「マイナ免許証 来年導入」(2024.10.30日経)のなかで、
マイナンバーカードは9月末時点で約9388万人が保有し、人口に占める割合は75.2%に達した。
健康保険証を一体化した「マイナ保険証」は 24年7月末時点でカード保有者の80.5%が登録した。
とありました。
人口の75.2%がマイナンバーカードを保有しているということは、
1から引いて残りの24.8%、約25%の人々は保有していないということ。
この方々は相当しわいですよ。
年齢が、幼すぎる、年を取りすぎている、そんなこともあるのでしょうけれど、
どうしても保有したくない人々は相当におられる。
幼児などを除いて、いわゆる、成人での保有率が知りたいし、
そんな非保有者の方々の保有しない真の理由をお聞きしたい。
もちろん語られませんね。
民の情報を把握したいがために、
紙の戸籍を作り、デジタルのカードを作る。
そんなことから逃れたい思惑はいつの時代にでもある。
ともかく把握されたくない、少しでも、と思う人は、
カードなんて保有したくないだろう。
その理由は様々ながら、
僕は、(過去の立場上でしぶしぶ保有しているけれど)ともかく自由が侵害される気配を感じるので。
別に特段の悪さは行っていないと思っているのですが。
(G免許ながら、法定速度を超えるスピードの違反をしない日はないなあ。)
思うに15%ぐらいの方は、どうしても保有したくない そう思っておられるのでは。
政府は何時かの時点で、強制措置に移行するのでしょうけれど、
それは、残りなん%程度を目途としているのだろうか。
国民の多くがしかたないんじゃないと思ってくれて、
政府の姿勢の側に立ってくれるかどうかですけれど、
現在の75%ぐらいではまだちょとねえ。
しわい方々に頑張ってほしい気持ちも大いにあります。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
自意識過剰を表す「中二病」という言葉があるように中学生は心理的に危ない時期です。
「自分が悪い」という結論だけは絶対に避けてほしい。
つらく苦しい際、役立つのは読書。
依存先が一つだと、頼れなくなったとき危険。
依存先は三つあるといい。
友達も1人の親友より、3人いるといい。
3は大切な数字。
家と学校以外に第3の居場所、サードプレイスを持つといいんです。
悩みを三つに分けて書くと解決策が浮かぶこともあります。
などと、
「依存先が三つあるといい」(2024.10.27日本海の14歳の君へ)にありました。
先日、習い事で一緒に汗を流している方が言っていました。
40歳を過ぎてほめていただけることはあまりない。先生方が少しのことでもほめてくれてうれしくて通っている。合宿で友達になった人もそう言っていた。
そうですか。
以前、三十何ぼと言っておられたので、もっと若いと思っていました。
35歳と120か月と言っています。
え、・・なんですって。どういう意味?
ともかく、
その方にとって、家庭と職場とそのほかの居場所の中にその習い事がそのうちのひとつとしてあるのではとお見受けいたしました。
僕も似たようなものです。
下手の横付きさながら、たいした技量の向上もないままに、時折のお褒めのお言葉がとてもうれしい。通っていればそれなりのことにならんかなあと期待しています。
三つは誰にとっても簡単な数字という訳ではないと思います。
そもそも、
親ガチャと言われる言葉からも、生を受け気が付けば寝起きしている環境はどうなのか。
社会生活を送る、学校なのか会社などなのか、それぞれの価値観がある環境の中でどうなのか。
それ以外の居場所を持っているのか。自分を認めてくれる場所はどこなのか。
一つ目確保すら困難なお話も聞く。
二つ目に入りにくかったりはじき出されてしまうことも多く聞く。
三つ目は、好きなことをすればいいと言われたって自分でもよくわからなかったりもする。
どれが一つ目二つ目になるかさえ不明な立ち位置にいることだってある。
僕は、現在、社会の中で、中学生と呼ばれる歴の年齢ではないのですが、
誰にとっても、どこかに「中二病」みたいなことは潜んでいて、表に出していないだけ。
読書が役に立つ?
