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東京・大手町から半径8キロメートルの地域にあるビルをデータセンターに改修

利用者とデータ拠点の距離を縮め、通信遅延が小さくなる利点を打ち出す。

コンマ数ミリ(ミリは1000分の1)~数ミリ秒単位と極めて遅延の小さい通信サービスが提供できる

例えば、リアルタイムの事故防止が求められる自動運転や遠隔医療、eスポーツの競技会などでの利用を想定する。

などと

「都心でデータ拠点開発」(2024.11.12日経)にありました。


うーん。

裏を返せば、自動運転は確かにリアルタイムの判断でなければということで、

その程度の物理的距離でなければということなのか?

それが、8キロメートル程度の距離?

かつて、100Mビットパーセントの通信スピードが確保できたとき、

そのスピードは、ひとつのPC内での中央演算装置のCPUと記憶装置との情報伝達の速度であり、もはや、物理的な距離はPCの内外を問わないような広告があったと思っている。

でも、やっぱり、近くなければリアル対応は難しいということか。


ヒトの反射神経というものも、

いちいち遠くの脳に判断を求めるのではなく、

その手前で反射的に対応するよう出来ているようです。

そんな早い対応でなければ、先にやられてしまう。

(僕の反射神経はどこに?)

遠くのデータセンターとの通信では、通信遅延となる。

だから、近くにその拠点を置こうとするもの。

それなら、

将来的には、そこらうち中に立っている、携帯電話のアンテナ施設のある基地局にデータセンターもどきが備わっていくことになるのかも。

それが理想的なのか?

(携帯電話と表現すること自体が古臭いなあ。)


光や電気のスピードには限度がある。

それ以上には加速できない。

だから、近くがいい。

だけど、そんなに早すぎて、僕は理解できないにしても、

そのうち、自動運転など、何かを利用するときには、

遅いなあ と感じるのかもしれません。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


もっと鍛えていけばチャンスはある。これからが勝負

(と)言い切った。

「石川が通算20勝目」(2024.11.12日本海)にありました。


自分ではしないものの、TVで見ていても面白いものにゴルフがあります。

吸い込まれるような

青空に、グリーンのカップに、

そんなゴルフボールの軌跡を見ることに、ワクワクしてしまう。

空で、グリーンで、曲がりながらも吸い込まれて行ってしまうんですねえ。

そんな期待を持ちながら、ライブ映像を見させてもらうことは時折の楽しいひと時。

もちろん、吸い込まれてしまうことのほうが少ない。


ゴルフをしないので、名前を一般報道で知らせてもらう程度のことながら、

33歳の石川遼さんの今季2勝目で通算20勝目を挙げたとあり、

本人のコメントの中にあったものが、

冒頭のもの。


そもそもチャンスはあまり来ない。

チャンスが来てくれても自分のものとできなくてそのまま素通りしてしまう。

そんなことの繰り返し。

しかし、

心の面であろうが、体のことであろうが、

たいがいは両方にかかわることだろうけれども、

それぞれらの鍛えをしていれば、

チャンスは来る。

と言うか、チャンスだと自覚できる。

そして、

そのチャンスに挑戦しやすくなる。

そしてその上でも、たいがいのチャンスはものにできなくて、それなりによかったなあと思えるのはほんの少し。

ああ こうだった、もう少しこうしておけば を 糧に思えるかどうか。

そんなことをどれだけ積み重ねられるかどうか。

向かっていなければ、糧になりにくい。


2位となられた方のコメントに、

なかなかチャンスをつくれなくて、苦しいラウンドになった。石川選手は優勝にふさわしいプレーだった

とされていました。

この方の姿勢も素晴らしい。見習いたいところです。


さて、本日も、少しばかりですが、何か鍛えましょうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」 


「賃上げ率に応じて基礎控除などを引き上げようとする姿勢は、税制のあり方としては正しい」

納税者の大多数に影響し、多額の減税効果が見込まれる。

財務省の抵抗は予想できる。

「103万円の壁を阻むもの」(2024.11.5朝日)にありました。


だから、

タイトルに入れた、

多額の増税とは、賃上げ率に応じた減税を意図的に怠ってきた不作為の結果。

基礎控除などの引き上げで減税されたとしても、それは、ある意味元に戻るだけのお話。


物価は上昇し、賃上げはあってもそれに追いついていない。税制は動かざる山のごとしで、名目賃金上昇で増税され続けている。

その具体的な表れが、103万円の壁と言われているもの。

何兆円とかの減収と騒いでいる方が多いようですが、

この間、何兆円もの増税を呑ませ続けてきたのは、

そう言っている人たちです。

関連:見え透いたやり方、全体像が見えない103万円(おもしー852)


税制のあり方として正しい?

