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久しぶりに、沢木耕太郎先生。


(2024.7.27朝日の連載小説)の最後のあたり、

「その疑い、喜んで引き受けましょう」

「 何物でもない講釈師馬場文耕が何を畏れましょう。畏れるものは天のみ。天の道に外れたものは畏れるに足りません」

ありましたが、詳しくはお読みくださりませ。 


先日アルバイト先の方が いいことがありません。変なことばっかり。

とされたので、じゃあ、そのあたり僕が貰いましょう と言ってしまいました。

二輪運転で僅かな(?)速度超過の疑いもある日常の中で、

参照:「気をつけて、走行してください」ですって(おもしー748)

その程度の疑いも、その方が受けられた御老人からのお小言・叱責でへこんでしまわれたことも、

喜んで引き受けましょう。

しれたことです。

もっと大事なことだらけのこの周りです。

 何物でもないアルバイトの高齢者が何を畏れましょう。畏れるのは自らに恥じる事。それぞれが自らに恥じるのであれば畏れるに足りません。

そうなんですが、

恥じてばっかりなのが玉に瑕。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


うーん。

お金は大事だけれども。

それにしても平均はそうなのですか。


「ウクライナ侵略 志願なら340万円」(2024.7.26読売)では、

ロシアの モスクワ市長は 志願兵への支援策として190万ルーブル(約340万円)の一時金を支払うと発表

露政府が支給する報酬などと合わせると、1年間で520万ルーブル(約930万円)を受け取ることができる。

ロイター通信によると、ロシアの平均年収の約5倍に相当する。

などとありました。


その額が平均年収の5倍ならば、

930万円 ÷ 5 ≒ 186万円

が、平均年収?


日本人が基礎年金をご夫婦で受給されるとして、

70万円 × 2人 =140万円

あとは仕送り20万円、貯蓄取り崩し26万円

合計186万円。

それで、ロシアの平均年収に相当する?

ロシア内の現役世代で平均年収に至らない方も多いのでしょうから、

生活する上で、相当物価が安いのかな。

それなら、うらやましい。


日本では、デフレ脱却でインフレターゲットを過ぎて物価高騰。

賃金との比較では、いつも時差があり、時差ならいつか追いつけれるけれど、

いつも追い付くことはできずにその差は広がるばかり、

そんな印象の中で、

年収200万円以下で平均的な生活ができるならば、

それはとてもすばらしい。

日本国では無理だ。

デフレーションに戻らないかなあと思ったりもします。


支出額を増やしても、当面を凌げば、世界情勢は変化してロシアに有利に傾いてくる。

米の大統領さんも、 そうなりそうだし。

などとの、読みをなされているように感じてしまいます。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


新幹線の走行車両を見ると、

編成されたその長さや速さ、そしてかっこよさに思わず見入ってしまう。

当然のように、山陰に新幹線はありません。

幹線もないので、それに新が付くこともない。

だから、都会に行って時折目にする新幹線は僕にとっては未だに新鮮さがある。


かつては、

国鉄の山陰本線があり、京都から門司までの鈍行ながらも直通列車が走っていた。

帰宅時には京都夜行と呼ばれていたダイヤもあった。

(この編成が、京都・門司間を往復していたのだろうか?)

高校への通学で、同級生が、通学鞄を車内に忘れて、

何日もかかって返却された鞄の中には、腐敗し異臭を放つ弁当箱が入っていたという。

本線と呼ばれていた頃は、幹線と呼ばれてもよかったのかもしれません。


「「500系」27年引退」(2024.7.25読売)では、

500系は、JR西が独自開発した唯一の新幹線車両。

現在は山陽新幹線の「こだま」で6編成(各8両)が運行している。

スピードとスマートさを兼ね備え、多くの乗客に愛された名車

1997年のデビューから30年で姿を消すことになる。

とありました。


新幹線車両の中でも、

カモノハシのように、トンネルドンの軽減は理解できるけれど、どうにもかっこいいとは感じられないものよりも、500系はとても印象深い。

そうですか、引退されますか。

かっこいいまま引退って、それもまた、かっこいいなあ。

動けるうちに終わりにするってことかなあ。

記憶に残り続けると思います。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


そんなこと、

運転免許取得以来(たぶん半世紀の間)初めて言われました。


一昨日の朝、隣の市の駅前に向けて、

信号のない2車線道路を気持ちよくバイクですいすいと。

んんん!!!

あーー。

右のバックミラーに赤色灯を光らせている車両。

1台か2台を挟んで、その距離およそ200メートルくらい?

いかん。

観念して、左のウインカーを点け、走行車線に移動してからは、ハザードを焚いて、おとなしく惰性で走行いたしました。

少し経って、

右の追い越し車線に現れたのは、トヨタの〇〇〇の白い覆面パトカー。

助手席乗車の制服着用のかわいい婦人警官さんが、

にっこり なのか 苦笑 なのか

ともかく、笑顔を向けてくれました。

スピーカーから発された音声が、

「気をつけて、走行してください。」

男性の声でした。

ナンバーは〇〇〇でした。


えええ、どうすればいいのか。

こちらは、取り締まりを受けると観念しているので、

どこに停車するのか指示待ちの状態(気持ち)のまま。

覆面パトロールカーさんは、そのままとおり過ぎて行ってしまいました。

ちょっとよくわからないまま、

ハザードを消して、目的地方向に向かい、

側道に入り、信号待ちをしている同車に追い付きました。

僕は左のウインカー、同車は右のウインカー。

何もアナウンスなし。

ううん。取り締まりを受けないのかい?

信号が青になり、

気づかれたかどうかはわからないけれど、別れ際に右手を挙げて、あいさつしておきました。


あとで考えるに、

どうも、車間の距離もまだあり、間に他の車両もあったことから、

測定できなかった ということなのかなあ。

だから 婦人警官さんの 苦笑のようにも見受けられた笑顔ということ?


ただ、

前後左右に気をつけて走行していたから、

相当後ろに居られた赤色灯に気づかせてもらったということで、

言われた「気をつけて」というひとつの意味では、

いつも、きょろきょろ、特にスピードを出している時は特にきょろきょろ。

バックミラーも煩雑によく見ています。

おかげさまで、早めの存在確認ができていたということなのかなあ。

(赤色灯を点けないほうが対象車両の速度測定をする追尾のためにはいいのかもしれませんが、他の車両にそのことに気づいてもらいよけていただくためには、しかたなく赤色灯を点灯せざるを得ず、それによって、対象車両に気づかれ、なにがしかの対応をされてしまう。痛しかゆしですね。)


このことで、僕は、その車両をよく覚えてしまいました。

ですので、

また、笑顔で、どこかでお会いいたしましょう!

