真面目過ぎるなあ。
キリスト教徒なので飲酒しません。
と言われて、少々面喰いました。
だって、
大半がキリスト教徒であろう米国さんは、バーボンなど大量のアルコール消費をしていると思うし、ローマ法王いましますイタリアでキリストの血と呼ばれるワイン禁止なんてことになれば暴動が起こると思う。
聞けば、南アフリカ共和国の方。
お国の大半の方はアルコールを楽しまれるとか。
でも、ご家族様も飲酒なされない。
言語も、マザーランゲージ(南ソト語)の次の公用語は英語ながらも、
その英語はアメリカンではなくブリティッシュであるとか。
そこになんとなく違うんだよというような姿勢を感じましたし。
南アフリカ共和国に居住なされているけれども、
お父さんなどの御出身はレソト王国(ソト語を話す人々の国)。
そこから仕事を求めて現在に至っているとか。
アフリカの気持ち(レソト)を大事にしながらも、現実の生活のために白人の国(南アフリカ)の社会を利用せざるを得ない。そんな印象を受けました。
人柄はとてもまじめで、前向き。そして笑顔がとてもいい。
なぜそういうかというと、
ともかく「プラクティス・プラクティス」
同じ習い事をしている時に、こちらが少し待ってねという時でも、時間を惜しまれているように練習を重ねられる。
その姿勢が素晴らしい。僕も励まなければと思わせてくれた。
あとで考えると、在日期間に限りがあったのですね。
でも、口を付けるくらいはいいじゃないかなあと、
多神教と言うか、どこの神様だってご利益があるんじゃない、と思ってしまう不信心な罰当たりものは、真面目過ぎるとつぶやいてしまいそうになる。
さすがに一神教とはそんなものか。
いや、
一神教というよりも、その生い立ちや背景にその姿勢のよりどころが見受けられるような。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」