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検討すらしない。

大事であればあるほど検討することから遠ざかろうとする。

問題が顕在化することを極度に恐れる。

なんでもそうだ。

くそくらえと言いたい。


「改革不在の年金財政検証」(2024.6.28日経の大機小機)では、

受給開始年齢を引き上げる選択肢をなぜ検討すらしないのだろうか。

5年に1度の公的年金の「財政検証」が検討されている。

5項目が対象だ。いずれも技術的な論点ばかり

多くの先進国では、年金受給開始年齢を67歳などに引き上げることを国民に訴え、実現した。日本も厚生年金で3年ごとに1歳引き上げてきたが、2025年に65歳に到達した後の引き上げの検討を避けてきた。これを示せば選挙に負けるというが、それなしにどう年金を維持するのか。

日本の年金給付は諸外国と比べて少ない

経済協力開発機構(OECD)によれば、平均賃金と比べた厚生年金などの個人の給付水準は39%で、OECD平均の61%などに大きく見劣りする。

などとありました。


現に検証を任されている人々のみならず、

現職も含めて総裁候補者と言われている方々も、おそらく、触れないだろう。

つまり、無責任の人々であるという証明です。


長寿命になればなるほど、それを寿ぎながらも、

それを支える制度もその内容を移行せざるを得ない。

当たり前のことだ。

その当たり前が通用しない社会。


長寿のお国として、世界に誇れる。

そこに後ろめたさが、国にしても、年金受給者にしても、未受給者にしても、どうしてもつきまとう。

なにが?

そのひとつが、年金への信頼感の無さ。

支給水準は低く、寿命の延びに開始年齢の伸びが付随して行っていない。

生活できない額の受給額。

基礎年金で年額80万円に至らない。

どうして生活できましょうに。

こんなことでは掛け金納付意欲は高まらないなあ。

(納付率は向上したとどこかにありましたが、それは分母を少なくしたことが寄与したのでは。つまり、免除の申請を理解していただいた? 納付額が増えた、つまり、分子が多くなったとは到底考えられません。)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


海にしろ、

多種多様な交流にしろ、

やはり沖縄という島は、大陸と沖縄以北の日本列島などと、

その位置からも、諸々のモノやことが、集まり、離れていく。


「コカイン18㌔中城漂着」(2024.3.13琉球新報)では、

中城海上保安部は12日、昨年7月に中城村久場の海岸にコカイン約18㌔(末端価格約4億3200万円相当)が漂着したと発表した。

何者かが輸入目的で海上に投げ込んだとして、氏名不詳者を麻薬取締法違反(営利目的、輸入予備)容疑で那覇地検に書類送致した。

昨年8月にも慶良間諸島南方の海域で約28㌔が漂流していたのが発見された。

などとありました。

(少々古い記事ですが、一昨日届きました沖縄からの贈り物の包装に使われていました。)


相当な危険負担がありながらも、それおも含めて持続可能な事業として成り立っている。

それとも、そんなあたりを越えて、さらに発展しているのだろうか。


何億円相当のモノを海上に投げ込み、

その度に全部の回収ができるわけでもなく、

海の藻屑になったり、当局が確保するところとなったり、

そんな利益にならない部分は貸倒相当として見込んでいる。

そんな費用を負担しても、なおかつ持続可能な収益が得られ、

さらに発展させることができている?

そんな感じなのでしょうか。


その人は、どんな感じで海上を見渡しているのだろう。

白波が立ち見えずらい海上にあるそれを発見しなければ、

兄貴に叩きのめされる。

ギラギラ照り付ける太陽。

滴る汗。

激しく揺れる木の葉のような小舟。

そんな状況なのだろうか。


火曜日までお世話になったレンタカー屋さんの責任者のまだ若いお兄さん。

今月でこの仕事は辞めると言っていた。

どこに行こうとされているのだろう。


そうだな。

僕もどこかのようなところや拠り所やどこかの時間に漂着するのかなあ。

拠りはしなくとものところ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


閉店後にこっそりいれてやる。

との一節が、

(2024.6.28日本海の連載小説)にありました。


なにって、

お風呂屋さんが、

タトゥーや刺青をされている方を、

営業時間外に利用してもらっている、あるいは、利用させているということを書かれています。

両者の力関係で、させるのかするのかが決まりますし、

そもそも、本日現在の銭湯などでのお話しなのかかどうか。

ただ、数日前に航空便を利用した印象では、相当多いなあというものです。

狭い機内(勿論、エコノミー利用でした)で、暑い暑いと暑がられながら、腕や足や首筋など、とても身近で、見ようと思えば数センチ先でも見える。

そんなことも、搭乗口に並ぶあたりでも、そこらここらで接近しました。

フォーリナーばかりではなく、

(20年ぐらい前からなのかな、インバウンドと表すようですが、)

ネイティブジャパニーズに聞こえることも多くあり、

拡がっているのだろうか。僕が知らないだけなのかなあ。


さて、お風呂屋さんでは、

来日のお客さんの中の入れている人すべてをお断りすることは結果的に出来ていないのでは。

日本在住者さんのような方でも、入浴されていることもありました。

「こっそり」というところなんて、なにか昔気質のよう。

お風呂屋さんもどこまでどう対応するのか難しいだろうなあ。

一般客(という表現がどうかなということもありますが)の比率が下がれば、

なし崩し的にというのが、

どんなルールにおいても宿命のようなものです。

それを良い悪いといったって、

日本語が時代とともにうつろいでいることに似たりする。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


昨日の診察後、

隣の調剤薬局で薬をお願いしたところ、

初めて利用することからも、問診票のようなものへの記載が求められました。


アレルギーの欄に、

花粉症、鼻炎、ぜんそく とあったので、

従来はそれらのような症状が発症していても、

気持ちは認めないという姿勢を、鼻水やくしゃみをしつつも、崩さなかった。

けれども、

ここにいたっては、(ぜんそくの薬を処方されてしまうに至っては)

致し方ない。

そうです。

春先に花粉が飛ぶ時期には鼻水がよく出ます。

眼もかゆいです。

録音された自分の声は、鼻にかかった声のように聞こえます。

ぜんそくの疑いの治療を始めてみています。

致し方ない。

それらに〇をつけてしまいました。

あ~あ。

自認してしまったなあ。

なし崩しで気持ちが萎えませんように。


一昨日の沖縄那覇のレンタカーの方。

沖縄には花粉症がないんです。

杉が育たないんです。

東京に行っていたときは鼻水ダラダラでした。

などと語られました。

関連:いつぞや書いた静岡のこと


空気の清浄を求め、

気持ちよく深呼吸できる環境は、とても贅沢なことなのだろうなあ。

それとも、自身にアレルギーを生じさせてしまう、適応能力の低さがあるのだろうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


あ~あ。

ついに、持病を持つ者との自覚をせざるを得ないかなあ。


「咳止めクスリのフスコデは強めの薬です。

それの効果がないようなら、ぜんそくの疑いがあります。ぜんそくの薬を試してみましょう。」

関連:基本構造はモルヒネと同じ(おもしー705)


お医者さん・お薬さん 嫌いで、強がっていたけれど、

夜の咳に耐えかねて、診察を受けました。

いただいたお言葉が、かっこ書きのとおり。

処方薬は吸入するもの。

効果確認のため2週間後の再診と、しばらくの通院が見込まれます。

しかも、完解するというわけではないような。


素人判断で、

感染症などで咳が出る

感染症の症状が治まってからも、発作のような咳が夜中に続く

寝不足となる

夜中に出る成長ホルモン・男性ホルモンなどの分泌が減少する

男性にわかりやすい喉仏などが小さくなる?