当方の個人情報は、バイクのナンバーで筒抜けでしょうし。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


う~ん。

隔世の感がある。


「国家公務員の手当見直しへ 配偶者廃止、子ども増額」(2024.7.25日本海)では、

人事院が 配偶者手当を廃止する方向

配偶者手当は月額6500円。年収130万円未満の配偶者

支給する民間も減少傾向にある。

などとありました。


毎月給与の支給事務に携わったこともある者として

(約40年前の4年間ほど、とても大変だった。)、

扶養手当のうち配偶者に対する支給を廃止するということは・・・そうですかそんな時代ですか。

確か当時月額1万円ぐらい?順次、勧告に基づいて上がって行って15000円ぐらいにはなっていた?

それが現在は月額6500円 ということなのか。

そして、受給者も減り、民間準拠であり、減少傾向ならば、それなら廃止も視野に入る。

しかし、

なぜ、受給者も減り、民間も減少傾向なのか。

なぜ、支給が適用となる年収130万円以下の配偶者が少なくなってきたのか。

両性ともに働く希望があるならば、どの年代であっても働いてほしい。

しかし、その希望の背景には、生活するためにはそうしなければとのにじみを強く感じる。

勿論それだけでなないとも思っている。

ただ、年収130万円どうのこうのと問題視する世帯にとっては生活や子育ての維持・継続が重くしているのではなかろうか。

130万円としているけれど、

実際の支給要件はもっときつく、

130万円を12月で除して、月108333円を超えると支給停止される。

毎年、収入要件の確認のために所得証明などを提出していただいて、

制度のひとつのために、そんな確認も行っていた。

要件から外れていて、支給した扶養手当を返還していただいたこともある。

期末手当も本給に扶養手当を加えて2.5ヶ月分など(当時)としていたことから、

その分も含めて返還いただいた。

人事院が勧告し、支給額が数百円増加になると、支給した額との差額を4月に遡って12月末に支給していた。

その分予算を増額するため、議案を提出するなど、いろいろあったなあ。

1円の間違いも許されない計算を行っていた。

たぶん、現在でもそのようなことはなされているのでしょう。

企業でも官庁でも、お疲れ様です。


まあ、ともかく、配偶者への扶養という観念が乏しくなる、

否、乏しくさせている

多角的に、良い面、そうでもない面在りながらも、

そんなことに、誰しもが、均されてきているような

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


そうですか~。

腑に落ちていなかったことを説明頂きました。

先生の御意見に共感いたします。


氷期といえども赤道直下は暖かかった。なのに、人類が農耕を始めた痕跡がないのです。文明が生まれた理由は、どうやら温暖化だけではないらしい。

僕がいま注目しているのが、気候の安定性です。この時期より前は、寒いだけではなく不安定なんです。毎年のように気温が上下し、今年や来年の夏が昨年と似ているという見通しがつかなかったら、計画的に作物を植えても意味がない。

1万1千年ほど前 この時代以降に人類は農耕文明を発達させた。

17世紀には小氷期といわれた時期があり それ以降の約200年間は、安定した1万年の中でもとりわけ穏やかな気候でした。

いまの 地球と太陽の位置関係から考えると、すでに氷期になっていても不思議ではない。

「湖が語る「暴れる気候」」(2024.7.17朝日)に

古気候学者の中川毅先生が(僕の大好きな)福井県三方五湖湖畔の年稿博物館で語られるインタビューがありました。


全球凍結。

地球全体(温泉地以外)が雪と氷で覆われたことが2.3度ある。

全球に氷がなかった時もある。

しかし、全球凍結でなく、赤道付近は暖かい気候の時だってあったのではなかろうか。

でも、地球の誕生以来48億年、5億年前から多細胞生物の活動。

農耕はほんのさっきと言っていい1万年ほど前から。

なんでそんな時まで待たなければ発達させ得なかったのか。

づっと疑問に思っていました。

そうか、先生の「暴れる気候」とは、

例えばこんなことか。

春の来ないような一年中寒い冬のような気候が数年続き、続いて四季のある年もありながらも、冬のとても短い暑い夏の年もあったり、そしてまた、春の来ないような年中のような。

そんなことの繰り返しを、

そんなことを「暴れる気候」といわれるならば、農耕はできない。

予測も希望も生まれにくい。

春の来ない冬はない。今はそう言える。

でもそれは、たかだかこの200年程度や1万1千年前からのことであって、

四季が巡ってくれているのは、地球の史実上では稀有な気候といえるのだろうか。

7万年の年稿はそんなことも諭してくれると思う。

だから、氷期が終わり気候が安定し、二十四節気等も人々の支持を得られ今に続いている。ナイルの氾濫も季節を示す。


年稿を今でも積み重ねてくれている五湖のうちの水月湖は、

例えば、これからの千年、人の類の生命達をどんな風に見てくれてその証拠を残していくのだろう。

(千年は7万年のたったの1.4%ほどです。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


都会派?の僕はクリームパンです。

あんパンは、僕にとっては田舎にもともとあるもの、

クリームパンが都会から来た という感じを持っています。

それに、

パン食い競争の時、あんパンは喉に詰まる。

生命の危険さえ感じます。


「あんパンとクリームパンどっち好き?」(2024.7.20朝日)では、

あんパン 71%、クリームパン29% と あんパンの圧勝の図。

好きな理由は

あんパン あんこが好き 1639人

クリームパン カスタードクリームが好き 656人

などとありました。


どうも、僕は、いつも、少数派だなあ。

でも、それはそれでいいのです。


そして、

記載の中に 他に好きな菓子パンは? というのもありました。

野暮なこと言って申し訳ありませんが

菓子パンというものは 老化への一本道 だと思っています。

お亡くなりになられた近親者も、菓子パンが大好物でした。

(あ ク どっちが好きだったかは知らないのですが)

どなたさまも、ほどほどになされては。

(ほどほどにできない中毒性の放置は相当悪いことだと思っています。)


そういえば、地元の運動会にも久しく出ていないので、

パン食い競争やラムネの早飲み競争は今でもあるんかしらん?

(ラムネの早飲みは、ラムネを飲む前にあんパンを食べてから飲みます。

とても、きつい!、いつもゲゲでした。)


つまりのところ、

僕は、

あんパンもクリームパンも食べていない。

少なくとも、記憶の定かな?ここ10年は食べていない。

たぶん、20年ぐらいは食べていないのではなかろうか。

メーカーさん、申し訳ありませんです。

あっと 思い出した。

10年ほど前の山歩きの行動食で、5個(6個?)入りの薄皮クリームパンを歩きながら食べた。

そうだそうだ。

食べました食べました。

あんパンではなくクリームパンでした。

んんん 白あんのパンだったかな?