読書は疑似体験。
別の世界を空想させる。
文字ばかりのものでなくとも、絵付きのものでも、つまり漫画と呼ばれるものでも絵本でも、それはいいと思います。お子さんと一緒に読むことでも。
そんな時間のある方ばっかりでもないと思いますが、
現役の時で、時間的にもこなさなければならない仕事的にもつらかった時に、
寝る前に、一行だけでも読んでから、目をつむっていました。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
タイトルに、
いつまでもいつまでも と
くどく書き加えたのは、たしか、2回ほどもこのことを書いており、たいした改善もなされていないように思えるから。
「免税品1億円超 持ち出さず出国9人」(2024.10.25朝日)では、
購入後に国外に持ち出すべき免税品を1億円超分、国内で購入したのに国外に持ち出さず、消費税も課税されなかった人が2022年度に9人いた。
9人の免税購入の総額は約34億円で、納めるべき計約3億4千万円の消費税を支払わないまま成田・羽田両空港から出国していた。
訪日客らが免税購入した商品は、国内で転売できず、国外に持ち出さなければならない。出国時に商品を持っていない人には税関が消費税分を賦課する。
空港での搭乗手続きの終了間際にチェックインカウンターに来るような人にも迅速に手続きできるよう、22年4月からは口頭でも賦課できるよう法改正されていた。
口頭で賦課すべきだった9人に賦課せず、そのまま出国させていた。
などとありました。
1億円分の商品?
9人の平均では3億7千万円超?
そんな買い物をする人間様なら、1日の時間をかけてでも確認させてもらおうじゃありませんか。
その免税で購入されたという商品を。
そうは思いませんか。
1億円の商品購入なんて、いったいどんな人がするんですか。
確信犯ですよ。
搭乗手続き間際に来るなんて。
いくら間際でも、全部確認できなければ出国できない。そうできないんですか。
舐められている。
そんな輩には迅速な手続きなんて不必要。
だから、
免税販売なんて、即刻止めてしまいなさいよ。
脱税の温床のように見える。
1億円超だけなら9人(見つかっただけなのでしょうけれど)かもしれませんが、
そんなの氷山のほんのほんのほーんの一角。
みんながしているんじゃあありませんか。
と思ってしまいますが。
消費税納税を拒否できない在住者は反乱したいところ。
国内転売での利益も懐にして、ほくほく顔で出国されているのだろうなあ。
いつまで日本は餌となり舐められ続けるのだろうか。
それとも、
免税販売をしないとするならば、多くの善良な出国者たちへの税額払い戻しの手数が膨大となりそれのほうが負担が重くなるから、全体として、今の制度を存続させているということなのか?
あー。すっきりしないなあ。
いっそ、十万円か百万円までなどの一定の額の購入の消費税は無しとしたほうがいいんじゃないか、・・・・それもおかしいのか?
消費税って駄目だ。物品税に戻したほうがいい。
もしくは、生活消費程度額の購入はすべて非課税にしたほうがいい。
一律税率課税は現代の人頭税みたい。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
温かい、若しくは、熱いお湯が気持ちいい季節になろうとしています。
北米の人もそうなのだろうか。
きっとそうだと思いますよ。
日本列島人だって、温泉地以外の方が日常的にお湯に浸かれる日々を送れるようになったのは、そんなに古くない。そう思っていますので。そんな習慣が魅力的だと体験されることも、相当贅沢のような。人はどんどん贅沢になっていますね。
「星野リゾート、米で温泉旅館」(2024.10.18日経)では、
米国は2000カ所以上で温泉が出る
米ニューヨーク州中心部のマンハッタンから北に車で3時間半程度の観光地「シャロンスプリングス」に温泉旅館を開業する。
自然の豊かな観光地で、気候も日本に似ており四季がある。
露天風呂では雪見や紅葉を楽しめるようにする予定だ。
米国での温泉旅館について「現在の市場はゼロ」
などとありました。
はたして、
そこに大浴場は設置されるのかどうか。そこですっ裸で入浴なさるのかどうか。
ちょっと、想像できません。
今年の夏に習い事の合宿をした際にも、下着のパンツを着用されて大浴場で体を洗われていた外国人の方。
なかなか人前で裸にはならない印象を持っています。
さて、水はあるのだろうか。
スプリングスというぐらいだから、温泉は湧き出ているのでしょうけれど、
清浄で豊富な水も必要です。
そんないらぬ心配をしつつ、
(諸々ご検討なされての場所なのでしょうから)
是非、温泉旅館、その魅力を持って米国人にも行ってみたいところと印象付けていただける施設にしていただきたい。
でも、僕は、最近行けていないなあ。
行くとしても、数百円の公衆浴場程度。
ここのところ、古くてあまりきれいげではない浴場が少なくなってきて、とても残念。
そして、温泉旅館さんなんて、ちょっと手が出ないなあ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
行旅死亡人。
どのような生き方死に方があろうと、すべてを推し量れるものでもない。
「謎多き女性 半生追う実話」(2024.10.19読売のコレ絶対読んで)で、
「ある行旅死亡人の物語」毎日新聞出版 が紹介されていました。
死という事実の上に、かつて確かに存在した命があった。
誰にとっても一度きりの人生。
と
紹介者は述べられています。
謎が多いように見えようが見えなさそうであろうが、
謎は多いのです。
僕にはそんなに謎はありませんが。
(?)
