「今こそ小日本主義 閉塞する政治 湛山なら?」(2023.8.26朝日の多事奏論)に、
玉音放送から10日後の45年8月25日、
まだ日本中が敗戦にうちひしがられていた時、
湛山は東洋経済新報の社説に
「更生日本の前途は洋々たるもの」
と書いた。
とありました。
政府の借金指数が世界172カ国中で最悪のレベルの日本で、
政権は財源の多くを事実上借金に頼りながら
理にかなわない政策を止められないむなしさ、
財政の規律も壊れつつあることへの閉塞感。
現代政治には湛山が苦闘した戦前と、どこか通底するものがある。
ともあります。
戦後のような円の実力に落ち込ませている。
台風一過のような秋晴れを、湛山は心で見たのではなかろうか。
だから、
「前途洋々」。
そこには、おさえつける圧力はなく、閉塞感もない。
何をしても、何を言っても、聞く耳を持とうとしなかった構造から、
その頃は、自由を感じる今日この頃。
だから、「前途洋々」。
今だって、そう言いたいし、そう言ってみたい。
しかし、そのためには、
敗戦で、国内の顔なし達の退治がなされたように、
必須として、縋り付き達の排除がどれだけできるか。
できないだろうなあ。
ただ、
外圧の象徴のような黒船来襲ではないけれど、
沸騰の現実が身近に感じられる地球なら、なにかを変えてくれるかも。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)
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