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可能性を捨ててきた。(おもしー730)

それはそうなんですけれど、

まあ、いい道を歩んできたと考えておこうじゃありませんか。


「人生の目標見つけられない」(2024.7.6読売の人生案内)のなかで、

ひとつの人生を選んだということは、ほかの多くの可能性を捨ててきたということでもあります。

とありました。


一部をはしょっているので、回答者の本意とは離れてしまうのでしょうけれど。

幼いころに将棋の駒の動かし方を教えてもらい、

盤上の勝負に臨んだものの、

どうにもこうにも局面も読めず先も読めず、

たぶん、現在の実力も、その当時と大して変わらない と 思う。

かくして、羽生さんや藤井七冠のような人生を歩もうとする可能性すら想像できていない で よかったなあ。 と 感じることは、幸せだったと思っている。

大谷翔平選手の誕生日が7月5日で、身近な人が同じ日でした。ご年齢は一つ違いということで、世界的なスポーツ選手への道はそれはそれは素晴らしすぎる。

そうはなられていなくても、その方にしたって、そんなに捨てたもんじゃないんでしょ?


楽しそうであればいいのですが、

苦しみに満ちたような歩みを続けなければならないことは そんなこともないとは言いませんが、

道なき道を歩んできた どなたさまも。

ほかの多くの可能性などとは、振り返って考えてみることではないかな。


可能性を捨ててきた のではなく、

可能性を育(はぐく)んできた。

そう思いましょうよ。

たとえ、目の前のことに直接役立たなくても、

たとえ、この社会の現状で、評価があまりないことだったとしても、

え。それはどうなのかなあ。

といった疑問を大事にしたり、

発生している事象を大事にし、その対処に悩んだりすることは、

自分の明日の可能性を育んでくれる。


誰の人の道ではありません。

そう、僕の道です。

こんな自分にしては、まあ、やっているではありませんか。

どなたさまも。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


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