税制のあり方を提言為される各々の組織の何たる情けなさか。

政府税調?自民党税調?それ以外・・・・。

財務省はそんなとこにこそ抵抗の矛先を持っていってほしい。

それが公僕というもの。

賃上げ率に応じて基礎控除などを引き上げようとする姿勢 そんな姿勢はどこを探せば発見できるのでしょうか。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


安保分野などでは、最も無難な基本路線をプランAと呼ぶ。

米国1強の時代は、米国の「安全保障の傘」にただ乗りするのが、アジアや欧州の主要国にとってプランAだった。

中国が強大になり、ロシアがより好戦的になるにつれ

日欧の米同盟国が選んだのは修正版のプランA´だ。

米国以外の友好国と安保協力を強め、米国の関与が息切れするのを防ぐ。日本は米印、オーストラリアと「クアッド」の枠組みを強め、日米韓や日米・フィリピンの連携を深めてきた。 

米軍の対外関与を大きく削ったら、プランA´も成立しなくなる。

主要国は米軍への依存をさらに減らした安全保障を探らざるを得ない。いわば、プランBだ。

などと、

「「プランB」の時代に」(2024.11.8日経)にありました。


中国が強大に?

ロシアがより好戦的に?

息切れが続いているのは中国やロシアのようにも感じるけれど。

中国は出生率が1あたりとかで、人口ピラミッドが、もはやピラミッドと呼ぶにはひっくり返りようで日本以上に危ういお国柄みたいだし、

ロシアも自国の戦闘員だけでは戦闘継続が危ういような報道もあるし、

強大であり続けたくとも、好戦的でい続けたくても、それもまたあまり持続可能として難しいと思えます。

一方、

米国さんも依存され続けてもらっても嫌ですよということもよくわかる。

仲良くできたらいいのにね。

できないんだなあ、それが。


だから、

プランCやD。

囲碁や将棋では、先の先を読んで布石する。

僕の生活のプランAやA´は人間社会で許される表向きの顔。

プランCやDがあるならば、それは、今の人間社会からすれば奇想天外と呼ばれてもそんなに差し支えないものになる。

僕において、具体的にあるわけではないものの、プランCとまで行くのならばこそそうだと思える。


アメリカさんは、今後の4年間でそんなに変化できるわけではないと思えます。

ただ言えると思っているのは、

南アフリカ出身の方が企業為されたりできている環境があるからこそ、アメリカはアメリカなんだと思っています。

人は居住環境を大きく変える負荷を得てその人もまた大きく変わる部分が大きいと思っておりますので。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」 


