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人間の寸法の場所(おもし738)

「人間の寸法の場所」で生きる。

(2024.7.9日本海のいなば余談)にありました。


僕の人間としての寸法は、大したことないなあ。

それなら、

その生きている場所が、その寸法に合っている ということかな。

場所に余裕があるのか、

寸法がまだまだなのか。

(いやいや、縮小している?)

それとも、

寸法が収まりきらないのか、

場所がそれほどでもないのか。


なんか、ヤドカリさんみたい。

彼らに言わせれば、さっさと、宿替えしないと生きていけないよ。

僕らには、生死がそこにもかかっているんだ。速やかな判断と行動が。


昨日の咳ぜんそくリハビリ山行としての大山。

2週間前よりも少し余裕があった。

リハビリとの位置付けで、しばらくは1・2週間おきに継続したい。

山頂での空手の型を行うのも気持ちよい。

大山の日帰り山登りは、今の僕にちょうどいい感じのリハビリ。

夜明け前後や雨上がりの森や、沸き立つガスの中、空気がうまい。

そんな寸法(ほんの一部ながらも) のような 今日この頃。


そろそろ梅雨明けの気配。

良くも悪くもというか、

夏の居場所は、ただ単に、建物内で涼んでいては、身を亡ぼすような。

この夏はどこの場所で、身を削って(それは身を構築することだと思って)生きましょうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


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