こんなんでいいのだろうか。
謎多き男と呼ばれてもみたいけれど、
お亡くなりになっていれば、本人にとっては、其の儘黄泉の世界へ。
でも、
読みごたえがあると言われれば、
読んでみたいので、図書館で検索してみます。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
日本で航空燃料が不足し始めた。
国内製油所の数は24年7月時点で19カ所と00年度末(36カ所)の半分ほどに減った。
航空燃料は原油を精製する際につくられる連産品のひとつで、航空燃料だけを大量生産できない。ガソリンは 年平均需要が2.6%減るが、航空燃料は0.3%減。ガソリンに供給を合わせれば、航空燃料の不足が生じやすくなる。
などと
「航空燃料、合理化の誤算」(2024.10.22日経)にありました。
いつだって、
伸び率や減少率が同じということはなかったのだろうになあ。
何ごとも、余れば、安くするか、もっと過剰になれば、廃棄物扱いになってしまう。
どんな連産品も、価値のあるものと扱われ続けることを願いますね。
記事では、国内問題とのことでしたが、
自動車のガソリンよりも、飛行機の燃料のほうが使用割合が高まってきているということの様。
みなさん、遠くに行きたがっているのでしょうか。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
井原西鶴がこんなことを言っている。
<人間は、欲に手足の付たる、物そかし・・・>
(『好色二代男』岩波文庫)
と
(2024.9.21読売の編集手帳)の冒頭にありました。
いったい僕は、どんなものに手足が付たるもの なんだろうか。
確かに、欲 なのかもしれないなあ。
きれいごとを言っているけれど。
言わないことは言えないことだしなあ。
ああ、言えないなんて、ストレスが溜まるう。
今日は、なんだか、忙しい日でした。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
さあ、コーヒーを点てましょうか。
「土佐和紙をPR コーヒー美味に」(2024.10.17日本海)に、
「日本三大和紙」の一つとされる土佐和紙
薄くて丈夫なのが特徴
土佐和紙のコーヒーフィルター 2019年に商品化
通常のものと比べて目が粗くて抽出が速く、好みの酸味が出る
3枚1100円
などとありました。
いつものコーヒーフィルターは、百円均一の70枚入り。
つまり、1枚1.6円(税込み)ほどで、
5杯分の抽出をするならば、フィルターのみの1杯分の原価は31銭也。
同じように、記載のフィルターであれば、
1枚366円で、1杯分なら73円。
その違いは如何に。
1杯で百円の違いもないのに、
これだけおいしくなるのかと感じることができるのか、
それとも、・・・・・・、違いがよくわからなくて黙ってしまうのか。
あなたはどっちになりそうですか。
ふだん、
フィルターの紙の雑味を取り除くために、まず熱湯でまんべんなく充分に洗います。
お湯が落ちたのを確認してから、
挽きたてのコーヒーを移します。
お湯で20~30秒ほど挽いた豆を蒸らします。
(この時の、豆が膨らんでくる様子を見ることや馥郁とした香りで鼻腔を満たせられることは、出来上がったコーヒーを飲まれる人よりも、コーヒーを点てる人の方が、幸せだなあと想わせてくれます。その後、飲むのは、他の方と一緒のことですので。
それに、ここまでは、フィルターは関係ないし。)
しかし、
なにごとも、持続可能にするためには、自己満足だけではなく、他者の継続的な評価が欠かせません。それは金銭的なことでなくとも、おいしかったの一言でも。
そこに、1杯73円の原価を投入してでも、違いを感じていただける方であるならば全く惜しくないし、むしろ、そうすべきだとも思う。
さあ、コーヒーを点てましょうか。
・・・。
うん。
悪くないけどなあ。
たぶん、僕には違いが・・・・?なのだろうなあ。
身近な、和紙を使ってみてもいいのかも。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
ススキの葉はガラスの刃。
稲の葉も似たようなもの。
よく手に切り傷を負ったものです。
やわな手です。
「身を守るガラスの刃」(2024.10.20日本海のすご~い植物)に、
ススキの葉っぱのふち ノコギリの刃のようにギザギザ キラキラ光っている
これは「ガラス」なんです。
土の中には、ガラスのもととなる「ケイ素」という物質が含まれています。
ススキはこれを吸い取って、 葉っぱのふちに並べています。