どっちも好きなのになあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


思い出しました。

「保育園落ちた日本死ね!!!」

辛くやり場のない怒りだったと思います。

この言葉は、ウイキペディアにも掲載されていました。


さて、

「増やした保育所 4割余る 政策硬直、需要とズレ」(2024.7.17日経)がありました。


記事内容をご紹介せずとも、なんでそうなるの?と思います。

2016年に投稿された「」ですが、その方だってそう思われるのでは。

今、2024年、8年経過して、

なんでそうなるの と。


同じことですね。

足りないのも余らせるのも、現場を見ていない、把握していないから。

つまり何も変わっていないということ。

そう感じますが・・・・・。


記事の横に エビデンス 不全 とありました。

やはり、

なんでそうなるの?

なんで、不全 などと書かれなくてはならないことになってしまうのかなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


お話しは、

在職老齢年金制度のことです。


「働く高齢者、年金減見直し」(2024.7.18日本海)では、

賃金と厚生年金の合計が月50万円を超えた場合、

在職老齢年金制度に基づき年金額が減らされ、

就労意欲を阻害している

65歳以上の就業者数は20年連続で前年を上回って過去最高となり、就業意欲の高まりも見られている

などとありました。


なにかくっつけているけれど、それは整合性のない話だと思っています。

65歳以上の高齢者(僕も含まれます)が働こうとするのは、年金額に不安があるし、当面の生活費は、働けるうちは働いて収入としたいから。

物価も上がっているしねえ。

65歳以上では過去最高の就業者数とのことですが、その方々の賃金の年収は200万円ぐらいまでが最も多いのではないかなあ。

だから、

その 何とか制度(在職老齢年金制度)で、年金額が減じられるそんな方の年収は、月50万円×12月の600万円を超えるところから始まるので、大概の方は、なんですって、とてもとても届きません といったレベルでは、お話しになりませ~ん かなあ。

しかも、そうですよ、厚生年金部分のみであって基礎年金部分は含まれていないのですよ。

つまり、600万円+基礎年金部分の70~80万円=670万円が年収になるのですよお。

それを上回る方々の年金を減額しないようにする見直し?

おかしな話だなあ。

そしてまた、年金受給を先延ばし(繰り下げ)すると、割増しになるけれども、その割り増し分は、その月50万円には含めないそうではありませんか。


つまりですね。

65歳で、厚生年金が年130万円、基礎年金が年70万円の方だとして、

賃金が(600万円ー130万円=)年470万円、月39万円超の方の年金減を見直そう、年金支給停止をしないようにしようとのお話しなんですねえ。

(65歳にして賃金年収470万円をお貰いになられている方は、そのお歳になるまでのいわゆる現役世代の時は3桁収入(1000万円超の)があったのでは。それなら、厚生年金部分だけで200万円は行くのかな?)

65歳以上でそんな方そんなに居られる?

就労意欲を阻害している?

年金はよく世代間格差が問題とされているけれど、同世代格差をさらに拡大させるのがこの見直しになる。


お元気な方なら、厚生年金も基礎年金も、75歳まで請求しないで8割増しにしてもらって、賃金が年470万円貰えている間はそれと貯蓄で生活しよう、充分普通の生活が楽しめる収入だ、75歳になったら年364万円((130万円+70万円)×1.82)で、年金を老後の保険と思えばありがたいじゃああ~りませんか。

そんな声が聞こえてくるような。

どこに、強い見直しの理由がありましょうに。


収入が多くても減額しないならば、確かにそういった方の勤労意欲は阻害されないかもしれない。

しかし、それを知ったならば、大多数の人々の勤労意欲は確実にそして大きく阻害される。

どうせ 今の働き口で頑張っても、しれているし と。


さらにさらに、

最近は言われないけれど2000万円。

その収入が多くて厚生年金減額対象者≒2000万円以上の金融資産保有者

収入がそこまでいかなくて厚生年金の減額がない方≒2000万円未満の貯蓄

そんな構図も想像してしまう。


以前にも書いたけれど、

繰り下げ期間中なら減額対象から除く程度の見直しで高額収入の方からの要求にお茶を濁させ、お得意のその場しのぎ力を発揮していただければ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


思わず笑ってしまいましたが、

本当の「夢の」技術ならば、50年では普及しないということかな。


(2024.7.22日経の春秋)では、

そのうち「夢の」と枕詞がつくだけで胡散臭く感じるようになった。

今なら核融合がそうだろう。

実現まで「あと50年、言い続けて50年」と冗談のネタにされてきた。

できそうもないこと、何千億円という税金に見合わない計画のために夢を利用するのは間違っている。

都合のいい時だけ夢を持ちだす官僚を批判していた。

などとありました。


あと50年、言い続けて50年 ということなら、

つまり、50年経過しているけれど、ほゞ進捗できていないので、当初のとおりあと50年必要という意味?

それでは、50年前には、なぜ50年と言えたのか。

そして、今、なぜあと50年と言えるのか。

(真実に近いのは、あと100年なのか、それとも1000年なのか。)

そしてまた、核融合のごとき、常温常圧の地上に、超高温超高圧の太陽をとの、まさに夢と言っていいような技術が、人間の手で50年+50年の百年程度で実現できるのだろうか。


エネルギー問題を根本的に解決できる。

温暖化ガスの排出が理屈の上では無い。

地球全体の資源であるべき地下資源だと思っているのに、その地表をその時支配しているとされている人間たちが、自国の地下資源であるとして、資源国として、それ以外の国に対して優位な言動を行おうとする。そんなことに左右されにくくなる技術。

そんなふうに核融合は捉えられているからこそでも、「夢」がついてまわる。


まあ、日々、現実を目の当たりにせざるを得ない生活を行っている者にとっては、

寝ている時に見せてもらえるものが、夢であります。

それも、時々にしかいい夢は見せていただけない。


官僚さんを擁護するわけではないけれど、

毎年の予算をどのような理屈で正当化しようか致すのか。

それぞれ、胸のうちが苦しい時だってありますね。

勿論、素直な気持ちで、まっすぐな予算要求だってありますですが。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


内訳書(国民健康保険税第2期・差替) として

(全文)

平素から税務行政につきまして、格別の御尽力をいただき厚く御礼申し上げます。

さて、7月12日付で送付した標記の内訳書ですが、当方の集計ミスで全期前納した方の2期分が印字されていました。

大変申し訳ありません。

お手数をおかけしますが、別添のものと差し替えをお願いします。

よろしくお願いいたします。

とする文書が町長名(公印省略)で同月18日に各納税貯蓄組合長あてとして、我が家には郵便受けに差し込まれていました。


う~んん。

なにかどうもなあ。

印字されていた?

なんか、他人ごと・責任逃れのような物言いに感じるのは僕だけかなあ。

なにか、内訳書作成を依頼している先のミスのようなニュアンス?

印字されていたのなら、それも含めて発行者の責任でしょう?


たしか、昭和の60年あたりから住まうところ町内会の納税組合長をさせていただいていますので、40年間ぐらいになると思うけれど、納付された税を再度請求するような行為は、組合長として記憶にありません。

単に、僕が忘れているだけなのかもしれませんが、当該税務の仕事を当局側として行ったこともある者として、たぶんにそんなことがあれば忘れるはずはないと思っています。

どうして、納付された税(国保税2期分)を再度今月の集金対象としたのか。

納付された税の消込はどうなのか。1期の時からの期間も経過しているのに。

集計ミス って なに?