誤嚥性のように気道に異物が侵入しやすくなる

(せこに入りやすくなる)

更に咳が出やすくなる

熟睡ができにくくなる


現に咳が出始めてから3kgほど体重が落ちたし、(ホルモン減少?)

体力が低下した感が強く

なにか免疫力も落ちた感じで、

そんなスパイラルに落ち込むようで、

やむなく診察を受けました。


どうか、熟睡できますように。

食欲旺盛で、動き回れますように。


持病ということになるかあ。

う~ん。

自分の治癒力で完解は難しいとなると、

それは、たぶん、

元々自然界に存在していた物質などではないもの由来だと思ってしまう。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」



沖縄産のゴーヤーが食べられなくなるようなことが起こりませんように。


「ミバエの一種本島初確認」(2024.6.25琉球新報)では、

ウリ科植物などに寄生して被害をもたらすセグロウリミバエが24日までに沖縄本島で初確認された。

県が1993年に根絶宣言をしたウリミバエとは別種だが、同様にウリ科の果実などに寄生し、産卵するなどして実の腐敗を引き起こす。

「万が一、まん延などの事態になれば作物の出荷停止などもあり得るが、現在はそこまでには至っていない」

などとありました。


ウリミバエの根絶宣言が1993年にできたからこそ、

ゴーヤーの沖縄から本州への移出が可能となったと思っています。

どうか、まん延しないようにと願いますが、


ハエにとって、生息域の拡大は、温暖化が追い風になっているように感じます。

根絶された地域は、ハエにとっては、いわば競争相手のいないような処。

少なくとも、同種の仲間同士の諸々の競争がない場所で、生き延びやすい?


やっぱり沖縄産のゴーヤーは苦くてうまい。

強い太陽の光に負けない力がある。

鳥取で、おばあさんが自宅裏の畑で作するものとの違いは明瞭。

そう感じます。

そんな力をこれからもいただけるようでありますように。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」

(原稿作成は25日で、ブログ掲載は26日になりました。申し訳ありません。)


なんとも。

嫌われもののようで。

本当にまったくの嫌われ者でもないんじゃないかとも思うけれどもなあ。


欧米人は7割以上がワキガだが、日本人は1割程度

ワキガの原因は、わきの下にあるアポクリン線という汗腺

汗腺にはエクリン線とアポクリン線

全身にあるエクリン線

アポクリン線のある部分(図)耳の穴、」わきの下、乳輪、へそ、陰部

アポクリン線から出る汗はタンパク質や脂質を含んでおり、それを皮膚の常在菌が分解して特有の臭いを出す

アポクリン線の汗も雑菌が分解するまでは臭いがしない

耳あかが乾いている人はワキガにならない

などと

「汗拭き予防 手術なら完治」(2024.6.22日経)にありました。


その存在する意味があって体に備わっているのだろうに。

もうその存在意義が否定されているかのような記載。

手術なら完治 だって。


縄文人のDNAが残る人と被ると思います。

たしか、耳垢のカサカサと湿っている人。

湿っているのは縄文の遺伝子由来と読んだことがあるような。


面白いのは、

アポクリン線とは言え、出てきた汗は無臭で、

皮膚の常在菌によってはじめて匂いが生じるということ。

匂いと呼ぶ人は少数なのかな?

大半の人は、臭いとの受け止めなのだからこそ、手術まで話題となるということなのでしょう。

常在菌だって、雑菌呼ばわりされることは、なんだか不名誉、失礼な感じがする。

彼らによって、ヒトの皮膚の安寧が保たれているのに。

雑草という草はない。

そんなことを朝ドラでこの前まで言っていたのになあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


たんぱく質の消化には小腸の健康が重要で、小腸を荒らす物質を含む小麦や乳製品を控える必要があるといい、「2週間、完全に絶つ」ことを推奨

プロテインは香料など体に不要なものを含むため「メリットよりデメリットの方が大きい」

などと

「9割が間違っている『たんぱく質』の摂り方」金津里佳著が(2024.6.15日本海の話題読選)で紹介されていました。


現代社会の一般的な食生活で、

小麦と乳製品を2週間断つことは、相当に困難。

断ったとしても、その後であれば、それらを元どおり摂取してもいいというわけでもないだろうし。

小腸や大腸の健康が大事なのはそのとおりだと思う。

それらを断つ必要性の理由は、

どなたかお読みになっていただいて、ご教授いただければ。


それにしても、

小麦はそんなことを言われることが多いように思っているけれど、

乳製品もそうなのか?

牛乳から作成している自家製ヨーグルトを日々美味しく食しているんですが。

これから暑くなると、冷たくてますますおいしいけれど、

冷たいものの食べ過ぎは確かによろしくないのでしょうが、

そういう趣旨ではないでしょうし。

冷たい牛乳が飲めない

(飲むことはできるけれど、そう聞いただけでもお腹がゴロゴロ、キューとなりそうな)

そんな、乳糖が分解できないような体になってしまっているので、ヨーグルトにして食べていますが、

僕の体にはいいように思うけどなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


広告によると、

オリーブオイルのなんと10倍の抗酸化力

洗顔後たった1~2滴で顔全体によく伸びる。

などと

なんだかという美容オイルの宣伝が目に入りました。(2024.6.15朝日)

100mlあたりで数千円の相場。


貧乏人根性の僕であれば、

それならば、1~2滴の10倍の量のオリーブオイルを顔に塗れば同様な効果があるのでは。

10滴、15滴ぐらいなら、そんなに多くではなさそうだし。

そう思ってしまいます。

ほんとせこい考え。


でも、オリーブオイルも高くなっているんです。

時折買っている3Lで、何千円もします。

醤油などの替わりに、豆腐にかけたりして使っています。

みそ汁に入れるとコクが増すと思っています。

おいそれとは買えなくなって来たなあ。


ただ、顔に塗るのは・・・、したことがありませんが、

やってみます?

