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元凶は「鏡」(おもしー697)

世の中の鏡をすべてぶっ壊そう。

そんな想いになった方もあるやもしれませんねえ。

勿論、できる事じゃありませんけれど。


歴史を振り返って考えると、元凶は「鏡」にあります。

鏡が登場した時点で、人間は自己肯定感を低くする危険にさらされたのです。

鏡に映った自分の顔を見て、「えっ、私って、こんな変な顔をしていたの?」と気づかされたわけです。

「ニーチェ 自分を愛するための言葉 もう他人と比べなくていい」(齋藤孝さん著)

にありました。


そうなんですねえ。

鏡を見れば自分の姿を脳の解釈(イメージの変換)を通じて観ることができる。

TVや諸々のメディアを見れば、総じて、美男美女が映し出されている。

日々、鏡を見ていれば、それらとの比較をどなた様も意識の上でなくともやっちまっているのでしょう。

そんなことしていれば、どうしても、自己肯定感は高揚しない。

(あくまで、私のお話しであって、3高などのあなた様のことではありません。)

ニーチェも自己のことでお悩みだったとか。


少し前の朝の連続テレビ小説を再放送されていた中で、

(身近なご婦人たちは意に沿わない結果を私も含めて受け入れているけれど)

〇〇ちゃんは、想った人と一緒になって欲しい。

そんなセリフがありました。

そうなって欲しいけれども、やっぱりなあ?一部の方が推しになってしまうよなあ。


鏡って、

古墳から出土する銅鏡。4・5世紀あたり?

一般庶民が手軽に鏡を手にできたのはいつあたりなのだろう。

手鏡というものを使ったことはないけれども、

あんな小さなもので役に立つのかしらん。

でも、普及の最初はそのようなものだったのかなあ。


男女が、別の男女とすれ違う時、

男性は向かってくる女性を見て、女性も向かってくる女性を見ると言われている。

そして、その後、手鏡で、己様を観るのだろうか?


著作名の中にもある、

もう他人と比べなくていい

また、

自分の嫌いなところをわざわざ探す「無限ループ」にはまる人たち

など、

そんな言葉に触れると、やっぱり、自分を、そして自分の為したことに、為そうとしたいことに、より注力していきたいなあ。

そうしていけば、それ以外の周りに意識が行く程度も低くなる。

そう思います。


鏡って、けっこう罪深い。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。


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