65歳を目の前にして、
今さら、なにを、のように思われる方もありましょうが、
みずからに対しての年金受給が現実味を帯びる中で、
やっぱり、年金支給年齢は引き上げるべきではないかなあと思っています。
現実的でないと、なかなか考えないもので、今さらとは、そういう意味です。
「年金支給年齢の引き上げを」(2023.3.9日経の大機小機)では、
04年に改正された年金制度では、年金保険料に上限を定めた。受給者の寿命が延びることへの給付増加分は、毎年の給付額の削減で賄うという厳しい方式を選択した。
しかし年金額が持続的に減っては、生活できない高齢者が続出する。このため物価上昇にスライドする範囲でしか年金給付を削減しないこそくな仕組みを導入したが、デフレ時には機能しない。
過去の年金積立金がなぜか急速に積み上がり、100年間維持できるような、都合のよい運用利回りと賃金の見通しが描かれている。
無理な将来試算をするより、長生きする分だけ年金を受け取れる時期を先送りするのが合理的だ。
などとあります。
なんとも、
年金制度に対して、いかにその場しのぎなのか。
こそくな仕組み
都合のよい運用利回りと賃金の見通し
さらには、
積立金が自動的に膨らむような大本営発表を繰り返すべきではない。
とも、言われています。
制度改正の進め方についても、ほぼ信用していません。
ただ、
例えば、
成人式の式典に、あなたが祝辞を述べるとして、
何を語りますか。
希望の溢れる将来?
可能性を伸ばして欲しい?
それらは、目の前の個人個人に対して、もっともなこと。
でも、その前に、現在の現状にあることは直接間接を問わず、いいこともそうでないことも、大人世代のなしてきた結果の今がある。
その責任は、賛成してきたのか、反対してきていようが、若い世代には関係ない。
僕も含めた世代の人が、責任感を背負って生きていくべきだ。
その一つに、年金制度がある。
なにが、100年安心年金だ。
そんなことを、信用している若い世代の方がどれほどおられる?
こそくとか都合がいい などと言われない もっともな制度にして行く責任がある。
でも、
そんなことを言われる政治家さんはおられない。
せめて、僕は言いたい。
これからの世代に対して、申し訳ない気持ちでいっぱい。
だから、
僕に今できることとして、
動けるうちは勤労し、僅かですが年金原資の積み増しを行う。
いつぽっくり逝くかわかりませんが、
勤労所得で日々の生活を細々とつなぎながら、受給年齢の繰り下げをできるだけする。
バイクで転んで死んだら、そんなに多くは受給しないと思いますので。
少しでも、残るように。
それが、満65歳を前にしての、僕の気持ち。
そうであるから、制度としての、年金受給年齢の引き上げに賛成する。
信用できない年金の制度や見通しに対する、それが一つの責任の取り方だと思う。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。)」
少し関連:加給年金(おもしー233)