などとありました。
草原を自分の足で歩く。
数千年以上前からヒトは寒暖に合わせて衣服を用いてきた。
しかし、衣服の効用は外気温と体温との差を調整するだけではなく、
地上に在るものから身を守る役割もとても大切なこと。
山歩きをしていると、樹木で頭に軽く傷を負うことがある。
僕の頭では、頭髪が薄くなっているので、特にそうなんです。
だから、そんな時のために、キャップを被ろうとする。
下半身において、頭のように全部露出させて歩くことは全くと言ってない。
いつも、なにがしかのいわゆるズボン?のようなものを身につけている。
だから、頭のように露出させているわけではないので、つまり、いつも薄い生地であったとしても守られている。
そのことをあまり意識する現代生活ではないものの、
やはり、役割は大きいと思っている。
草原を自分の足で歩く。
足を守ってくれる、股を守ってくれる、そんな自毛があるうちはどんどん突き進んでいける。
しかし、そんな防御機能を維持するよりも、それを維持するエネルギー消費よりも、より生命活動に有利と選択されてきた結果が、体毛が薄い現代人の体。
いわゆるケのあるモノではなくなっている。
(皮膚を充分に守ってくれるだけの毛という意味でのことです。)
もう、体一つだけでは、草原を自分の足で歩くことはできない。
キリ傷だらけになる。
そこらうちじゅう。
ススキや稲だけではない。
細長い葉は、だいたい自己を守るすべを身につけている。
人間が構築してきた社会での人生を歩むときに、
擦り傷、切り傷だらけになっていく、大切な血が流れていく、重い打ち身を受けることもあるだろう、落とし穴に落ち込んでしまうこともある。他人ごとばかりじゃあありません。
ガラスの刃はそんなことを気づかせてくれる痛みを伴う切り傷を与えてくれているのかもしれません。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
要するに、使わない・ほっとくから 隙ができているのだけれど。
「地面師「金すべて使った」」(2024.10.14朝日)では、
1億数千万円 金はすべて使っちゃった。『あぶく銭』だからね
詐欺だと見破った人たちもいた。 地面師を「要するに偽造しかできない人たちなんですよ」と断じた。
自分の土地が、事件で悪用されないために 不動産の相続を早めに行い、たまに現地を見学して管理し、隙を与えないこと
などとありました。
他人の土地の所有者と偽って売却し、代金(?)をだまし取る。
そんなことできるのかとも思いますが、
昔から、そうですね、半世紀前ぐらいから、地面師という言葉を僕は聞いています。
おそらく、ずううっとそんな詐欺行為はひたすら続いてきているのでしょう。
自分の所有でないものを売り利益を得る。
見破る方は、偽造しかできない人だと、その胡散臭さを感じられるのではないか。
手渡しで占有を移動できるものではないから、不動産というものは手続きが面倒。
不動産の相続を早めに行えばたしかにまだいいのでしょうが、
それができていないから、最近の法改正(たしか所有権移動の期限が示されている)もあった。
現地での確認も、使っていないから、その動機というか意欲が高まらない。
だから、勝手にしようとしたい暗躍者たち。
それにしても、「師」を付けて、まるで何かの先生みたい。
使われていない土地を有効利用させようとしているだけなどと、
邪(よこしま)のような屁理屈も確信的に持っているのかもしれません。
それはそうだとも感じる部分が僕にもある。
使われないところは、体だって退化していくし。
ともかく、
なんでもかんでも、お持ちの方は、その所有の利益を具現化し人々のために使っていただきたい。
不動産に限らず、断捨離とはそんな面を考慮するからなかなか進めないような。
身軽になりたいなあ。
いつものように、書く内容がどんどん横にずれて行ってしまいます。
さて、
『あぶく銭』は、どこに行ってしまったのだろう。
それは人間社会のどこかの歯車を、昔も今もこれからも回しているに違いありません。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
思い出した。
たぶんだいたいの方は知られないか少しの方は忘れられているとも思いますが、
漫画家:本宮ひろ志さん(77歳だそうです)の『男一匹ガキ大将』の主人公・戸川万吉が、
たしか、どこかの少年院の収容中に、
睡眠させないリンチを受けていた。
院の職員巡回中は、床板の下に横たわらせ不明にさせておいて、巡回が終わると、床板を剥がし、水をかけたり暴行したりして、ともかく眠らせないリンチだった。
