タイトルにした
適材適所。
この言葉に反対される方はたぶんおられない。
しかし、なんだかなあ。
「適材適所を得る社会に」(2024.6.11日本海)では、
自ら能力を高めて、適材適所を見つけていける社会が理想
と
大学教授の方が締めくくられています。
たぶんそのとおり。
でも、
自分がどんなことに適しているのか。
いつもわかっている人なんていない。
未だ行っていない、そんな立場に立ってもいないところで、能力を発揮できるのか。
理解できていないから、人は彷徨う。
先のことを考えて不安になってしまうんですねえ。
そう。
先のことではなく、
目の前のおもしろいことに。
へー、そんなことがあるのか。
小さなことがいい。
他の人が気づいてもスルーしてしまうようなことがいい。
そんなことの繰り返しや積み重ねが、そのうち、その時の自分から他の人から遠く離れて、もしかすると、相当な高みに到達することだって。
適材適所なんて、
後からついてくる言葉。
そこに適している材なのかどうか。
そこが適している場所なのかどうか。
わからないけれど居るのならやってみよう。
面白そうなことと感じたらやってみよう。
昨日書いたわき道。
わきかどうかもわからない。
でも、今は、どこなのかよくわからないけれど、ここに立っていますので。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。
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