お先にどうぞ。

僕は遠慮させていただきます。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


そんな負担もあまり問題視されていない?

すさまじき。


米ニューヨーク市中心部マンハッタンで「債務時計」の巨大スクリーンが14桁の数字を更新し続けている。数字はもうすぐ35兆ドル(約5500兆円)

急増する政府債務の負担がすでに持続可能とは思えない

「5年先か20年先かわからないが、米国債はデフォルト(債務不履行)に陥る」

利払い費が年間1兆ドル

1989年に債務時計を設置 当時は政府債務が3兆ドルにも満たなかった

などと

「米政府はレバレッジ取引か」(2024.6.17日経)にありました。


1ドル159円として、1兆ドルは159兆円。

そんな利息額を米国政府は毎年支払い続けているのですか?

どなたが受け取っているのでしょうなあ。

毎年ですよ。


日本国の政府予算は100兆円あたり?

アメリカさんに比べれば、かわいいものでしょうか。

日本国の政策金利は上げれない。政府債務等(1200兆円)の利払い費を抑えたいので。

アメリカさんは上げているからそれだけの利払い額になっている。

アメリカさんと同水準の金利にしてしまえば、

159兆円 × 1200兆円/5500兆円 ≒ 35兆円


持続可能?

さっさと米国債を売却してお国の借金返済に回しましょう。

そんなことすれば、アメリカさんは・・・・・・。

この国はかのお国のために自分を縛り付けていて身動きできないなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「家電の寵児 崩れた成長論」(2024.6.12朝日)では、

自社工場を持たない「ファブレス」

企画や設計に専念し、生産は専ら中国メーカーに委託

当時の為替水準は1ドル=70~80円台と、記録的な円高だった。

「海外で安くつくって国内で売る」仕組みが成長の原動力になった。だが、その歯車は、歴史的な円安によって逆回転し始めた。

などとありました。


安くつくって高く売れるところで売る。

それを可能にするために、

安くつくれるところはどこか。

高く売れるところはどこか。

売れるための商品の魅力を向上させるには、購買層の見えざる期待はどんなものか。

それらの場所はそれぞれどこなのか。

どこそこと心当たりを付けても、

軌道に乗るには、

生産は一朝一夕には、

期待されている魅力の具現化は。


まあ、

企画設計は日本、安く生産するのは中国。

それだけでいつまでもどこまでも成長できるとはどなたも思っていなかったのでしょうけれど。

円安による逆回転。

何か今さらの感もあります。

グローバルに、生産委託先を選定されていかれるのでしょう。

本社機能だって、どこそこの国と固定していては、やはり壁に当たってしまうような。

アメーバのような、形を変えて、環境に対応していく。

ファブリケーション(工場)がレスだって、そのひとつの形態のような。


為替動向を避け、

売場を円以外の通貨の国にするならば、

その国の購買層の期待によく応えなければ、高価格販売は生まれない。


異例の急成長を遂げたと評価されているバルミューダさん。

その製品を購入したことはありませんが、

現在の円安がさらに円安になるのか、今より円高になるのか、

大国などが利上げをしている時にマイナス金利に固執し、

利下げを検討し始めると、こんどは、マイナス金利を放棄して利上げを模索する。

東洋の不思議のお国の考えは全く僕には不明です。

為替に影響されるって、本業の製品開発に注力できないようで、なにかかわいそうですが、自国の工場ではなく異国での生産なら、そもそもの立脚が流動の上に成り立つようなものと解さざるを得ないのでしょうなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


おりんの音は、ヒトを惹きつけます。


その音に揺らぎはない。

まっすぐ伸び、耳の奥で鳴り続けるかのようだ。

音の揺れをそぎ落とすため、厚みは均一に。

わずかでも音色が違えば、また火の中へ。

無音と有音の隙間を縫う余韻を生み出す。

求める音は出ない。だが面白かった。

一般的に 銅が80~85%、錫が20~15%で配合

錫の割合を限界まで高める独自の配合率

硬度が増し、独特の音を出すが、 わずかに削り過ぎるだけで合金のおりんがガラスのように何度も割れた。

などと

「揺るがぬ音 研ぎ澄ます」(2024.6.13読売)で、

宇治市の鳴物鋳物師・南條和哉さん(43歳?)が紹介されていました。


どんな音(ね)なんだろう。

耳に入れてみたいなあ。

僕の脳はどのように感じるのだろう。

南條さんのおりんや直径2~3センチのLinNe。


揺らぎがないと。

無音と有音の隙間を縫う余韻と。

南條さんが発っされたのか、記者がそう感じたのか、これは、いい表現だと思う。

隙間を縫ってくれるんだって。


銅鐸の音を聞いた古墳時代の人は、その音をどう受け止めたのだろう。

たぶん、人はヒトの性質として、そのような音にありがたさを感じてきたように思う。


合金ながら、ガラスのように割れてしまう?

それなら、お寺の梵鐘は錫の割合が低い?


これと綴っている部屋の横は仏間。

おりんをひとつ軽く撫でるように叩いてみる。

りーんーいーんんん・・・・・。

わるくない音(ね)です。

明るくなってきましたが、早朝なので、控えめに控えめに。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


<悟りといふ事は如何(いか)なる場合にも平気で死ねる事かと思つていたのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた>

(2024.6.13読売の編集手帳)で、

死の3ケ月前の正岡子規の『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』が紹介されていました。


明日は生きていないにしても、今日は平気。

それって、誰もがそう。

明日、必ず生きていると知っている人はいない。

ただ、子規のように、(当時では)不治の病の結核を得て、脊椎カリエスで床に伏し、褥瘡等に苦しまれ、34歳で亡くなった人の言葉は重い。

そんな苦しみを受けていない僕のような者の言葉など、屁のようなもの。


悟りと思う思わないは置いといて、

平気で生きている。

それとも、

平気のように生きていく。

そうなって欲しい、ああ成りたい、思っていることに近づけなくて、

心身の痛みを逃れようとして、

とてもとても、平気の素振りはできないなあ。

ましてや、 平気で生きているなんて。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


砂丘トンネルを3人で歩いて往復しました。


鳥取砂丘西側にある砂丘トンネルは、晴れた日の朝の通勤に使用しています。

(つまり、バイク使用の時。帰りは地域高規格道路を使用します。暗くなれば下道はちょっと。今日も朝方通過すると思います。)

そのトンネル内を徒歩で3日ほど前に往復しました。

(この65年の生涯で、おそらく、2回か3回目かな。たぶんもうないでしょう。)

あとのお二人は、男女の制服警官様。

結局、特定できないことの確認のために。

(忙しい日で、昼食も食べる気がしなかったなあ。)


なにって、

日本語ができないで英語でまくしたてるお客様が、

(その内容がよくわからないものの)

レンタル車両の左側全体に大きな擦り傷を付けて帰着され、その場所はトンネル内であったけれどどこのトンネルかわからないといったことのようでした。

110番をされて、パトカーに来てもらい、

女性警察官が何とか会話しておられましたが、

そのお客さんは、これこれの予定で、列車に乗るため鳥取駅に行ってしまいました。

(それでいいのかい?と思いましたが)

場所の確認をするため、考えられる箇所(砂丘トンネル内)に同行して欲しい。

???・・・・。

(僕が行ってどうなるの?何の確認ができるのか?)

