郡部に住む者として、
地域の中心市に、何かと通っている。
通学もその一つ。
その間に峠道があれば、越えていかねばならない。
肉体的にも精神的にも、ひとりの生身の人間として、
その壁を自分の力で乗り越え、そして帰っていく、
そんなことを日常的に行うことが、峠道を含む路を使う通学ということ。
そんな過程や道を使うのであれば、必ず、今や、将来の糧になる。
親御さんも心配であろうけれど、子供がそうしたいと言い出したのならば、そうさせてほしい。
昨日の朝も、大型バイクで、喘ぎながら上り坂を進む高校生らしき者の自転車を、その5倍程度のスピードで追い越した。
かつて、半世紀前に、僕もそうであった。
誰か知らないけれど、数々と車やバイクが追い越していった。
そう。
その時に、様々に思う。
追い越される者も、追い越す者も。
かつての事や今の事、そしてこれからの事。
明日があると思って、希望もあるだろうし、
明日は来ないと思っても、でも、今はあるじゃないか。
頑張っているその後ろ姿に、こちらが元気をもらっている。ありがとう。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
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