• 記事検索
RSS

平気で生きていくこと(おもしー707)

<悟りといふ事は如何(いか)なる場合にも平気で死ねる事かと思つていたのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた>

(2024.6.13読売の編集手帳)で、

死の3ケ月前の正岡子規の『病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)』が紹介されていました。


明日は生きていないにしても、今日は平気。

それって、誰もがそう。

明日、必ず生きていると知っている人はいない。

ただ、子規のように、(当時では)不治の病の結核を得て、脊椎カリエスで床に伏し、褥瘡等に苦しまれ、34歳で亡くなった人の言葉は重い。

そんな苦しみを受けていない僕のような者の言葉など、屁のようなもの。


悟りと思う思わないは置いといて、

平気で生きている。

それとも、

平気のように生きていく。

そうなって欲しい、ああ成りたい、思っていることに近づけなくて、

心身の痛みを逃れようとして、

とてもとても、平気の素振りはできないなあ。

ましてや、 平気で生きているなんて。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


コメント
name.. :記憶
e-mail..
url..

画像認証
画像認証(表示されている文字列を入力してください):