日本の古民家が「KOMINKA」として、海外移築。
米国の中間層に手が届く数千万円で提供できるメドが立っている。
日本人が、しない、できない、事をしていただけることはありがたいことなのですが。
なにか、幕末の浮世絵の流出のような。
建築デザイナー、カール・ベンクスさん(81)がよみがえらせた相鶴庵
元は農家で江戸から明治にかけての家。
コンクリートの基礎を築き、床暖房を入れた。壁には断熱材、傷みやすい水回りもきれいにした。
いつからか、日本では何でも新しいものが好まれるようになった、とベンクスさんは言う。「ドイツには『森の中にいると木がみえない』ということわざがある。それと同じかな。」
輸送費には300万ほどかかった。そこまでして生かしたいと思わせるほどの魅力が、古材にはある。
森で100年、家を支えて100年、200年。そしてまた別の家の柱となって100年と。本来、木は生き続けられる。
などと
「KOMINKA 木は200年かけて強くなる」(2024.5.19日経)にありました。
他人ごとではありません。
この住居。
曾おじいさんが大正15年に建築してくれた家屋。
大正15年(昭和元年)は再来年2026年で100年間が経過することとなる。
いつか2階の屋根裏、大屋根の木組みを覗いたときに、
支えている木に必要のなさそうなところに穴があったけれど、
この家屋を建築する前の家の古材を使ったとも聞いたことがある。
それならば、100年どころか200年、木材としては経過していることだったあるのかも。
日本中に空き家のまま朽ちている、放置されている、構造材が雨ざらしになっている、そんな家屋がどうしても目についてしまう。
道路から見えるだけでも相当ある。ましてや、人の目に触れにくいところではなおさらなのだろう。
日本人が価値を見出せなくなったものを、別の目を持った、それが外国の方であっても、大事にしてくれるならば、いいこととして受け入れたい。
かつての浮世絵が外国にその場所を得て、ふすまの下張りなどに使うのではなく、保全していただき、その後日本に里帰りのように、その間のないがしろにしていた状況を忘れたかのように、国内で喜ばれる機会があったりする。
複雑ながらも、ありがたいこと。
建築物だって、移築費用は相当なものだろうに、そこまで踏み切る方もあるのならば、その先には、日本人が忘れてしまった古民家の風景を、そこまで行って、有難いと思う機会もできてくるのか。
それにしても、
日本円で数百万円とか数千万円とか。
外国の方の感覚では、円安で感覚的にはその半分程度の負担感?
円安が憎たらしい。
それとも、
今の円安の機会を借りて、
KOMINKAの移築をするチャンスと捉えていただけて、古民家がKOMINKAとしてその価値を維持してくれる。
そう思ったほうがいいのか。
さて、
どうしましょう。
70年ほど前の鳥取震災にも耐えてくれたこの100年住宅。
関係者のご意見をお聞きしましょうか。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。