印字されていました って なに?

なんかおかしい。

そんなことあり得るの?

当然に行われるべき要所要所での集計などの確認ができていれば、起こり得ることにならないのではないか。


起こってしまったこと自体には対処しなければなりません。

文書一枚郵便受けに差し入れる程度のことなのだろうか。

ここの納税組合の長は私ですが、

毎月集金していただく方は年初に依頼していますので、

差し替え文書が18日夕刻?に来て、僕がアルバイトで動けなかった19日の翌日の20日に、

今月集金していただく方に連絡し、修正するようお願いし、

集金していただく方から、既に、当該となる納税義務者にも納税額のお知らせを配っていただいていたので、当該納税義務者さんに対して、これこれで納税はしないようお願いし、

組合長としてそれぞれの方に迷惑をおかけしてしまったことに対して謝罪させていただきました。

怒る方なら力いっぱい怒られますよ。

(この町内の方は、そお?払おうと思っていたのに払わないですんでよかった と言われましたが、それにしても、後から考えられて、いったいどうゆうことだろうなどと思われるのではないか。税に対する信頼は確実に落ちざるを得ないと感じています。)


公印省略?

そんなに簡素な連絡事項程度のものだろうか。

送られた納税組合長にしたって納税義務者さんたちにとっても。


送られた側の思いに立てているとして、

ただ単なる連絡事項の差し替え程度に税務当局が考えているのならば、

これは相当なすれ違いではないかと受け止めます。

そこらあたりが税の当局側に立つ者として、

最も基本的かついつでも忘れてはならないところだと思っているのです。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


クレジットカード業界の最大手である米VISAの日本法人が、自社の提供する信用照会システムを使うよう取引会社に強要していた容疑が報じられた。

従わなければ手数料を引き上げると迫っていたという。

公正取引委員会は独占禁止法違反の疑いで 立ち入り検査に乗り出した。

79年に国民死活センターが消費者向けに作った冊子は、クレカをめぐる制度が「未整備のまま」と憂いている。

半世紀ちかくたつのに、いまだに不透明さが残ったままである。

などと

(2024.7.19日経の春秋)にありました。


いわゆる クレジットカードは、便利でいつも利用しています。

小銭を持たなくていいところがいい。


強要なんて、結構強い言い方ながら、

そんな言われ方をされてしまったクレカ側の背景も含めた言い分が聴きたいなあ。

信用照会システムの維持管理費用。

そのシステムのウオールをかいくぐって行われている不正操作と損害額。

クレカ業者は何処ら辺りを落としどころとしているのだろう。

損害を皆無にすることなどそれこそ不可能(だと思っています。)

手数料の高止まりはクレカそのものの存亡にかかわる。

その半世紀前の指摘のとおり、未整備なのかもね。

でも、なんぼなんでも、整備は進んでいるのでは。

この半世紀で取り扱われている額は、それこそ10倍ぐらいに増加しているんじゃない。

ともかく、安心して使いたいです。

それとも、クレジットカードに替わる決済手段が世紀単位で現れるのかもね。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


Na ナトリウム

K カリウム

あらためて スイヘーリーベー・・・・・・。


「ナトカリ比」(2024.7.18日本海の歳々元気)では、

食塩の摂取量を、体内の塩分を排出する働きを持つカリウムの摂取量で割った数値を「ナトリウム・カリウム比(ナトカリ比)」という。

この数値が低いほど高血圧のリスクは下がるそうだ。

日本食は塩分が多く、食事で改善することは難しいので、カリウムの摂取量を加味した「ナトカリ比」が注目されつつある。

などとありました。


ナトリウムの上にはリチウム。

最近よく耳にしますね。リチウムイオン電池。

(今日の日本海にもありました。「熱に弱いリチウム・イオン電池」)

ナトリウムの下にはカリウム。

いずれも +1

軽いのに金属。アルカリ金属。


周期表の上から言えば、

リチウムは、原子番号3で、原子量は6.94だから、

陽子が3個で、多くのリチウム原子は中性子が4個。

ナトリウムは、原子番号11で、原子量は22.99だから、

陽子が11個で、多くのナトリウム原子は中性子が12個。

カリウムは、原子番号19で、原子量は39.1だから、

陽子が19個、多くのカリウム原子は中性子が20個。

だからナトカリで比較すると7割ほどカリウムが重い。

ナトリウムの原子半径は186 pmで、カリウムの原子半径は 227 pm。

半径だけで言えば2割超カリウムが大きい。


アルカリ金属は恐ろしい。

自然発火する。空気中の水分(H2O)のOを奪ってしまう。

(第3類危険物です。)

食塩(NaCl)は水に溶けて、Na+とClーとなり、イオン結合が解かれた状態となる。

なんか、

同じ+1のアルカリ金属ながら、

ナトリウムの方が、軽くて小さくて、反応が速いというか暴れん坊のようなイメージを持つ。

それに比べれば、カリウムはまだおっとりしているのかな。


日本食は食塩(ナトリウム)が多く、食事で改善することは難しい

とあります。

減塩とかお酢をより利用するとかの調理法が言われますが、

たぶん、それらは多くの場合、定着しないで、元の木阿弥 となってしまっているということを表現されているのでしょうか。

さてはて、それならば、カリウム君ってどこにいるのかな。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「人間の寸法の場所」で生きる。

(2024.7.9日本海のいなば余談)にありました。


僕の人間としての寸法は、大したことないなあ。

それなら、

その生きている場所が、その寸法に合っている ということかな。

場所に余裕があるのか、

寸法がまだまだなのか。

(いやいや、縮小している?)

それとも、

寸法が収まりきらないのか、

場所がそれほどでもないのか。


なんか、ヤドカリさんみたい。

彼らに言わせれば、さっさと、宿替えしないと生きていけないよ。

僕らには、生死がそこにもかかっているんだ。速やかな判断と行動が。


昨日の咳ぜんそくリハビリ山行としての大山。

2週間前よりも少し余裕があった。

リハビリとの位置付けで、しばらくは1・2週間おきに継続したい。

山頂での空手の型を行うのも気持ちよい。

大山の日帰り山登りは、今の僕にちょうどいい感じのリハビリ。

夜明け前後や雨上がりの森や、沸き立つガスの中、空気がうまい。

そんな寸法(ほんの一部ながらも) のような 今日この頃。


そろそろ梅雨明けの気配。

良くも悪くもというか、

夏の居場所は、ただ単に、建物内で涼んでいては、身を亡ぼすような。

この夏はどこの場所で、身を削って(それは身を構築することだと思って)生きましょうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


