相談する行為そのものが頭の整理につながる。
そうか、そういうことか。
「一人で抱え込まないために」(2023.3.11日経の元気の処方箋)の最後のところに冒頭のとおりありました。
相談したって、何の解決にもならない。
でも、
聞いていただいて、気持ちが少し楽になった。
と、
言っていただけることもよくある。
それは、
相談を受ける側の問題ではなく、
やはり、
相談する側の問題で、
相談者が、少し立ち止まって、状況を説明することで、
自分が自分を見つめることで頭の整理ができるということなのか。
困ってしまうと、どうしても、そのことばかりが頭の中をぐるぐると。
どんどん、スパイラルのように落ち込んでいって、他のことが考えられなくなる。
そこから、一歩、横に出てみるようなことかな。
その他には、
動物のなかで服を着るのはヒトだけである。
外観だけでなく心の中に秘め事を持ちながら生活する動物ともいえる。
隠すという行為はヒトの社会生活では不可欠のもの
抱える→隠す→回避 共有
(共有で)問題が解決するとは限らないが、少しでも力添えがあると心理的な負担が減る。
などともありました。
また、
その場しのぎの嘘をついてしまい、打ち明けるタイミングを逃したまま罪悪感に苦しむ経験は誰にでもあるのではないだろうか。
学校や職場など組織には人が集まるからこそ一人ではできないことを成就できる。ただ、自分の担当というものがあるため、誰もが一人で抱え込むリスクに直面する。
ともありました。
組織から離れると、自由な感じが増すのは、
加わっている組織を使って自分の自己実現力を増幅できる代わりに、
その組織のルールに従わなければならない。
年齢がいって、自由感が増すこともよく分かります。
高齢になればなるほど、その度合いが増すのかもしれません。
さて、
僕は、なにか、誰かに、相談したいのかな?
さしあたって、思い浮かばない。
脳天気で能天気な日々が、嬉しいような。
本日の天気予報は、曇り、少雨。
県西部まで行くので、運転には気をつけます。
何も考えず、音楽も流さずに運転することも、
頭の整理が行えるように思うので、
普段あまり、聴きたい時以外は、運転中に音楽やラジオを聞きません。
しかしながら、そもそも、頭のなかで整理をするべき事項が、
断捨離されている?
そんなこともあるような。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」