検討すらしない。
大事であればあるほど検討することから遠ざかろうとする。
問題が顕在化することを極度に恐れる。
なんでもそうだ。
くそくらえと言いたい。
「改革不在の年金財政検証」(2024.6.28日経の大機小機)では、
受給開始年齢を引き上げる選択肢をなぜ検討すらしないのだろうか。
5年に1度の公的年金の「財政検証」が検討されている。
5項目が対象だ。いずれも技術的な論点ばかり
多くの先進国では、年金受給開始年齢を67歳などに引き上げることを国民に訴え、実現した。日本も厚生年金で3年ごとに1歳引き上げてきたが、2025年に65歳に到達した後の引き上げの検討を避けてきた。これを示せば選挙に負けるというが、それなしにどう年金を維持するのか。
日本の年金給付は諸外国と比べて少ない
経済協力開発機構(OECD)によれば、平均賃金と比べた厚生年金などの個人の給付水準は39%で、OECD平均の61%などに大きく見劣りする。
などとありました。
現に検証を任されている人々のみならず、
現職も含めて総裁候補者と言われている方々も、おそらく、触れないだろう。
つまり、無責任の人々であるという証明です。
長寿命になればなるほど、それを寿ぎながらも、
それを支える制度もその内容を移行せざるを得ない。
当たり前のことだ。
その当たり前が通用しない社会。
長寿のお国として、世界に誇れる。
そこに後ろめたさが、国にしても、年金受給者にしても、未受給者にしても、どうしてもつきまとう。
なにが?
そのひとつが、年金への信頼感の無さ。
支給水準は低く、寿命の延びに開始年齢の伸びが付随して行っていない。
生活できない額の受給額。
基礎年金で年額80万円に至らない。
どうして生活できましょうに。
こんなことでは掛け金納付意欲は高まらないなあ。
(納付率は向上したとどこかにありましたが、それは分母を少なくしたことが寄与したのでは。つまり、免除の申請を理解していただいた? 納付額が増えた、つまり、分子が多くなったとは到底考えられません。)
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」