だそうですよ。


「1.5万人の島 巨万の富」(2024.7.9朝日)では、

アンギラという地名に基ずいたドメイン

「.ai」

その使用量で、島は巨額の収入を得ている。

AIを取り扱う企業にとって、『.ai』は喉から手が出るほど欲しいドメインだ

使用する権利を2011年から売り始めた。

使用量は当初、2年間で100ドル(約1万6100円)だったが、インフレで140ドルに値上げした。

登録は1分に1件のペースで増えている。我々は、何もする必要がない。

年間予算の約3割  25年には 倍増する

70歳以上の医療費を無料 学校の建設 固定資産税の徴収をやめた

などとありました。


まさに宝くじに当たり続けておられるような状態。

AIさんはとてもたくさんの電力を消費するとの記事もどこかに。

そんなことに関係なく、どこまでもAIの.aiは利用されていくような。

少なくとも今世紀前半は。

2024年だから、今世紀も、いわゆる四半世紀が経過しようとしています。

次の四半世紀はどんなことになっていきそうなのか。

あと25年間ぐらいは、僕も何とか生きてゆけないものかなあ。


アンギラというカリブ海に浮かぶ英国領の島。

そんなところがあるなんて、申し訳ありません。知りませんでした。

そして、固定資産税を徴収しないように為されたのはどうかなあ。

資産保有を課税の根拠にどこの国もしていると思っています。

奇貨を奇貨として終わらせないためにも、そのような住民負担は継続すべきのように思いますが。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


雨模様ながらも、暑苦しくない昨夜も快適に寝られています。

しかし、

次週ぐらいには、また暑い夏が今年も巡り来るのでしょう。

電力がマイナスの価格ならばなあ。


「電力「マイナス価格」各国で」(2024.7.15日経)では、

天候に左右されやすい太陽光や風力発電が需給をかく乱し、価格がマイナスになる事例が頻発している。

発電事業者は気象予報などをもとに、翌年や翌月、翌日の電力需要を予測し、需要に見合った発電計画を立てる。

例えば6月1日の米カルフォルニア州。

発電事業者は太陽光の供給増を見て水力やガス火力の供給力を減らしたが、全てを相殺することは困難だ。

価格は午前7時から午後5時までマイナスに沈んだ。

積極的導入の副作用

日本では 国の制度に基ずく電力会社による出力抑制という形で発電事業者に負荷を強いるのみだ。

日本の太陽光発電の導入量は18~23年で1.6倍にとどまり、伸び率も年々縮小している。

などとありました。


日々是好日。

晴れれば、

雨になれば、

人の行動を天候に合わせて変化させることは至極自然。

しかも、

天気予報というものがあり、

その精度は相当に高くなっている。

だから、

明日の予報を確認して、何をしようかと考えておくことができて、

大概、その予報は実際に訪れてくれるから、

考えていたとおりに、実行に移せる。

とても、気が楽。


天候のよい日中に電力がマイナスならば、

アルバイトだと思って、室内で冷房を効かせて、執務や趣味、学習をしたい。

そんな日もいい。

暑熱に対する耐性を、基礎体力を向上させたうえで、敢えて、真夏の中に飛び込んで、さらに向上させる。

そんな日もいい。

(この前の日曜日も全身汗びっしょり。)


国内の発電事業者に負荷をかけているから、そもそもの電力相場が下がらないのでは。

円安による輸入エネルギーも高騰したまま。

弥縫の補助金による負担軽減なんてナンセンス極まりない。

なさけなや。このお国。


天候に合わせて行動することを変化させるけれど、

(おてんとうさまにはかなわないので)

この国の在り様によって、僕の行動を変化させることは、何か嫌な。

(この国の在り様には、何かしらの影響を与えられると思っているのかな)


ともかく、

暑い夏がもうすぐ来襲するのでしょう。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


一昨日の前の日、金曜日。

アルバイトで積載車の走行中に突然エンジンが停止しました。

今日はどうなっているのだろう。


もう少し詳しく書きますと、

3トンまでの車両を1台積載できる積載専用車。

オートマチックの中型車両(ディーゼルエンジン)なので、

僕のMTの小型車と比べて大きくて長くて、普段はとても快適に走行してくれていました。

大き目の方がちょこまかとしていないで性に合っています。

さて、

その車両で、配車(お客様まで車のお届け)をした帰り(つまり車両の積載はしていない状態)で、幹線道路の十字路を左折しかけたところ(つまりアクセルは戻してハンドルを左にまわしかけたとき)突然にエンジンが停止しエンジンシステムエラーの表示がされました。

えーーー。

そのまま左折を進めるため左折度を進行させるようハンドルをさらに回そうとするのですが、重くなりました。

エンジンは停止しているのに車両は惰性で動いています。

(オートマチック車ってDドライブでエンジンが停止すると、MT車のニュートラルのような状態になるのかな?)

ハンドルを戻して左折を完了させ、

ハザードを点け、後続車両がどうかの確認をする余裕もないまま、左側に寄せて停車しようとし、

ブレーキを踏みましたが、

どうも効きが弱く、もう少し強く踏みましたが、

ぬるぬるーとゆっくりとした減速で、

でも、何とか停車できました。

急いで、キーを回して戻し、再度始動させようと廻すと、

何もなかったかのようにエンジンは動いてくれました。

「ほ」

そのまま店に帰還できました。

(惰性で動いている状態のまま、再始動を試みた方がよかったのだろうか?)


上役さんに報告し、近くの整備工場へ入れることとなりました。


おそろしいのは、

車両の積載状態で峠道などの走行もあること。

何故って、下り坂などで、エンジンが停止すると、

ブレーキが利きにくくなる。(どれほど重くなるのか想像できません。)

さらに、当然ながら、エンジンが動いていないので、排気ブレーキも使えない(と思う)。

(排気管を閉塞し排気抵抗を増やすことでエンジンの回転抵抗を増やし、エンジンブレーキの作用を強化する)

おそらく、積載している後ろの車両の重さにぐいぐい押されて、

(普段でもそうなので)

速度は下がるどころか上昇していくのではなかろうか。

おそろしくて、これも想像したくない。

峠道でなくても、どこでも上り下りはある。

車間距離は普段から十分すぎるほどとっている方ながら、

通常の効きがブレーキに求められないのなら・・・・・。


そうなったらどうしよう。

007 じゃないけれど、積載車両のドアを開けて、車外に飛び出す?