と思いましたが、

その考えられるとする場所で、

車両の傷と同じような高さに、新しそうな傷がトンネル内の構造物等にあるのかないのかの確認を一緒にしていただきたいと男性の方の警官様がおっしゃられるので、

という次第でありました。


トンネル内って、けっこう怖い。

4輪でも2輪でも気持ちよくない。

もっと怖いのは、自転車。後部に点滅ライトを付けないと恐ろしくて入れない。

徒歩だって。

何か粉じんが舞い続けているような。

(せめて、マスクしててよかった。)

前を行くお二人の装備。

腰の右側には拳銃(握る所が見えていたので)でしょうし、左側も革の入れ物の中に何だろう(手錠?)。

無線の機器からなにかしら聴こえる音声。

いろいろ装着なされていて、重そうだなあ。

一日の業務が終わり、それらを装着している革ベルトを体から外される時は、相当に嬉しい解放感だろうなあ。

緊急時には呼び出しされることがあるのだろうけれど。

などと、余計なことしか考えないで、ついていく。

それでも、どこか、デリニエーターなどに傷がついていないかなと、

臨時業務を遂行しようとしてみたりして。

トンネルの行きでは、特に何もなし。

帰りは、3人とも仕方ないなあという感じ。


事故現場を特定できないので、事故証明の発行はできません。

結局は、それを言わんがためのそれなりの行動となりました。トントン。

当方の業務に、その証明書の有無は、あまり関係ない。

全国の警察官の方もご苦労様でござりまするが、

それを支えている納税者(近年けっこうお支払いしているので)として、

やっぱり何か釈然としないなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


昨日の続きです。

処方通りの服用をしていない理由の2つ目。

タイトルにしたとおり、

基本構造はモルヒネと一緒だそうです。

なにか、ほんとかいな?

そういえば、咳止め薬のがぶ飲みのニュースがあったような。


処方を受けたフスコデ配合シロップの有効成分は3つ。

ジヒドロコデインリン酸塩

di-メチルフェドリン塩酸塩

クロルフェニラミンマレイン酸塩

ひとつ目が、麻薬系弱オピオイドで「中枢系鎮咳薬」ということで、咳中枢に作用するそうです。

これの基本の構造が、

モルヒネと呼ばれているチロシンから合成されるオピオイド系のアルカロイド(化学式 C17H19NO3 で 分子量 285.4)といっしょで、

名前の中にあるとおり、コデインが含まれていて、脳内や脊髄に作用するそうです。

なにか、やっぱり、お薬って、むやみに怖いなあ。

医薬品は類が3つに薬事法で定められていて、

コデインの濃度が低いため、咳止めシロップ薬などは(3つのうちの)第二類医薬品とされていて、処方箋なしで、登録販売者から(つまり薬剤師様でなくても)薬局で購入できる。第二類としては唯一のオピオイド薬と言われています。

だから、以前のニュースになったこともあったのか。

なにか、お薬師如来さま~お助けくださりませという感覚になってしまうなあ。

少なければお薬で、多ければ毒。

お薬となる量だって、肝臓などの臓器が代謝することに変わりはない。

できるだけ飲みたくないということが、つまり、二つ目の理由。

(昨日書いたコーヒーだって、含まれるカフェインは窒素を含むアルカロイドであるし、医薬品にも用いられているのに、実際の日常に問題はあまりないように摂取していることから、相当こじつけのような理由にも読めるけれど。)


一昨日、習い事のお仲間さんが、

咳、はやってますねえ。漢方がいいそうですよ。あそこの田中内科。長いことやってるし評判いいそうですよ。


なにせ、医者嫌い。検査嫌い。クスリ嫌い。

現代の医療に関する一般的な不信感が根底にある。

そうはいっても、特定の症状の緩和を考えて、行ってみようかなと思ってしまうから、僕も勝手なものだなあ。

昨夜も、咳で2回ほど目が覚めてしまった。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


ここ1カ月近く、夜の咳に悩まされています。

それが、コーヒーを飲むと、少し治まるから不思議。

効果は2時間程度ながらも、苦しい時は縋っている。

寝入りばなと、丑三つ時である午前2時前後。


コーヒーに効果があると実感する前、

寝れないのでドクター診断を仰いでしまった。

咳を抑えて、炎症が収まるようにしましょう。

肺はきれいだし、その昔のレントゲン写真との違いもなさそうだし、

聴診器でも変な音は聴こえません。

とのこと。


医薬品を体に入れたのも、

前回はいつだったか覚えていないけれど、

少なくとも10年(もしかすると30年?)以上は経過していると思う。

(この間、栄養ドリンクなども体には入れていない。)

処方された医薬品は、フスコデ配合シロップ。

でも、何か鎮咳の効果が出ない。

その理由の一つは、用法用量をドクターの指示通りに行っていないこと。

眠気が出るとのことで、車の運転を行う前は避けるために、

毎食後の1日3回、1回3.33mlとあるところですが、

アルバイトで運転しているから、朝と昼は飲用していない。

夜のみ。

しかし、飲用後、なにか咳が誘発されるような感じもあるなあ。

まだ、5日目ぐらい。

もう少し様子をみようか。

だいたい毎日なにがしかの運転を行っているしなあ。


この3日ほど夜中に飲んでいるコーヒーは

夏用というか、アイスようなので、濃いいこと濃いいこと。

ちびちび飲んでいます。

(コストコで購入した山本珈琲 冷の珈琲(ひやしのコーヒー)です。)

夜に濃いいコーヒーを飲むことはどうかと思っているけれど、

咳で寝れないよりも余程いい。

ドクターには悪いけれど、

昨夜の体感的には、シロップよりもコーヒーの方が今の僕には鎮咳の効果があるような。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


国境警備隊に米国へようこそと言われ

メキシコと米国西部カルフォルニア州の国境を越えた不法移民

中国 で、個人投資家として成功し、余生を過ごすのに十分な財産を築き上げた。

3万キロ以上の道のりを徒歩や公共交通機関、自転車などで移動

ニューヨークに住んでいる 月1000ドル(約15万5000円)弱の家賃を払っても生活に困らない。

「不法移民は貧しい」という構図も過去のものとなりつつある。

などと

「「貧しい不法移民」今は昔」(2024.6.13日経)にありました。


不法な移民を受け入れるということは、

法に守られないほど不当に安く使える労働力が流入する。

そんなことだと思っていたけれど、

それは、今は昔?

