人生に意味などない
それどころか意味などあってはならない
なぜなら、もし人生に意味があって、誰もがそれを求め、実現しないといけないとすれば、苦痛になってしまうから
むしろ人生には意味などないからこそ、私たちは自由に生きられる
その証拠に、人生の意味を求める人は皆苦しんでいます。多くの人はそうやって苦しみながら生きているのでしょう
などと、
(2024.5.7読売の人生案内)にありました。
何歳まで生きるのかは不明。
確実に言えることは、今までは生きていたということ。
「人生120年「貢献」続ける」(2024.5.16読売)では、
2050年ごろには100歳まで働き、120歳まで余生を楽しめる世の中になっている可能性がある
と
東大教授さん(分子腫瘍学)のお言葉が紹介されています。
どうなるか、どこまで生きるかは、ひとまず横においといて。
自分でどうしようもないことも、更にその横(遠ざける側)においといて。
さて、
100歳まで働く?
アルバイトで、車両の運転が多い職種に就いているけれど、
そこでは、もう数年しか(65歳なので)業務としてはしないほうがいいだろうなあ。
それなりに楽しくさせてもらっているので、失うには惜しい環境ではあるけれど。
では、どんなことが、後期高齢やそれを大きく上回ることになったとしても、使ってもらえそうなのか。
なにか、医療や薬剤のような人体に関係することかなあ。
よく、ご高齢の現役ドクターのお話しが紙面に紹介されたりするけれど。
能力がないので、そんな職種は選択できないし。
それとも不動産関係?
どんなことが、雇用を受ける可能性があるのか、それとも自営の可能性があるのか。
ちょっとわからない。
今日受けたら次の次の級も受かると思います。
日曜日に、習い事の先輩(10歳)からの嬉しいお言葉。
そんなことを心の支えにして、
(子供は正直なので)
人生の意味を探すのではなく、行ったことに対して意味を見出していこうか。
どうしても、隣の芝生は青く見えてしまう。
そんな時は視野を狭く、自分の足元を踏みしめようか。
できそうなことを、積み重ねていくとどこかとても遠くまで到達してしまった。
そんなことになってしまうかも。
そんな時になにかの意味を、ふと、考えてみた そんな程度でいいんじゃないかなあ。
やっぱり 意味はない?、意味があってはならない?
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。