それなりの車速ですよ。


あーあ。

今日のアルバイトは10時から。

あれからどうなったのだろう。

土曜日も入れると3連休中ながらも修理されていますように。

修理されていないままの運転をしてくださいということになるならば、

即、労働関係の機関への相談か、公益通報ということになるのか。

だって、人の命に直結することが容易に想像できることだと思いますので。

積載車の運転者もそうですし、周辺の車両に対しても。

あらためて、車両の運転とは、影響が大きな行為であることを確認したい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


6月、県議会の自民党会派を訪れ、自身の辞職を条件に百条委設置提案の取下げを要望。自民側は応じず設置が決まった。

誰かが責任を取らないといけないと考えた

副知事は 県政混乱の責任をとり、7月末で辞職すると県庁で記者団に表明した。

などと、

「兵庫県副知事が辞職表明」(2024.7.13日本海)にありました。


お隣の県の出来事。

ほんの5キロメートルほど行けば隣県との県境なのでとても身近に感じている県。

ただ、

そのすぐ行けるあたりのその県のそこあたりは、その県庁所在地までに、物理的・精神的に相当に隔たっている。

そんな都会でのお話しなのに、

実にありきたり。

結局、

百条委員会を設置されて調べられると、その責任がトップに及んでしまう。

何としても、同委員会の設置を思いとどまっていただいて、トップまでの責任追及を躱させるのが副の役割だ。

そう考えたが、設置が決まってしまった以上、副として最大の責任の取り方である辞職を表明することで、トップへの責任追及の矛先が鈍ることを期待した。

そんな受け止めをしています。


名の無き民の 声なき歌を 道に立つ人よ 風に解き放て

(ダイナミック琉球の一節)


それぞれの 道に 立つ人よ

副の人の考えは、

組織人として立派に見えるようながらも、

その県の人々に事実を明らかにして納得させることができるのだろうか。

組織人である前に、県民の立場に立つべきではないのかい。


どうだろう。

その道に立派にお立ちになられているのだろうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


自分の日本語力の低さを感じます。


うっそり

(2024.7.11日本海の掲載小説)の中にありました。


まったく使わないなあ。

その一読した印象は、

不意ながらも急ではなく、それなりに存在感がある、身に近い

そんな感じというか受け止めをしました。


しかし、ネットでは、

心を奪われてぼうっとしているさま

ぼんやりしていること。うっかりしていること。また、そのさまや、そういう人。

解説されています。

そうなんですか。


相当異なりますね。


うっそりしている人。

とくれば、

あまり誉め言葉でもないようですが、

ちょっと好きですねえ。

そんなふうに思われてもみたい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「少産多死で人口激減」(2024.7.2日経)では、

1人生まれても2人が死亡するーー。日本では2040年ごろまで、こんなペース

日本の死亡者数は今後半世紀の間、毎年150万~160万人の規模で推移する。

出生数は20年の84万人が70年に50万まで減ると推計されている。

死亡者数が出生数の2倍を超えるのも27年と推計されていたが、実際は22年に突破した。

(図)年間総実労働時間 1885 1909h 2023 1726h

高齢者や女性の就業が増え、1人あたり労働時間は減った。

などとありました。


え~。

1909hを12月で割ると、1ヶ月159時間。

1726hを12月で割ると、1ヶ月143時間。

それに対して、先月の僕の勤務時間は180時間と45分。

なんか、とても、働きすぎ。

高齢者の仲間入りをさせていただいているのにね。

(45分というのは、この会社の支払い単位が15分単位であるため。いまどき聞いたことないけどね。)

1年間は52週なので、週40時間なら2080時間で月173時間。

週30時間なら1560時間で月130時間。

健康保険加入最低限度の週20時間なら1040時間で月87時間。

これぐらいで生活したいというのが希望です。

そのうちそうしたいと言っているうちに。


地元紙であっても、

最近は、新聞のお悔やみ欄の記載が少なく。

だから、そうとは知らなかった方の旅立ちを後ほど聞いたりする。

などと働いているうちに僕もお亡くなりになるのでしょう。

そして、計算上は0.5人がお生まれになられる。

いいかどうかはよく解らない今の現実。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


どうか、

ご無事のご帰還をと祈らずにはおられません。


「メッカ大巡礼 死者1302人に」(2024.6.25朝日)では、

メッカへの大巡礼(ハッジ)で多数の死者

当局は23日、死者数が1301人に達したと発表

多くは猛暑による熱中症

死者のうち83%が当局の許可を得ていなかった

ハッジは14~19日に行われ、メッカでは17日に51.8度を記録

ハッジに必要なサウジ当局の許可数は国別に割り当てられ、抽選で個人に当たる。

許可を得ないままに大巡礼に向かう人が後を絶たない。無許可の巡礼者は、サウジ政府が整備する空調つきのテントなどの施設を使えない

などとありました。


熱い。

言葉を発するために口を開けることもはばかられるよう。

サウナというものがかの国にはあるそうだが、いらない。

そんな想像をしてしまう。


ただ、

人生で一回は行うべきとされる。

健康で実践可能な財力のあるすべてのイスラム教徒の方々が行おうとされる。

いつもいつも、そんな状態に至れているわけでもない。

無理を押して と いったことだってある。


繰り返します。

ご無事なご帰還をお祈りいたします。

そして、人生に一度は、今日の日、いまこのとき、だって、一度きりです。

神は、場所や時を超越しているものと捉えたい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


それはそうなんですけれど、

まあ、いい道を歩んできたと考えておこうじゃありませんか。


「人生の目標見つけられない」(2024.7.6読売の人生案内)のなかで、

ひとつの人生を選んだということは、ほかの多くの可能性を捨ててきたということでもあります。

とありました。


一部をはしょっているので、回答者の本意とは離れてしまうのでしょうけれど。

幼いころに将棋の駒の動かし方を教えてもらい、

盤上の勝負に臨んだものの、

どうにもこうにも局面も読めず先も読めず、

たぶん、現在の実力も、その当時と大して変わらない と 思う。

かくして、羽生さんや藤井七冠のような人生を歩もうとする可能性すら想像できていない で よかったなあ。 と 感じることは、幸せだったと思っている。

大谷翔平選手の誕生日が7月5日で、身近な人が同じ日でした。ご年齢は一つ違いということで、世界的なスポーツ選手への道はそれはそれは素晴らしすぎる。

そうはなられていなくても、その方にしたって、そんなに捨てたもんじゃないんでしょ?


楽しそうであればいいのですが、

苦しみに満ちたような歩みを続けなければならないことは そんなこともないとは言いませんが、

道なき道を歩んできた どなたさまも。

ほかの多くの可能性などとは、振り返って考えてみることではないかな。


可能性を捨ててきた のではなく、

可能性を育(はぐく)んできた。

そう思いましょうよ。

たとえ、目の前のことに直接役立たなくても、

たとえ、この社会の現状で、評価があまりないことだったとしても、

え。それはどうなのかなあ。

といった疑問を大事にしたり、

発生している事象を大事にし、その対処に悩んだりすることは、

自分の明日の可能性を育んでくれる。


誰の人の道ではありません。

そう、僕の道です。

こんな自分にしては、まあ、やっているではありませんか。

どなたさまも。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


下の記事中にもありますが、

域外であるが、囲まれている。

なにに?