食べたものは30~60分で小腸に進み、

5~6時間かけて栄養を吸収される。

次の大腸を24~72時間で通過する間に水分を抜かれ便となる。

「「たかが便秘」は大間違い」(2024.11.7日本海)にありました。


いったい、

24~72時間もの時間をかけてまで大腸は何をしているのか、内容物は何をされているのか。

記載の 水分を抜かれ との説明は各所でなされているものの、

本当にそれだけなのだろうか。

そうとは思えない。

それだけの時間をかける必要があるからこそ、

消化管内に留まらせている、留まってもらっている。

と感じています。

単に水分回収のためなら、

もっと多くを、もっと短時間で、もっと低エネルギーで取得できるのではないか。


鳥のように体重を軽くしたい生物は、水分の多い便を流れるように排出していると思う。

ヒトだって、栄養を吸収されてしまいもはやあまり必要でないならば、さっさと液状のまま排出すればいいのにそうはなっていない。


僕が思う、留まらせることの効用として、

(いろいろあると思うなかの)ひとつだけ書くと、

それは、発酵熱・分解熱の利用での体温維持。

就寝中の体は、筋肉の動きからの熱はあまり得られない。

その間の体温維持のため、静かに、恒常的に、熱を発生させることはどうしたらいいのか。

大腸内の嫌気性微生物たちが、

酸素がほぼ含まれていない環境で、静かに、

ヒトが栄養として取り込めないで カス などと時に呼ばれたりもする食物繊維つまりセルロースなどを分解してくれる。

そこで発酵分解の熱が発生する。

大腸の細菌がよく働いてくれれば、体は暖かくよく眠れる、そう思っています。

しかし、それには時間がかかるので、24~72時間もの間排出されない。

鳥はそんなことができないので、暖かいダウンのような羽毛が必要となる。


な~んてね。

どなたさまも、信用為されないように。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」 


なんかおかしいよ。


「自民「103万円の壁」上げ議論」(2024.11.7日経)では、

国民民主は1995年からの最低賃金の上昇率1.73倍にあわせて178万円に上げるべきだと提起する。

政府はこの場合、国・地方で年7兆~8兆円ほどの税収減を見込む。

一律10%で課している地方税収の減少が4兆円程度と、所得税収よりも大きくなる計算だ。

消費者物価指数 2023年度は 1995年度と比べて 物価の上昇率を踏まえて控除額を算出すると1.1倍の113万円となる。

などとあり、


また、

「年収の壁見直しで住民税減収4兆円」(2024.11.6日本海)では、

住民税の減収額は、基礎控除を現行より75万円引き上げた場合で、機械的に計算した。

ともありました。


基礎控除を所得税であれば45万円から、75万円追加して、120万円とするとした機械的な計算で4兆円?

それ自体は、そうなんでしょうけれど、

基礎控除を増額するということは、

それは、すべての所得被捕捉者に対して120万円ということですよ。

それならば、年金受給者だって、個人事業者だって、不動産収入のある方だって、

退職所得や分離課税収入のある所得者だって、

つまり、パートタイマーの給与所得者のみならず、

税額が出る出ないにかかわらず、所得のある方すべてに関係があることで、

4兆円が示されています。

これって、単なる逆の意味の見せ金ですね。

やりたくないための、財務を司るところの数字を大きくして影響が大きいですよと脅す見え透いたやり方。


機械的に計算するならば、

基礎控除を現行より75万円引き上げたとする

(わざとこういう試算をするのでしょうけれど、)

のではなく、

僕ならば、

(75万円を半分づつ程度に分けてわかりやすいような数字にして)

基礎控除は(今の45万円に)+30万円の75万円、

給与取得控除は(今の55万円に)+45万円の100万円、

として、計算するなあ。

それなら、基礎控除、給与取得の控除、共に提起できて、それらの議論の始まりにふさわしい。

働いて収入が増えて、それが壁になるならば、給与所得控除の拡大は外せないのに。


そしてまた、

物価の上昇率に基ずくならば、103万円を113万円に?

そんなお茶を濁すようなこと選挙前に言えば大敗されますよ。

選挙前はそれこそ全候補者さんが年収の壁を問題にされていたと思っていますので。

選挙後だから少しづつ小出しにする姑息なことを言いだしているだけ。

生活していての物価高は28年(2023年-1995年)で10%増程度?そんな感覚ではないと思います。


年7兆~8兆円ほどの税収減ということは、

この間、それだけ実質増税されてきたと語る方は今のところどこにもいませんね。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


突然死ぬ人、事故で死ぬ人、病気で死ぬ人、死因はさまざまですが結局のところその人のもって生まれた寿命なのだと思います。

心配要りません。

人は全員、いつかちゃんと死ねます。

死なない人は一人もいません。

「長生きにこだわらない」(矢作直樹さん)にありました。


また、

「金の心配」と縁を切る考え方

が、

「65歳からを最高に愉しむ 身軽な生き方」(山﨑武也さん)にありました。

それぞれ、どうぞお読みくださりませ。


心配要りません と、死んでしまうことを保証してもらって、

なんだか安心するような気持になるから不思議。

ひとは確実なことを言ってもらうと安心するということか。


先週に観た「地面師」のドラマの中で、

突き落とされるタイミングを、

三、二、一、ゼロのゼロとしましょうと言っていたので、

少しほっとしていたのに、

三と言ったとたんに押されて落とされる場面があった。

ひとは、三とゼロのあいだの、ほんの2秒間ほどの時間の確保でも、

生き残る時間を得て、少し安心できるものかもしれません。


道具としてのお金が必要なのは生きているうち。

つまり、生きているうちは、お金も含めて様々な道具が必要で、

使える道具は徐々に少なくなった来るけれども、

最後のほうまで使える道具にお金があるこの人間社会。

そんな社会で、金の心配と縁を切る、

そうできるのであればそうありたいものですねえ。

つまりは、あまり必要としない生活ということなんでしょうけれど。


なにか、終活も含めて、あまりじたばたしてもしょうがないような。

自然体(と思っているだけ?)で生きていけれればありがたい。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


少し違うなあ。

まともに相手にしない。

これも違う。


先日、セルフ式のガソリンスタンドで給油していた時、

隣のレーンで何やら大きな声。

ずっと待っていた。 さがれ。

見ると、何台か(2台だったか)給油を待って縦列で並んでいる車列の正面側に前から入ってきている車があり、その運転手さんが車から降りてきて、縦列車の先頭の車に向かって声を大きくさせていた。

