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何を畏れましょう。(おもしー751)

久しぶりに、沢木耕太郎先生。


(2024.7.27朝日の連載小説)の最後のあたり、

「その疑い、喜んで引き受けましょう」

「 何物でもない講釈師馬場文耕が何を畏れましょう。畏れるものは天のみ。天の道に外れたものは畏れるに足りません」

ありましたが、詳しくはお読みくださりませ。 


先日アルバイト先の方が いいことがありません。変なことばっかり。

とされたので、じゃあ、そのあたり僕が貰いましょう と言ってしまいました。

二輪運転で僅かな(?)速度超過の疑いもある日常の中で、

参照:「気をつけて、走行してください」ですって(おもしー748)

その程度の疑いも、その方が受けられた御老人からのお小言・叱責でへこんでしまわれたことも、

喜んで引き受けましょう。

しれたことです。

もっと大事なことだらけのこの周りです。

 何物でもないアルバイトの高齢者が何を畏れましょう。畏れるのは自らに恥じる事。それぞれが自らに恥じるのであれば畏れるに足りません。

そうなんですが、

恥じてばっかりなのが玉に瑕。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


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