EEZに。

囲繞地(いにょうち)みたい。

そこは、四国沖の海盆を海底とする海域というようなお名前のようですが、

四国沖とするには、南海トラフの更に南側でもあり、何か違和感がありますです。

前にも何か書きましたが、

以前からとても気になっている、沖ノ鳥島でありその北側の海域。


「中国、日本の大陸棚にブイ」(2024.7.5読売)では、

日本最南端・沖ノ鳥島(東京都)北方に位置する日本の大陸棚・四国海盆海域

日本のEEZに囲まれ、広さは国土面積(37.8万平方キロメートル)の5割近く

付近に島がないためEEZの圏外になるが、国連の大陸棚限界委員会は2012年、沖ノ鳥島を基点とする日本の大陸棚として新たに認めた。

日本はこの海域での海底の探査や資源開発について、主権的な権利を行使できる。

中国は沖ノ鳥島について「島ではなく岩であり、日本の大陸棚やEEZの基点にできない」

などとありました。


排他的経済水域(EEZ)って、どこのお国だってより多く、より広く、主張したい。

海に接しないお国からは羨望の目でも見られるのではないか。


はるか遠く。

と言っていい場所。

物理的にも制度的にも。

行きたくても行けることが実質できないところ。

そんな ところ にあるとされている 沖ノ鳥島。

認めたくないとする国があっても不思議ではない。

認めさせようとするお国の膨大な護岸工事の記事が何十年も前にあったけれど、近年はトンと聞かない。


そして、そのEEZに囲まれているEEZではない海域。

相当不安定。

大陸棚の認定がされているそうです。


基点としているこの島の標高はいかに。

地球温暖化により、海水の増加や膨張による海面上昇で、水没の危機について これもまたトンと聞かない。

触れられたくない話題なのでしょうね。

赤道に近ければ近いほど、自転の遠心力をより多く受けると思っています。

このお国の首都である都の管轄内ですね。

意味合い的にはパンドラの箱のような。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


まあそうなんですけれど。

なんとも、言われているようにかわいそう。

そんなこと言われるに決まっているとご当人も思っていたのでしょうけれど、

それでもなお、そうせざるを得ないとのご判断也 ということ。

そう。効果があるんですねえ。


(2024.6.27日経の春秋)に、

岸田首相肝煎りという負担軽減策が飛び出した。

ウクライナ危機を受け、5月まで続いていた電気・ガス料金の補助を8~10月に再開する

国際的なエネルギー価格は落ち着いているはず

じつにわかりやすい人気取りのバラマキである。

「酷暑乗り切り緊急支援」

などとありました。


素直に、暑苦しい夜の 慈雨のようなものと 受け止めれない。

けれど、

人々は、

昨日の首都での選挙結果を見ても、変化を嫌がる。

つまり、どこにおいても、現職・現状のゆでがえる。


でも、そんなこと知らん。

今日は、曇り予報で降水確率もなんぼかあるけれど、

僕は、昨日と同様に、風を切って、進ませてもらいます。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


どこかにありました、

1日4回歯磨きをすること。

3度の食後以外は、起き抜けにいたすこと。

その理由は、前日の4回目からの経過時間が長く、口腔内の衛生環境が悪化しているため。口呼吸してしまうこともあるしなあ。

さらに、2回目に想定される朝食後までの時間が、起床時刻によると相当な間隔となるため。

簡単に言えば、それなりの早起きの人は、起き抜けに致しすことも加えたら良いということ。

のようです。


これもどこかにあったなあ。

胃薬を飲むと、胃の内部の酸性度が落ちてしまい、

口から胃に落ちていくものに伴って、口腔内の菌が、酸に侵されず、

腸に達してしまい、腸内環境を悪化させてしまうと。


色々めんどくさいけれど、納得はする話。

ということで、

朝起きて歯磨きを(時折)しています。

朝というよりも、丑三つ時起床もあったりするもので。

高校生の頃なども、いろいろストレスもあり、胃の内容物の逆流もあったものの、

最近はそんな覚えもないため、

胃薬というものを飲んだ覚えがこの生涯にありません。

だから、

腸まで口腔内の菌が達することはない と 思っている。

胃に落ちて行く菌も4度の歯磨きでより少なくなっている ということならありがたい。


なんか年寄り臭いけれど、

これもどこかにありました。

90代で飛行機に乗って旅行した人は一人しか知らない。

人生100年時代と言われていても、

その実態なるものは、

そういうことなのでしょう。

昨日まで当たり前にできていたことが、少しずつ遠のいていったなあ。

そんなことを、先延ばししてくれることの一つが、

1日4度の歯磨きかもしれないと思っています。


さて、

七夕ですね。

2年前の七夕から始めたこの(おもしー)。

本日が365×2の730になっていないのは、

最初のあたりに、カウントしなくとも、別のブログをアップしておけばいいやとしていたから。

だから、特に意味はありませんのです。


今日は日曜日。

午後の空手の練習にいそしみますです。

そんな一日であることがしみじみありがたい。

ますます、年寄り臭いなあ。

汗びっしょりの道着で、突きをすると、汗のしずくが前方へ飛び散る。

着替えと言うか、バスタオルか、準備します。

予想最高気温33度。暑い武道館で、練習後の水道水シャワーが今から待ち遠しい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


この目標を維持すること自体が持続可能ではない。

何年経過しての現状であって、

目標年とされる2030年まで、あと6年?

すぐきますです。

などと、他人事のように。

でも、最初のあたりから、何か誤魔化し臭さ満載のようで、うさん臭く。

(うさん臭さは僕の方が上なのかもね。)


「SDGs進捗 順調判断17%」(2024.6.30日本海)では、

135項目のうち「達成、もしくは順調」と判断されたのは17%にとどまり、

「落第点だ」と危機感

「平和の確保、気候変動への対抗、国際金融の強化に失敗」

「悪化」と判断されたのも135項目のうち17%

「持続可能な開発目標(SDGs)」の進捗状況を公表

などとありました。


美術品に食品の粉を投げかけて、訴えようとする方の報道があった。

気持ちは痛いほどよくわかる。

世の中は動かない。

まっとうなことで訴えても、その生活を支えていること自体が、いわゆるところの135項目と矛盾する。

まじめであればあるほど、身動きできない。


これから北半球の夏が本格的にやってくる。

暑すぎて、熱すぎて・・・・。

ということになるのだろうか。

それでもまだまだ身に沁みないのだろうなあ。

誰もかれもの多数は、今日も大型バイクの排気を行い通勤する僕と一緒だ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


昨日の、大山寺の梵鐘に関連して。


「釣り鐘の技でウイスキー蒸留装置」(2024.6.20朝日)では、

老子(おいこ)製作所(富山県高岡市)は釣り鐘で国内トップシェア

2021年に民事再生法の適用を申請

釣り鐘や銅像といった美術鋳物は、市場が極めてニッチなうえ、めったなことでは壊れないので受注が先細る一方

受注単価がとても高額ですが、突発的な需要がほとんどを占め

一般的に鋳造で使われているのは、銅に錫を加えた「青銅」

さらに生産性を高めるために鉛を添加することが美術鋳物ではよくありました。

などありました。


そうですか。

鋳物を生業になされておられますか。

しかも、鉄ではなく、銅。

鉄であれば、薪ストーブなどの世界メーカーもありますが、

銅・青銅であれば、どうだろう?