何とも忘れられない内容で、
(内容は不正確ながらもそんなことだったような。)
たぶん半世紀ぐらい前の雑誌掲載だったと思う。
睡眠は必ず「ノンレム睡眠」から始まり、「レム睡眠」に移る。
「我々は意識があるとき、外からの刺激にリアルタイムで反応し続けている。シナプスは一生懸命に情報伝達を続けるが、だんだん疲弊(リン酸化)し、情報伝達の効率が悪くなる。眠ることでオフラインにして、シナプスを回復させているのではないか。」
「全ての神経系を持つ動物が眠ります。眠ると意識が薄れ、野生動物にとってはリスキーな行動なのに、何億年の歴史の中で眠らない動物は出てきていない。睡眠は相当、根源的に大事なことだと思います」
などと、
「人はなぜ眠るのか」(2024.10.17朝日のいま聞く)で、
柳沢正史先生が語られていました。
万吉は、やせ細って描かれていた。ように 記憶している。
束の間の床板下だけが、その時の彼にとっては安息の時間。
僕は、昨日も午後の習い事で夕方でも何となく体が興奮気味。
夕食を終えて、落ち着き、
さっさと寝てしまいました。
(ありがたいことだなあ。)
で、
早朝の前あたりに起床してしまい、
今、これを書いています。
睡眠時間が少ない方は、
万吉ほどではないものの、睡眠を妨げる内外のなにがしかの障害が存在しているのでしょう。
眠らない動物はいないと先生は語られています。
(イルカなどの海の生き物は、たしか、左右の脳を交互に眠らせているとか。)
人はヒトよりも寝過ぎぐらいがいいように思えてきました。
人間や人にとって、安息の時間はとても大事。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
そうかもしれないなあ。
「腎臓助け、更年期改善も」(2024.10.18日本海のはじめよう薬膳ライフ)に、
「中医学」では、私たちの生命力の源は「腎臓」と考えられています。
女性は7歳、男性は8歳ごとに腎臓の働きが活発化します。
そして、女性が49歳、男性が64歳ごろになると活動が低下し、内分泌のバランスが崩れ、ほてりや焦燥感、不眠などの症状が現れます。
と ありました。
人体に2つあるものはそれがそれだけ重要で、代替の策として備えておくべきと長い生命活動の結果であろうと考えています。
手足は移動の手段として別の考えとして置いて、
また、距離や方向を感覚するための、目や耳も別の意味として、
上から2つあるものを見てみると、
左脳と右脳、
左の葉と右の葉の肺、
この腎臓、
卵巣・精巣、
ぐらいだろうか。
あ、鼻の穴もそうだけど、肺に至るまでにはひとつになる。
やっぱり、なかでも、人体内でその距離を保ちつつ、独立して機能しているような、流入してくる血液も別系統で、片方の機能が低下した場合、もう一方がそれを補う働きをいかにもしそうなのが、腎臓さんだなあ。
腎臓自体が臓器売買の話もあるし、平時は片方でも、人体にとっては対応できることなのか。
肝腎かなめの、肝臓と腎臓。
肝臓もいくつかの葉に分かれているようですが、血液が流入してくる門脈は1っ本なのかな。
しかし、生命力の源との表現は、大きなことだなあ。
近親者にこの臓器の病を得たこともあるので、
ちょっとものの本を読んでみようと思います。
血液中にも、雑多と言っては言い過ぎかもしれないけれど、濾さなければならない、排出しなければならないものが多くて、処理が難しくなっている昨今でもあると感じています。
ただ、存在している右と左の位置は離れているものの、流入してくる全身の血液状況は似たようなもの。
結局は、人体内の血液の在り様がどうなのかが重要なのだと思っています。
それが、腎臓の状況に示されてくるということなのか。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
「ガリガリ君の成長を陰で支えたデータドリブン経営」(2024.10.17日経の広告)に、
「ガリガリ君」で知られるアイス専業メーカー
アイスという商品の特性上、全体売り上げの約70%が4~9月に集中し、
その間の販売数は生産キャパシティーを上回る。
この期間を乗り切るために冬場から備蓄在庫を準備するが、そのコストが経営を圧迫していた。
などとありました。
専業メーカーの自負をなんとなく感じます。
また、商品に対する自信や、時流に沿いながら改良なされてもいるのでしょう。
アイス専業ならば、誰でも季節性が問題だと。
ただそれは、それなりの売り上げを残してきているから。
その期間の売り上げは、生産キャパシティーを上回る?