国境を警備する役割の人に ようこそ と迎えられ、

家賃に月1000ドル払っても生活に困らない。

不法に移民として入り込んだその場所で、

既に働いている労働者の労働場所を奪うのではなく、

その労働をより必要とする消費(や新たな雇用?をも)もたらしている。

そんなふうに読んでしまいました。


身体は国境を越えさせて、

元居たところで自由に使えていた財産も、越えたところでも使用できている。

そういうことなんでしょう。

いいことなのかそうではないことなのかよくわからないものの、

それも、現実ということ。

たぶん、いいこと方向のような。


記載のなかに、

「蛇頭に1人6万ドル費やす同郷人もいたね」

ともあることから、

不法な移民ビジネスは、相当な活況を呈しているのかもしれません。

儲かり過ぎて、自主規制していたりして。

そしてそれがまた、相場を押し上げていたりして。


不法でも何でも、生命・身体等の危機を感じて、

移民を行わざるを得ないとの判断をなされた人が全て、

十分な財産 があるわけではない。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


タイトルにした

適材適所。

この言葉に反対される方はたぶんおられない。

しかし、なんだかなあ。


「適材適所を得る社会に」(2024.6.11日本海)では、

自ら能力を高めて、適材適所を見つけていける社会が理想

大学教授の方が締めくくられています。


たぶんそのとおり。

でも、

自分がどんなことに適しているのか。

いつもわかっている人なんていない。

未だ行っていない、そんな立場に立ってもいないところで、能力を発揮できるのか。

理解できていないから、人は彷徨う。

先のことを考えて不安になってしまうんですねえ。

そう。

先のことではなく、

目の前のおもしろいことに。

へー、そんなことがあるのか。

小さなことがいい。

他の人が気づいてもスルーしてしまうようなことがいい。

そんなことの繰り返しや積み重ねが、そのうち、その時の自分から他の人から遠く離れて、もしかすると、相当な高みに到達することだって。


適材適所なんて、

後からついてくる言葉。

そこに適している材なのかどうか。

そこが適している場所なのかどうか。

わからないけれど居るのならやってみよう。

面白そうなことと感じたらやってみよう。


昨日書いたわき道。

わきかどうかもわからない。

でも、今は、どこなのかよくわからないけれど、ここに立っていますので。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


「生きることは、

たえずわき道にそれていくことだ。

本当はどこに向かうはずだったのか、

振り返ってみることさえ許されない。」

そんな言葉を残し、カフカは40歳で亡くなった。

(2024.6.3朝日の天声人語)の終わりの方にありました。

掲載日が、お亡くなりになってちょうど100年だそうです。


振り返ってみることさえ許されない。

とは、

そんな客観視のようなことができること自体が、

主体的に生きること、生きている現実からは、許されることではない?


動物たちも、DNAも、たぶん、振り返っていない と思う。

その時その時の対応の積み重ねのような。

そうして、人体も形成されてきたという面もあると思っている。


本当は は 考えなくていいのかもしれません。

考えたって、僕には、その 本当 が、結局のところでは、わからないのだから。


それに、わき道って、大概、興味津々となる。

集中力の無さが露呈されますなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


そうか含めないのか。

(そうか控除するのか。)


年金受給は請求していないので受けていないけれど「年金だより」が送付されてきました。

羨ましい制度適用者にも会いました。

彼は、公的病院の薬剤師をしている同級生で「タダ働きみたい。」と言っていました。

まあそれは、相当遜ったもの言いながらも、その趣旨は理解できます。


制度とは、在職老齢年金制度。

彼と私の満年齢は、この年度で66歳になる。


さて、その羨ましい制度適用の立場ですが、

年金繰り下げを選択すると、繰り下げ加算がされるので、加算された年金額で、その制度の一部支給額が計算される と 思い込んでいた。

じゃあないよ と、送られてきたたよりに書いてあったんですねえ。


そうなんですか。

知らなかった。


報酬は、標準報酬月額に1ヶ月分とした賞与額を加えた額

年金は、支給額から、配偶者などの加給分・公務員の加算分・繰り下げしたときの加算分、その3つを控除した額

その報酬と年金を合計して、50万円(本年4月1日から。(年600万円。)それまでは48万円)を超える部分の2分の1が年金の支給停止となり、停止された分には繰り下げしていても加算はなされない。

そういうことのようです。


つまり、彼は、どうなんでしょう、現役薬剤師として勤労しているので、その報酬だけで年収600万円は超えているのではないかなあ。

だから、年金を受給しようとしていても、繰り下げ待機をしていても、年金額(3つ以外の額)の半分(それとも全額)が停止や繰り下げ加算計算の対象外ということ。

だから、タダとまではいかないものの、相当減額となるのでしょう。

(そんな年収があることが、なんとも、他人から見て羨ましいというところとするのですが。)

そして、たぶん彼は長生きされそうなので、停止分の繰り下げ加算がないことを含めて、生涯受給的にお得感がない、もしくは、本当にタダのようなと言っているような。


じゃあ、僕は、

もっともっと、ジャカスカ、稼ぎましょうか。

いやいや、雇われていただく報酬は支給停止に掠らない程度に抑えておいて、

給与所得以外の所得(所得税法の上では10種類の所得があるので、給与所得以外の所得の種類は9種)を狙いましょう。

あ~あ。そんな儲ける術や能力はないなあ。

(なくていいー!)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


お疲れ様です。

いろいろお悩みが多く、

あれこれ考えなければならず、

ああだったこうだった、これからどうしよう、どうすればいいのか。

あああ、たしかにそう考えるだけで、疲れ果ててしまうような。


「「今、この瞬間」が疲れを癒やす」(2024.6.5朝日の知っ得なっ得)では、

脳の疲れは一晩寝たくらいでは回復しない。

一つのことに集中せず「心ここにあらず」の状態こそが脳疲労の原因

ぼんやりあれこれ考えているときに活性化するデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)という神経回路がある。脳の待ち受け状態みたいなものだから、1日の多くの時間はオンの状態で、脳が消費するエネルギーの6割以上をDMNが占めるといわれている。

でも脳が処理しなければならない情報量が多すぎると、DMNが暴走状態になって脳が疲れてしまうと考えられている

瞑想は、このDMNの活動を抑えて消費エネルギーの少ないセントラル・エグゼクティブ・ネットワーク(CEN)という神経回路を活性化させる。CENは、一つのことに集中したときに働く脳機能

