こんなはずでは とか なんで自分が とか よりによってこんな時に など。
正直な体が物申すことにはどこかにその理由はある。
いいもわるいもそこそこも、そうかと思う。
満74歳でお亡くなりになられた家康さんも、薬の処方を晩年などにも行っていたとか。
そんなあたりで、何か面白そうなことはないだろうか。
飛ぶことができるかどうかはいざ知らず、面白そうなことをやってみようか。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
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