早くに待っていたのはそうかもしれないけれど、

縦列車の運転手さんたちは、車の並びの後ろについて待っていただけのこと。

それを、

下がれ。 と言われても、後ろに車両もあるのにそんなに下がれないし。

言っている方は男性であるし、言われている方は女性であった。

しかたなく、女性は車を下げて、

男性はぶつぶつそれなりの大きさの声を何やら発しながら荒っぽく給油を開始していた。


(2024,11.4日経の春秋)に、

現実世界の米大統領選挙が近く投開票日を迎える。

民主主義のひとつのお手本という役割を期待されてきた選挙だが、

近年は聞いていて気がめいるような罵倒や中傷など、がっかりさせられる場面が目立つ。

などとありました。


気がめいる場面はそこらに落ちている。

隣のレーンは他人事として、

タイトルのとおり、静かに立ち去ってしまいましたが、

少し違います。それだけじゃあない。

僕にも聞きたくもないそんなこと聞かされて、

気がめいるだけじゃなく、言われる筋合いはないようなことを大声で迫られている現場がここにある。怒りが生じる。

先日というのは日曜日だったから、3日前のこと。

忘れずに記憶にある嫌なことになっていて、

読まれている方にその分配をしてしまうこの記載。

(すみません。)


現実の世界には、

子供たちのお手本にならないことがたくさんありすぎて、

子供ではないとされる大人と呼ばれる者たちのやるせなさを深めてしまう。

まともに相手にしないのは大人の対応なのだろうか。

たぶんそうしてしまうのだろうけれども、

僕は、立派ないい大人さんではないなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


連想したのは、

十字架に張り付けられたイエス・キリスト。

そんなことではないのだよとどこかの司教様が諭されるのかもしれないけれども。


都会の闇の中で生きざるをえない人たちの孤独と悲しみを、

自分を傷つけることで引き受けようとする。

そんな彼の優しさが共感を呼んだ。

「死は予想された結末か 尾崎豊「放熱への証」」(2024.10.31日本海)にありました。


地獄の闇の中で死ねないまま虚無と絶望に沈み込む。

書き換えてみたりもする。

都会の闇 そういえばそんな言い方をよくされる。

都会ではないところでは 闇は 無いのか。


尾崎豊さんの歌をうまくは歌えないけれども、時折口ずさむ。

抗いながら生きざるを得ない。

誰だってそういう面は多くある。

悲しみ、辛さ、独りぼっち・・・。

亡くなったのは1992年4月25日と記載されている。

もう30年以上経過。


孤独と悲しみを引き受けようとする。

どこかの〇〇〇さんに聞いてもらいたいとも思えないなあ。

人に期待してもしょうがないので。

身を切る優しさを自分も持ちたい。

・・・・。とまあ、あたりさわりのないことを書いてしまったけれど、

彷徨いながらの行き当たりばったりのようなことで日々が過ぎ去っているなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


誰もが自分なりの居場所を探しながら生きている。

(2024.11.1日経の私の履歴書)で、

辰野勇さん(モンベル創業者)が示されています。


最近新聞を読んでも、

ここ一週間なども、選挙関連が多くて、辟易しています。

心地よい話題がない中で、

自分の居場所を探すということは、

自分が何をしているのかでおのずと決まります。

何もしていないと、居場所は徐々に狭くなる。

何かをするとたいてい失敗するけれど、それは練習だととらえて、続けていれば活路は徐々に開けてくる。

探すのではなく動くこと。

自分がしてきたことは、それを止めれば、徐々に力を失っていくものの自分でしたのだから自分を励ましてくれる。

止めずに続けていれば、体力面でもそんなに目立っては落ち込まないだろうし、続けてきたと心のとても強い後ろ盾になってくれる。


ちょっと話は違いますが、

続ける と いうところで、

達成感を大事にしています。

小さなことの達成感を積み重ねる。

今年、春から夏にかけての苦しかった咳喘息。

そのリハビリとして、大山登山を行い、夏に6回、それ以降は月に1回を目標としています。

そのリハビリに加えて、胸部の冷えを少なくしたいがために、

皮膚の下の組織を厚くしようと思い、

腕立て伏せを始めています。

最初の1か月は毎日50回。今は2か月目に入り100回。

冬に向かって、体温を下げないようにと。

続けるためには、低い目標であること。そして、今のところ毎日であること。

当面の目標期間は3か月間続けること。

そこから先のことはその時考える。

50回などとは言え達成してきていると思えばうれしいし、

胸も少し厚くなってくれたし、

なにか姿勢もよくなったような。

動きやすくなって、居場所づくりにも貢献してくれる?

