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そうなんです。

使っているうちにペン先が欠けてしまい、

(どうして傷んだのかよくわからないまま)

欠けたペン先では、ガリガリ。

とてもではないけれど、文字を書こうという気になれない。

気持ちよく美しく書けていたのになあ。


「むらのない線に職人技」(2024.4.24日本海の書いてめでるガラスペン)では、

ガラスペンのペン先には、緩やかなカーブの溝が何本も刻まれている。

魔法のように文字を書ける

職人が細心の注意を払うのが、このペン先。

一点ずつ丹精を込めるのは、硬質ガラス(耐熱ガラス)のペン。

7日間かけ10本仕上げるのがやっと

ペン先の修理を無料で請け負う

などとありました。


たぶん相当なお値段なのでしょうし、

そして、書き味も相当いいのでしょう。


僕が持っている

(欠けてからどこに行ったのかよくわからないけれど、廃棄はしていない。)

ガラスペンは、たしか、沖縄だったか、お土産屋さんで購入したもの。

高価なものではありません。


でも、

インク壷にペン先を浸して表面張力でペン先に。

何かとても気持ちの良い得した気分になります。


そうか、

インク壷かもしれないなあ。

インクが少なくなれば、インクの水深も浅くなり、

ペン先と壷の底とが、同じガラス同士でぶつかってしまったのかも。

壷の底のガラスより、ペン先の方が弱いことはどうしようもない。

ガラスペン用のやさしいインク壷というようなものがあるのかもしりませんが。


それに、

職人技の金属製のペン先から、

産業革命により工業製品のペン先が製造され、

安価で誰もが使用できるようになったように、

ガラスペンにしても、取り換えできるペン先があればいいなあ。

ガラスペンの持ち手などの装飾や色付けなどにはあまり興味がありません。

気持ちよく書ければいい。

欠けたら取り換えできる。

そんな、安価なガラスペンが欲しい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


体のあちこちが痛い。

子どもたちに交じって、日曜日も習い事をやってしまった。

腰回りや膝など、数日たてば回復する?と思っているけれど。

まるで、お年寄りになったみたい。

こんな時に、年金のことを考えることは当事者意識が高まりいいんじゃないか。

体に重いものを付けて妊婦さんの気持ちを実感するようなものか?


「年金制度改正の影響試算」(2024.4.17読売)のなかで、

年金制度改正に向けて検証する主な項目 として

厚生年金の加入要件緩和

基礎年金加入期間の延長

在職老齢年金制度の見直し

「年収の壁」を巡る制度改革

とありました。


いつまでこんなことを厚生労働省さんは議論なされているのか。

さっさと改正方向を示しなさいな。


僕が思うに、

1番目は、速やかに進捗させること。

2番目は、一律にお国が定めるのではなく、希望者から進めること。

3番目は、(現役世代からの仕送りであるという)年金の趣旨・実態に照らして、現行制度維持。ただし、年金受給繰り下げを選択した場合は、受給開始時の減額はしない。

4番目は、第3号被保険者の段階的廃止。


こんなこと誰しもわかり切っているのにどうしてできない?

ただ、3番目だけは政策に矛盾があるけれど、年金財政健全性確保の観点から自己矛盾は当面のこととして。


なんて、勝手に書いているけれど、

年金の「財政検証」って、信用できないなあ。


自分のことは自分で守らなくては誰にも助けてもらえないような。

お年寄りのように(?)あちこちが痛いときには、

それにあったことを考えればいいような。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「生産性停滞 脱却まだ遠く」(2024.4.19日経)のなかで、

最後のほうに、

日本経済が停滞した原因として3つ

第1に日本企業は女性の効率的な活用ができていない。労働人口の50%近くが重要な地位に就けないような経済は非効率

第2に明治や昭和期には盛んだった起業家精神を育む文化が圧迫されている。 中小企業は成長するか倒産し退場するもの

日本の中小企業は 潤沢な補助金を得ている

第3に長年にわたる大学の財源不足により、 高度な専門教育で大きく後れを取っている。

とあり、

明治期の工業化は、助成金による就業の奨励、工場での女性労働者の雇用、国営企業への補助金打ち切りを通じて推進された。

などともありました。


女性の就労は、日本の男どもに意識しないとするとに関わらず妨げられていて、

多くは低賃金を甘受させている。

まるで、白色人種(こんな表現は、今、あからさまにはしないのだろうけれど)と自らを自認する人たちの、他の肌の色に対する妨げと同じように。

その目的は、自らの高下駄の確保。


女性のライフサイクルも含めて、男性と平等な機会均等などがまったく充分ではないことが、停滞の第一だと思っている。

もっと、重要な立場にも就いていただきたい。

だって、世の中のお金の7割を消費するのは女性なんですから。

そう思うけれども、日本人の多数派は、現実化されたくないのだろうなあ。


中小企業は成長か倒産か。

わかりやすいなあ。

でも、現在の日本人の多くはそれも受け入れられないだろうなあ。


停滞とは何ぞや。

それでいいと思ってもいるのではなかろうか。

脱却?まだ遠く?