瞑想で肝心なことは、過去の後悔も未来の不安もない「今、この瞬間」に意識を向けること。

瞑想は頑張り過ぎないことが肝心

などとありました。


いっつもオンの状態なんて、緊張していて疲れ果てる。

例えば、

車を運転していて、信号待ちの時。

僕は、

オートマチック車なら、すぐパーキングに入れて、ブレーキから足を離す。

この、足を離すということが大事。

MT車なら、ニュートラルに入れて、クラッチから足を離し、サイドブレーキを引きブレーキペダルから足を離す。

どちらも、オンの状態からオフの状態へ切り替えるということ。

たとえ赤信号の十数秒であったとしても。

そして、横側の信号を見て、あとどれくらいで、正面信号が青になりそうかを測りながら、足を解放した状態で、待機する。

これが、ドライブ状態で右足でブレーキを踏んでいる

若しくは、

クラッチを踏み、ブレーキを踏みながら、

正面の信号を見続けるなんてことをしていると、

運転なんてしたくなくなる。

あくまで、僕の場合ですが。


悩みで、夜中に「〇〇してない。」と飛び起きてしまったことがあったなあ。

現役の20代の頃だったし、

忙殺されて次々と処理しなければならないことが降りかかって、寝たと思ったら起こされたりしていた30代の頃。

そんな時に、半跏思惟像(切手にありました) を 思い浮かべたこともあった。

彫刻で国宝第1号とも言われている。

半跏ではなく、座禅のように、敷布団の上に座り、それぞれの手はその方側の膝あたりで親指と中指を接する程度で手のひら側を上に向けて、目を瞑っていたこともあったなあ。

(いつぞや、広隆寺霊宝殿に弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう)様を訪ねて行ったことがありました。)

瞑想することもあっていい。


おもしろい絵が記載にありました。

将来への不安岬、考えてもどうにもならない問題岩、自己評価沼、恥ずかしい思い出秘宝館、 それらを 各観光名所として そこから 離れて 「今、ここ」に集合させようとするガイドの明るい表情のお姉さん。

瞑想とは そんな感じでしょうか。


荒れている海岸の岬で独りぼっち。

どうにもならない高くて動かしがたい障壁の岩。

どんどん深みにはまっていく底なし沼。

やってしまったことは自分に隠せない思い出。


自分で瞑想するもよし。

何かを訪ねるもよし。

待ち受け から なにかを自分でやってみる。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


(2024.6.9日経の春秋)の終わりのあたりに、

オーダーを追加しようと手を挙げたら、笑顔で手を振り返された。

いや、そうじゃなくって。

つられてゆるむ頬に、

ありました。


どうですか?

オーダーを追加しようとして手を挙げるとき、

どんなふうにしていますか?

僕は、天上天下唯我独尊のように、

右手(特に、右左はこだわらない。その時の、配置によるかなあ。)

の人差し指を立てて、(親指も立っているか)手を挙げています。

(腕はあまり伸ばし切らないよう、中指などはあまり強く曲げないで、少し控えめな感じながらも、なにかをオーダー(注文)したい意思を表したいため)

(なお、その時に、左手で地は指しません。指せば、変な客と思われること確実)

今までに、

(あまりそんな機会はなかったものの)

その意思はくみ取っていただけてきたと思っています。


どうだろう、

春秋を書かれた方は、

手のひらを広げて手を挙げられたのだろうか。

それなら、手を振り返されることもありか。


マナーは知りません。

僕のやり方が、オーダーを受ける側にとって、失礼になってしまうことなのかも知らず。


お詳しい方が、

いや、そうじゃなくって。

苦虫をかまれていたりして。


いや、そうじゃなくって。

日常的にありますねえ。

ただ、

相手を見て、それを口にするかどうかを考える。

言ったって、詮無い場合は、言いません。

増えてきているような気がします。

それは、当方に原因があるのかなあ。

また、当方が、いや、そうじゃなくって と 思われている。

それも、増えているのかなあ。

ただ、まあ、それも良し としよう。

えらい、すみません。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


世の中の鏡をすべてぶっ壊そう。

そんな想いになった方もあるやもしれませんねえ。

勿論、できる事じゃありませんけれど。


歴史を振り返って考えると、元凶は「鏡」にあります。

鏡が登場した時点で、人間は自己肯定感を低くする危険にさらされたのです。

鏡に映った自分の顔を見て、「えっ、私って、こんな変な顔をしていたの?」と気づかされたわけです。

「ニーチェ 自分を愛するための言葉 もう他人と比べなくていい」(齋藤孝さん著)

にありました。


そうなんですねえ。

鏡を見れば自分の姿を脳の解釈(イメージの変換)を通じて観ることができる。

TVや諸々のメディアを見れば、総じて、美男美女が映し出されている。

日々、鏡を見ていれば、それらとの比較をどなた様も意識の上でなくともやっちまっているのでしょう。

そんなことしていれば、どうしても、自己肯定感は高揚しない。

(あくまで、私のお話しであって、3高などのあなた様のことではありません。)

ニーチェも自己のことでお悩みだったとか。


少し前の朝の連続テレビ小説を再放送されていた中で、

(身近なご婦人たちは意に沿わない結果を私も含めて受け入れているけれど)

〇〇ちゃんは、想った人と一緒になって欲しい。

そんなセリフがありました。

そうなって欲しいけれども、やっぱりなあ?一部の方が推しになってしまうよなあ。


鏡って、

古墳から出土する銅鏡。4・5世紀あたり?

一般庶民が手軽に鏡を手にできたのはいつあたりなのだろう。

手鏡というものを使ったことはないけれども、

あんな小さなもので役に立つのかしらん。

でも、普及の最初はそのようなものだったのかなあ。


男女が、別の男女とすれ違う時、

男性は向かってくる女性を見て、女性も向かってくる女性を見ると言われている。

そして、その後、手鏡で、己様を観るのだろうか?


著作名の中にもある、

もう他人と比べなくていい

また、

自分の嫌いなところをわざわざ探す「無限ループ」にはまる人たち

など、

そんな言葉に触れると、やっぱり、自分を、そして自分の為したことに、為そうとしたいことに、より注力していきたいなあ。

そうしていけば、それ以外の周りに意識が行く程度も低くなる。

そう思います。


鏡って、けっこう罪深い。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


市内の歩道でマスクを拾いました。

その横に、自動車メーカーの小さなエンブレム(硬質プラスチックのような)も落ちていたので、 あれれ、 ゴムのパッキンのようなものも、 それらも拾って、アルバイト先に戻り、ゴミ入れに入れました。

適正に処理されますよう 願いを込めて。


自宅の不織布マスクの説明には、素材はポリプレピレン不織布とありました。

ポリプロピレンは単量体としては、 CH2=CH(CH3)なので、

それを重合して繊維状にされている。

水に浮かびます。

拾わなければ、海に流れ、浮いて漂い、生物の消化管を何万世代も詰まらせる。

紫外線などでいくらか分解され、世界中の渚で絶え間なく細分化され、マイクロ化されると、細かくなればなるほど遠くまで大気中を浮遊して飛ばされ生物の呼吸器、肺胞などに留まって出すことはできない。


ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる。

それは見えている範囲で確かな事実。

しかし、

「プラごみ条約作り 規制対象に隔たり」(2024.5.28朝日)に、

プラスチックの現状と予測 OECDの資料から作成(の図では)

2060年は、

生産が12億3100万トン リサイクルや焼却などの排出が10億1400万トン

排出の中で、環境中への流出など不適切な投棄が15%(つまり1億5000万トンぐらい)

で、

海や湖、川への蓄積量が、4億9300万トン

ということでした。


いつぞや読んだ、海の生き物の総体重を、海に蓄積されるプラスチックの重さが上回る予測とのことだったけれど、その5億トンに近い数字は、そんなことを示しているのだろう。

そして、

おそろしい話だと思っているのは、

液体中の海水の中ではなくて、

気体である、大気の中に、

くり返すけれど、太陽光や世界中の渚・岩礁で手荒く洗われて、マイクロ化した、ナノ化したプラスチックが、何千年・何万年も、生き物を苦しめていくのじゃないかと思ってしまうこと。


拾ったマスク。

拾わないままなら、環境に暴露されて、細かくなって、必ず身近に帰ってくる。

それは、わが身に良い影響を与えるはずがないので、身に降りかかると言っていい。

前記の現状(2019年)では、

環境中への流出など不適切な投棄が3億5300万トンの22%(つまり7766万トンぐらい)ということなので、

僕が拾ったマスクと硬質プラスチックなどは、それをナノ程度軽減したに過ぎない。

環境への蓄積を対策するのに、海や大気に国境(国別)なんてとても滑稽。

人間っておもしろいことを言いますね。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


歯磨きができない。 と、

誤嚥性肺炎になり、熊本地震での震災関連死の29%が呼吸器系疾患

というような流れの図が、

「災害時の口腔ケア」(2024.5.27読売)にありました。


暴力的な地震などが落ち着いてから、人の生活をそれ以前と同じように続けることは難しい。

だから、関連死ということばが当たり前のように使われている。

歯磨きができないのはとてもつらい。

口腔内の細菌が増加して、気持ち悪いこと甚だしい。


避難生活を一部体験したいならば、

水のない歯磨きをしてみること。

食を2日ほどしてみないこと。

外気と同じ温度で就寝してみること。

そんなことを考えたりする。


先の、熊本地震での震災関連死の死因は、

29% 呼吸器系疾患

28% 循環器系疾患

13% 内因性の急死、突然死など

9% 自殺

6% 感染症

3% 腎尿路生殖器系疾患

2% 消化器系疾患

10% その他

とありました。


おそらく、災害発生以前からの慢性的な疾患が背景にあるのでしょうけれども、

感染症よりも呼吸器系が最も多いということは、

よく認識しておいたほうがいいと思う。


以前から思っていますけれど、

内科医よりも歯科医が大事。

内科系疾患は、自分の生活習慣が帰結するところ大。

歯科は、その入り口をいかに健全に保全するか。

内科は、自分で内臓に押し付ける食事内容を選択でき、それによる予防的なことも図れるけれども、

歯は、自分で治療できない。

おそらく、ブラックジャックさんのような力量があったとしても、

自分の体の内臓手術が可能であったとしても、自分の歯科治療は不可能だろうし。


水に不自由する歯磨きで、被災地を遠望することもしてみたらいいのか。

いつ、ボランティア活動に行けるのだろう。

体調不良(咳と鼻水)のこのごろ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


「(体を弾ませ)『ホップ、ホップ』っていう感じ」。

「走りやすい!」(7)

生まれつき右足の膝下がない。初めて板バネを借りて走り、

髪は汗で額に張り付き、頬は紅潮しっぱなし。

義足エンジニアで社長の遠藤謙さん(45)は、 「正直、僕は急いでいます。時間はお金で買えないんです。」

骨肉腫で左足を切断した女子高校生

遠藤さんは「準備できたら、また来るね。一緒に走ろう」

高校生は「走りたい」と目を輝かせた。

腫瘍の転移 不帰の客となった。

「病気による下肢切断の義足ユーザーから相談されると、僕は『退院直後は体力も落ちているし、回復してからやろう』と慎重に構える方だったのですが、ユーイング肉腫で足を失った佐藤選手は『走らせるべきだ。できるとき、できる範囲でチャレンジさせる環境を整えるべきだ』と訴える。それで、腹をくくりました」

などと

「心と体 義足でホップ」(2024.5.31読売)にありました。

抜き書きなので、同紙をお読みくださりませ。


正直、僕はあんまり急いでいません。

あなたはどうですか。

僕の場合は、やっぱり恵まれているからでしょう。

歩くことも走ることも、登ったり蹴ったり突いたり、果ては、4輪も2輪も楽しんでいる。


高校2年生の数学ⅡBで、ベクトルがあった。

半世紀前のことなので、今の数学の内容とは異なるのでしょうけれど、

その方向やその強さを表していたような。


7歳の子が額に髪を汗で張り付かせて喜んで走っている。

僕のベクトルは、その子のベクトルには比べようもなくみすぼらしい。

できる時にしなければ、できなくなる んだ。

そういえば、同じことをこの前の日曜日の車中で同じ仕事を行った人と交わしたなあ。

口にすることは易し、行うことは難し。

過去にしたことがあったからといったって、今日や明日はどうなのか。


本当のところ、

正直、僕は急いでいます。

焦っているのもにじんでいるけれど、

しずしずと、できる事を積み重ねようとしています。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


人の口に普及して入ってくるまでには、相当な困難があります。

ですので、

間接的に。


「魚養殖、「昆虫」エサに」(2024.6.4日経)では、

これからの魚は「昆虫」で育つ

養殖の現場で現在中心的な資料である魚粉にはカタクチイワシなどが使われるが、カタクチイワシはペルー沖などからの供給が不安定になりやすく、需給によっては価格が高騰する。

鳥などの残りかすや大豆ミールといった原料が使われるが、近年はたんぱく質が豊富な昆虫に注目が集まる。

カブトムシなどの仲間にあたる甲虫の幼虫「ミールワーム」を粉末状にして混ぜた飼料

などとありました。


おさかなさん て、

どんなものを食べているんだろう。

たぶん、その甲虫の幼虫が目前にあれば、速やかに食らいつくと思う。

そんな新鮮なものでなくとも、

たしか、

おだやかな浅瀬に建てられている海上の宿。

(相当、高級のような宿泊料だったか)

そこでは、トイレが直接その浅瀬に落とすこととなっているけれど、

人の排出物は栄養満点で、おさかなさんがすぐ寄ってきて、食べ尽くしてしまうとか。

そんな、広告を読んだことがある。


世界4大漁場。

(太平洋と大西洋のそれぞれ北側の東西で、暖流と寒流が交わるあたり。

太平洋北西部漁場・太平洋北東部漁場・大西洋北西部漁場・大西洋北東部漁場)

日本列島周辺や、ペルー沖も確かその漁場に入っていたかな?