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


そりゃまたすごい71歳でありまする。

ちょっと今の僕にはできない。

高尾山がどんなところかしらねども。


「いつもの仲間と雪山へ」。休診日はトレーニングで20~30キロの荷物を背負い高尾山を3往復。

(2024.10.21朝日のひと)で、

来年創立120年、日本山岳会で初の女性会長になった 橋本しをりさん(71)

と 紹介されていました。


平均年齢70歳超と示されている同団体で、その平均当たりの方が会長様に。

そして、そのご年齢で、30キロを背負われることは素晴らしすぎる。

しかも、体重との比率であれば、もっとすごく感じるのかも。


11月になり、大山にも冬の気配や雪のお知らせが来てくれる。

雪山はともかくうつくしい。

春まで、あたりを白く覆い隠してくれる。

束の間のようにも感じるモラトリアム。

降る前から、雪が消えてしまうことは心を焦らせる。

春になれば、現実が待っている。

冬は時間が止まるよう。少なくとも進行は遅く感じるのか。


体力がなければそんな世界に足を踏み入れることはできない。

この冬も、エビのしっぽを見に行こうと思っています。

冬でも、日が昇るとそれらがシャランシャランと落下します。

雪と氷がたるんでしまわないうちに、下山しましょう。

11月に入ったばかりでちょっと早いけれども、

気が焦ってしまいます。

自分の体のほうがたるんでいないように。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


サウジアラビアが年内にも原油の減産方針を転換し、増産にかじを切るとの見方が急浮上している。

12月の原油増産に向けて準備を進めている

長引く減産と、米国やカナダなど非OPECプラス産油国が生産を増やしていることが背景にある。

14~16年頃の「逆オイルショック」

原油安局面でもサウジが減産を見送ったため、14年に1バレル100ドルを超えていた原油価格は、16年には20ドル台まで下落した。当時も、急速に生産を伸ばしていた米国のシェールオイルとのシェア争いが背景にあった。

などと、

「「逆オイルショック」の足音」(2024.10.18日経)にありました。


アメリカさんの大統領に前職候補が成るだろうとの見通しを示されている病を得ている有名な経済評論家がいます。

そうなるかもしれません。

アメリカファースト。

今の円安ドル高からドル安と円高へ。

モノの供給が増えて値段が下がる。

原油もそれ以外もそうなるのか。


11月が始まって、新年の声も聞くようになります。

僕にとっては、今年よりもいい年になってほしいなあ。

そんな予感を持っています。

でも、それであったとしても、それもまた途中経過(であってほしいところ)。

数年は、モノの値段が高い状態から、少し落ち着く時間を得ることができるのかも。

そんな予測もできる。

そしてその先は、たぶん揺り戻しがある。

書かない部分で、どんなことを思いめぐらし、どんな実行を行おうか。

閑居して不全を為す。

歩きながら考えようっと。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


「自分の信用力閲覧可能」(204.10.29日経)に、

クレジットカード会社や消費者金融など約800社が加盟する信用情報機関が11月下旬から、消費者の信用度を数値で示すサービスを始める。

信用スコアの分布図も公開する。消費者は自身のスコアが全体のどの位置にあるかを把握することができる。

などとありました。


ここで言う 信用力とは クレジットやローン市場においてのことのようなので、

そんな世界からは、距離を置けている生活に安堵しています。

人間社会においての信用とは幅広い。

でも、

お金に関してはぎすぎすしたくない。

手元を離れればそれがどんな理由であれ元に戻そうとしないほうがいい。

戻れば儲けもの。とでも思っておきましょう。

普段のお足はあまり必要としていません。

そもそも、あまり入ってきてくれないので、出て行ってもくれないというところ。

日々のお金離れは、バイト先の近くのから揚げ100グラム120円とバイクのガソリンと車の軽油の燃料代ぐらいかなあ。

そういえば、本日11月からその100グラム120円が130円に値上げされるとか。

バイト先の方が言っていました。

なんでも値上がりする。値下がりしているものはあるのかなあ。

ありまする。

最低賃金が時給50円ほど上がっても、それ以上に物価が上がっているので、

相対的に賃金は値下がりしています。

そう言ってしまって、その場が静かになってしまいました。

100グラム10円のupとはいえ、8%以上の値上げ。

賃金はそんな上昇率になっていませんなあ。

120円だって実は1年前100円だったので、2年経たないで、100円から130円への30%の値上げです。

こんな日本社会の中で、

どんな人が「信用力」を伸ばし、

どんな人が下げているのか。

まあ、僕は後者。

全体のスコアのどの位置にいるのかなんて、ほぼ関係ありませんの生活です。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」