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フィジー(おもしー692)

美しい海は有名な観光地になっている場所だけ。

それ以外の海は、潮干狩りはおろか、海岸を散歩するのもはばかられる深刻なじょうきょうです。

人々が分別せずに捨てたごみで、あふれているからです。

などと、

「美しい海、観光地だけ」(2024.6.2日本海)にありました。


ヒトという生き物は、

何百万年もの人類史の中で、手にしたものを手から離す時に、そのものに応じた離し方をしてこなかった。

どんな離し方をしていても、そのうち、

そのうちとは、離した生物個体の寿命が尽きる以内の時間の中ぐらいで、

自然に帰る、つまり、分解されて、CO2やH2Oなどになり、

太陽の力を使って有機物を構成できる生き物、つまり、植物によって、再度、ヒトが手にしようとしたくなるものを目前に見せてくれることとなる。

そんなサイクルが遮断されている。


分別して、生ごみをコンポストで発酵させたいとされ、

また、生ごみ以外のごみの処分は記載がありませんでした。


人に、廃棄するものを分別してもらおうとすることは、なかなかに難しい。

フィジーの人たちの問題では確実にない。


あ~れれ。

手にしたもの?

モノもあればコトもある。

手から離していいんですか?

離すともう不可逆的。

そんなことを考えてしまうから、断捨離ができないんだなあ。


フィジーにも行ってみたいけれども。

どこに行くにも、その地元の人の生活に触れる、近づけるような経験をしてみたい。

ただ、今のところ、そこでは、分別が交錯している廃棄状況かな。

人のふんべつにたよらないと、人が作り出したモノの処分はできないなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


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