そんなそれぞれの漁場もおかしくなってきています。

不安定という表現は適切ではなく、将来、従来からの漁獲量確保は困難も見込まれるとしたほうがいいような。


甲虫の幼虫は大きくて、

そのまま、人が口にするということは、ちょっと・・・。

おさかなさんに食べていただきましょう。

たぶん、おいしい?

お先にどうぞ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


美しい海は有名な観光地になっている場所だけ。

それ以外の海は、潮干狩りはおろか、海岸を散歩するのもはばかられる深刻なじょうきょうです。

人々が分別せずに捨てたごみで、あふれているからです。

などと、

「美しい海、観光地だけ」(2024.6.2日本海)にありました。


ヒトという生き物は、

何百万年もの人類史の中で、手にしたものを手から離す時に、そのものに応じた離し方をしてこなかった。

どんな離し方をしていても、そのうち、

そのうちとは、離した生物個体の寿命が尽きる以内の時間の中ぐらいで、

自然に帰る、つまり、分解されて、CO2やH2Oなどになり、

太陽の力を使って有機物を構成できる生き物、つまり、植物によって、再度、ヒトが手にしようとしたくなるものを目前に見せてくれることとなる。

そんなサイクルが遮断されている。


分別して、生ごみをコンポストで発酵させたいとされ、

また、生ごみ以外のごみの処分は記載がありませんでした。


人に、廃棄するものを分別してもらおうとすることは、なかなかに難しい。

フィジーの人たちの問題では確実にない。


あ~れれ。

手にしたもの?

モノもあればコトもある。

手から離していいんですか?

離すともう不可逆的。

そんなことを考えてしまうから、断捨離ができないんだなあ。


フィジーにも行ってみたいけれども。

どこに行くにも、その地元の人の生活に触れる、近づけるような経験をしてみたい。

ただ、今のところ、そこでは、分別が交錯している廃棄状況かな。

人のふんべつにたよらないと、人が作り出したモノの処分はできないなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


そんな印象です。


「来月から静岡側3ルートで富士登山システム運用」(2024.5.30日本海)では、

須走、御殿場、富士宮の3ルートで登山者に求める事前登録システムの運用を6月10日から開始

と ありました。


9月5日、午前7時42分、3685m

そんな表示を腕時計がしてくれます。

10年ほど前の9月5日。

前日に中腹にある駐車場に到着し、高度順応を兼ねて食事して早めの車中泊。

翌早朝の前、3時ごろから行動を開始。

登るにつれて、振り返ると後ろには、まるで、

犍陀多が見た亡者のように、ヘッドライトの夥しい行列。

明るさが出てくると駿河の海も遠望できる。

最高地点の石碑の在る所の到着が7時42分で、

その時の気圧や腕時計型の気圧計の性能の限りでの標高の表示が3685mということ。

よく覚えています。

お鉢巡りも、とても楽しかった。


なんか、そんな高所に行っていないのに、記事を見ると息苦しくなる。

静岡側、山梨側とも、

富士のお山に押し寄せる人々に苦慮なされていることは拝察できます。

もう、5合目とされるあの駐車場での車中泊はできないのかな?

ですが、

山に行く。

いろいろ約束事が増えると、その魅力がなにかなあ


別の習い事のペースに付いて行けず、

なかなか お山に 足を向けていないんだから 別にいいんじゃない。

そうなんですけれど。


アルバイトのお休みの日。

晴れて登山日和。

いいんじゃない。

ふらりと 向かってみれば。

近くのお山では、そんな約束事は少ないだろうし。

ん?

そういえば、

その9月5日。

たしか、富士山の登山期間が終了した数日後だったかな。

その時も、混雑を避けて、そんな日にしたような。

行く機会を作れるならば、たぶん、また、そうするのだろうなあ。

たしか、足元に、あられのようなものが落ちていたけれど、

それぐらいがちょうどいいんですが。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


光技術で速度と容量を向上させて、しかも省エネで。


どうも要は、電気を光で置換する技術みたいです。


カギを握るのが電子処理を光に置き換える「光電融合」

光を通信だけでなく、データ処理にも使う。半導体内部に組み込むと、集積する半導体チップや基板の処理を光に置き換え、大幅に消費電力を減らせる。

(いくつかの図では)

末端へは電気で、幹線は光で

だったものを、末端ー光ケーブルー末端 全て光に置き換える

遅延 200分の1、伝送容量 125倍、消費電力 100分の1

(そうなると)

まばたき1回の間に2時間の映画を1万本DL

1年に1回充電するだけのスマホ

信号処理に光を使い世界最小のエネルギーで動く「光トランジスタ」

などと

「IOWN 光が変える世界」(2024.5.21日経)にありました。


どうもよくわからないものの、開発されているNTTさん、期待してます。

よく解らないとしたのは、

どこまで光で置き換えるのだろうかということ。

PCのPCそのものと言っていいICUチップ(中央演算処理装置)まで、若しくは、その近くまで、光でできる部分があるように窺わせるような記載。


ともあれ、

現在のスマホを年1回だけの充電で使用できるなら、

1年と言うそれなりに長い、そんな期間でなくとも、

月1回の充電ならば電池の重さや体積を現在の12分の1にできる。

週末だけでいいならば、1年は52週なので、50分の1ぐらいにできる。

そんな素人解釈をしたりする。

ともかく、省電力な光で、なるべく多くを処理し、2030年ごろ普及見込みの「6G」(次世代通信規格)を司る技術の様?

2030年って、すぐだなあ。

AIさんのご活躍は現在の5Gが支えている。

でも、AIさんは電力を大量消費するとのことで、2050年には現在よりも167倍の電力を消費すると見込まれていて、電力を100分の1にする光置換がなければ、次の6Gやその次の7Gを支えられない。そんなふうにも読めました。


あー。人知の及ぶところではないような。

少なくとも、僕は付いて行けない。

でも、知らないうちに恩恵にあずかってしまうのだろうなあ。

今の、5Gさんのように。

それにしても、

IOWN(アイオン)

イノベーティブ・オプティカル・アンド・ワイヤレス・ネットワーク

Innovative Optical and Wireless Network

(英語に不堪能な当方としては)なんだかわかりにくいこと甚だしい。

簡単に、全ライン光置き換え と言った方が 僕には解りやすいし、

第一に「光」が「IOWN」の中に含まれていないのはどうも。

(たぶん、それでは意味が正確に伝わらないということなのでしょうけれど)

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


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