少し違うなあ。
まともに相手にしない。
これも違う。
先日、セルフ式のガソリンスタンドで給油していた時、
隣のレーンで何やら大きな声。
ずっと待っていた。 さがれ。
見ると、何台か(2台だったか)給油を待って縦列で並んでいる車列の正面側に前から入ってきている車があり、その運転手さんが車から降りてきて、縦列車の先頭の車に向かって声を大きくさせていた。
早くに待っていたのはそうかもしれないけれど、
縦列車の運転手さんたちは、車の並びの後ろについて待っていただけのこと。
それを、
下がれ。 と言われても、後ろに車両もあるのにそんなに下がれないし。
言っている方は男性であるし、言われている方は女性であった。
しかたなく、女性は車を下げて、
男性はぶつぶつそれなりの大きさの声を何やら発しながら荒っぽく給油を開始していた。
(2024,11.4日経の春秋)に、
現実世界の米大統領選挙が近く投開票日を迎える。
民主主義のひとつのお手本という役割を期待されてきた選挙だが、
近年は聞いていて気がめいるような罵倒や中傷など、がっかりさせられる場面が目立つ。
などとありました。
気がめいる場面はそこらに落ちている。
隣のレーンは他人事として、
タイトルのとおり、静かに立ち去ってしまいましたが、
少し違います。それだけじゃあない。
僕にも聞きたくもないそんなこと聞かされて、
気がめいるだけじゃなく、言われる筋合いはないようなことを大声で迫られている現場がここにある。怒りが生じる。
先日というのは日曜日だったから、3日前のこと。
忘れずに記憶にある嫌なことになっていて、
読まれている方にその分配をしてしまうこの記載。
(すみません。)
現実の世界には、
子供たちのお手本にならないことがたくさんありすぎて、
子供ではないとされる大人と呼ばれる者たちのやるせなさを深めてしまう。
まともに相手にしないのは大人の対応なのだろうか。
たぶんそうしてしまうのだろうけれども、
僕は、立派ないい大人さんではないなあ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」