脱却の方向にベクトルが向いているのなら、まだ遠くともいえるけれど、

その方向を向いていないと感じています。

単なる彷徨で、あたりをうろついているような。

高度な専門知識はないもので。


やっぱり、まずは、女性を大事にすることだと思うけれどなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


そんなことにはならないだろうし、

なって欲しくない。

(なったとしても、

統一的に共に行動するとはとても思えない。

少なくとも半世紀は。)


「ウクライナ敗北なら欧州は」(2024.4.16日経)では、

ウクライナの領土割譲という形でロシアに勝利をもたらすのではないかという不安が最近では支配的

ウクライナを支援する民主主義諸国は、

ロシアを非難する国連決議を提案したり、

欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議で文言を巡り駆け引きしたりすることは得意でも、

それ以外は何もできない国々

ロシア軍が勝利すれば、プーチン氏は21世紀に領土を略奪すべく実戦で鍛えた戦闘スキルを持つ唯一の軍隊を指揮する最高司令官となる。同氏がウクライナを手中に収めれば、激しい戦闘を経験した軍隊を2つ抱えることになる。

などとありました。


人は、

明日の約束よりも、今日のパンを優先する。

言い換えれば、将来の自由な境遇よりも、現実の食料やエネルギー資源確保を優先する。

だから、資源保有は人間社会においてとても強い力を発揮できる。

これまでも、これからも。


それ以外は何もできない と 口ばっかりの能書き諸国のような言われ方をされているお国とはどこなのか。


鍛えられた軍隊?

そんな側面を強調したくない。

人は次々に死んでいる。

軍隊が戦場を経験するということは、そりゃあ、実践訓練に他ならないからそうでしょう。

しかし、人が互いを殺し合う戦争に関わる限り、その精神は崩壊の方向に進む。

その後の健全な(?)人間社会の発展・進展には、寄与しない。

この2年以上の戦闘においても、これから半世紀(以上)をかけてでもその病む期間が快方に向かってくれないかと祈る。


軍隊を2つ抱える?

僕の頭では、どう考えればいいのか混乱しています。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


漸増年金(ぜんぞうねんきん)

こんな言葉はないとは思うのだけれども、

受給選択において、そんな選択肢があってもいいのではないか。

いや、なければならないのではないか。


なにかと、年金のことを気にさせるような年齢(65歳なので)です。

特に、なんでそんなことを気にするのかと思うことのひとつに、

いつから受給すれば得になるのか。

とのこと。

ネットでも紙でも年金においては欠かせない話題のようですが、

そんなことに関心を深くするから、

長生きできないようになるし、年金受給の本質を見誤らせる、

と思っています。


受給開始からお亡くなりになるまでの間で、

年金受給総額が多いのはいつから受給すればお得になるのか、

といった不毛で終わってみなければわからない結論を自らで予測してみようとするお考え。

あーあ。

そんなことわかりませんよ。

そして、それがいったい何の役に立つのだろうか。


それは、

65歳のときに受給する額(例えば、200万円)と、

同額を受給するとした75歳、

そして85歳、

さらに95歳 それぞれとでは、

同じ200万円でも、意味合いがまったく違う。

と語ったところ、

アルバイト先の(4つ下の)同僚さんが、本当にそうですね と 言ってくれました。

(同居のお母様の受給額のことも含めて言っておられました。)

高齢者として生きているのであれば、

心身の衰えに抗いつつも、その進行を受容していかなければならないことは誰もが認める事実。

今、65歳として、20代から考えると65%ほどの体力知力の能力とするならば、

20年後の85歳では、自ら行える行為はより小さくなり、社会的な力に頼る部分を得ようとするならば、その具体的な道具として お金(おかね) と呼ばれるものの価値がその方にとっては大きくならざるを得ない。

だから、体力知力年齢に応じて お金と呼ばれるものの必要性は変わってくる。


ですので、

年齢がいけばいくほど、労働収入は減っていくことに反比例するように、

漸次、年金額が増加していきますよという年金受給の選択肢があれば、

利用なされる方もあるのではないかなあ。

いや、

そうあって欲しいと誰しも思っているのではないか。

でも、現実はそうなっていないので、補足するための自らの貯えを確保しようとなされている。

その方向性は人々にとってとても大きなものだと感じる。

自営の方々が基礎年金のみの受給では生活できないとなされ、

営業を継続されているということをよく聞きますし。

年金に個人の将来の希望を含ませてほしい。


幾分緩和するのではないですか。

漸増ならば。

そして、長生きの精神的な支えにもなってくれるのではないですか。

この国の制度って、年齢画一で面白くない。

コンピューター(なにかとても古いイメージ)、

いや、AIさんの時代なんでしょお。

いろんな選択肢があっていい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


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