そして、薪ストーブにはやはり寿命があり、同一人において買い替え需要があるけれど、

梵鐘の古さはよく聞きながら、その買い替えや更新の時期は、

たぶん、人の寿命の何倍・十何倍以上もあるのだろうから、

少なくとも、僕は、お聞きしたことが無い。

新たに設置なされたことはその昔どこかにあったけれど。

地震や災害で、転がってしまい、傷んでしまったことよりも、

釣り鐘堂がよく耐えたということのほうが印象に残っていたりするし。


記事タイトルが意味するように、

銅鋳物の多様な使い方の模索は必要であると思うし、

突発的受注に加えて、恒常的に固定費を賄える仕事があるならば。

何かないかなあ。

うーん、うーん。

大仏様ぐらいしか思いつかないなあ。

それこそ突発的なことの象徴なり か。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


梵鐘を吊り下げる鐘楼の四隅の柱のひとつに、

「開運鐘」とありその下に「禁止」の表示。

そういえば、登っている間、あの響きが聞こえて来なかったなあ。


昨日の、咳ぜんそくリハビリ山行としての大山登山。

早朝から新鮮な空気を吸うことができて、

少しは、リハビリテーションになってくれないかと思いながら、

ゆっくり登って行きました。

久方ぶり、4年ぶりくらい?

下山コースはいつもの行者谷。

そのコースの終わりのあたりを横に少しそれて寄らせていただきました。

大山寺の釣り鐘の音がとても好きで、

そうとうに大きいので、大山の元谷(もとだに)に響き渡ってくれる。

たどり着くと、冒頭の状況。

えー。

そうだったのですか。

お守りなどを販売されているところに行ってお伺いすると、

「もう2年ぐらいになりますか」

どこか壊れているのですか。

「鐘そのものはいいようですけれど、打つ処あたりが。

いろいろ物入りで、お寺も大変で」

1本ぐらいかかりますか

「そこまではかからないとおもいますけれど」


どなたか、

この檀家のないお寺様に喜捨為される奇特な行為を積まれていただけないものか。

僕も、いくばくかなら。

開運かどうかはわからないけれど、

元谷に響くあの余韻は多くの人を落ち着かせる力がある。

僕にはそんな力がないので、あの梵鐘様におすがりしたい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


そうか、

野分けぐらいしか知らなかったけれど。


(2024.6.23読売の編集手帳)に、

日本気象学の父、岡田武松博士は「台風」という言葉の生みの親である。

英語のタイフーンに、耳に聞こえたまま漢字をあてた

独語のフェーンは「風炎(ふうえん)」とした。

気象用語にはならなかったものの、山から吹き下ろす熱風がうまく表現されている。

などとありました。


そうですか、

タイフーン だから たいふう なのか。

似てるなあとは以前から感じていたものの、

では、

ふう は 素直に 風 でいいとして、

たい は どうしようか。

台湾の方から移動してくる熱帯性低気圧なので 台 といたしました。

ほんとかいな。

(まったくの、僕の邪推です。)

それにしても、台風という単語を知らない日本人は幼児ぐらいまで。

ほぼすべての日本人が知っている言葉。

岡田博士は大したものだ。

そうおもえばおもうほど、フェーン現象のフェーンが市民権を得ていることは何か少し残念な感じ。


梅雨模様がたぶんあと10日ほどは続き、

今年は、遅い梅雨入りで早い梅雨明けと言われている。

山陰には、四国山地と中国山地のダブルで暖まる風炎が吹き下ろしてくることとなる。

鳥取が、その日の日本最高気温地点となることだってあった。

沖縄には風炎がない と思う。

避暑という言葉どおり、クーラーなしで安らかに寝付けれるところは、

ある意味、夢の様。

暑い夏になる気配や予報です。

台風さん、安らかな眠りを妨げないでくださりませ。

ほどほどの風速と雨量で通過していただけますように。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


今までに新車で購入した4台のうち3台がMT車です。

残りの1台は、オートマチックのミニバンで、MT設定のない車種でしたが、運転操作よりも家族の乗車人数を優先したことで致し方なく選択しました。

現在のMT車は、先日の車検で丸13年ということとなりました。


さて、

「踏み間違い防止義務化へ」(2024.6.29日本海)では、

自動車のアクセルをブレーキと踏み間違えて起こる事故を防ぐため、安全装置の搭載を義務付ける

アクセルとブレーキの踏み間違い事故は23年に3110件発生し、38人が死亡、4343人が負傷。

75歳以上による車の死亡事故の原因はブレーキとアクセルの踏み間違いなどの「操作不適」が27.6%で最も多い。75歳未満の操作不適は9.9%だった。

などとありました。


高齢者になっていますので、

踏み間違いも他人ごとではあらず。

と、頭で思いながらも、

現在の体では、なんでまた踏み間違いをしてしまうのか理解できないと、右足が言ってます。

でも、それは、74歳までなのかな。

75歳以降になると、その感覚が低下してしまうのだろう。

しかし、

MT車なれば、仮に、踏み間違いをしてしまって、意に反して加速してしまうのならばクラッチを踏めばいい。ブオーンとエンジンは高回転しても、その力はタイヤにつながらない。

だから、MT車は高齢者向きだと思っています。

しかも、3つあるペダルの操作は、認知症予防にも効果あり?


はてさて、

車検で18万キロを超えていると指摘され、あと何年、快適に使用できるのだろうか。

(その時に生きていて、)

買い替えようとする時が来るのであれば、

はたして、MT車が選択できるのだろうか。

(家人も呆れて、反対するだろうなあ。でも、人の意見は聞かない頑固者でして。)

一部のスポーティカーだけだったりして。

それとも、当方の体が運転に耐えられないものになっているのやら。


今の車は、

けっこう力もあり気に入っているので、少しでも長く付き合ってくださりませ。

(車重もタイヤも重い。(225・55・18)

タイヤ交換で先に音を上げてしまうかも。)

目指せ30万キロ!


ついでに、

新車もバイトでよく乗っていますが、

最近の車はうるさい。

有料駐車場から出る際に、チケットを機器に挿入しますが、

腰を上げたりして体を動かしたくないので、腕を伸ばすだけで入れていますが、

必然的に車両は右に寄り、サイドミラーが機器とすれすれになる。

同時に、必ずと言っていいほど、センサーが働いて、接近を知らせる。

これがうるさい。

必要があって近づいているのに。

余計なおせっかいが増えて困る。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


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