素晴らしいですね。
企業丸ごと、夏に精一杯働かれて、有休もリフレッシュ休暇もその季節以外に取得なされているのでしょう。
アイスだからなあ。
製造して常温で保管すれば溶けてしまうし。
その備蓄コストが経営を圧迫する?
相当な量のガリガリ君なのでしょう。
工場の専用冷蔵倉庫もあるでしょうし、
提携先の倉庫を利用なされることもあるのでしょうか。
考えておられるのかもしれませんが、
経営の多角化が記載の中にないことに好感を持ちます。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
ダムは何のために貯水する?
それぞれの目的もあるのでしょうが、
満杯で豪雨の時に放流することはなるべくなら。
「ダムの事前放流 空振り減へ AI」(2024.10.17日経)では、
事前放流はダムにためた水を前もって放流し、雨水の入ってくる空き容量を増やす措置。最大3日前から、予報雨量が基準に達するとダム管理者が判断する。
下流の居住域の水害につながる恐れがある「緊急放流」を回避するために実施するが、雨が降らなければ渇水を招き、ダムの水を活用する発電や農業に影響が出るマイナス面も伴う。
台風10号の接近に伴い 141のダムで事前放流を実施。
事前放流が結果として不要だったダムは 44か所に上った。
などとありました。
さてそれではその成功率(と呼んでいいのかどうかは?ですが)は、
1-44/141 ≒ 69%
悪くないんじゃない。
とくに、迷走台風と言われた10号に対して3割ほどの事前放流が不要となってしまったというならば。
行政(ダムは国土交通省さんの管理のようで)の措置が数値でその要不要が示せれることはあまりないけれど、
今後は、タイトルにあるとおりAIも活用なされるとか。
数日前からの判断も難しいけれど、良しなにお願いいたします。
ダムって、溜水(たまりみず)。
濁流となる豪雨の時は、
できれば、ダム底のヘドロ化している水から徐々に、そんな時を利用して排出できないかと常々感じている。
そんなことで、せっかく造設なされている巨大構築物の利用期間のさらなる延命が図れれたら。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
「「睡眠キャンセル」に要注意」(2024.9.21朝日)の冒頭に、
今年、SNSで「風呂キャンセル」という言葉が話題となりました。
本当は風呂に入りたいのにあきらめて寝てしまうことでした。
すると今度は「睡眠キャンセル」という言葉が登場しました。
もろもろの事情で寝ようとしないことを指していますが、これは注意が必要です。
とありました。
現役世代の時には、入浴や睡眠をとる時間が取りにくくて、そのようなキャンセルを行ったことがよくありました。
それなりのストレスに囲まれていたと思います。
現役を終えて、明日までに、いついつまでに、こなさなければならないとの呪縛が遠のいてくると、
風呂にしても、睡眠にしても、
入りたい時に入る、寝たい時に寝る。
そうだな、
たしかに今しておいたほうがいいのかもしれないけれど、
今は、お風呂に入ってさっさと寝てしまったほうがいい。
スッキリ明日の朝起きて、それからやればいいんだ。
それの方が気持ちよく行えるし、たぶん効率もいいし、いい結果も齎(もたら)してくれそうだ。
そう思うように近年成れています。
ちょっと違うかもしれないけれど、
おしっこキャンセル。
おしっこに行きたいけれど、眠いし、我慢しようかなと、グズグズしていたこともあった。特に子供の頃だったか。
年齢がいって夜中の尿意も我慢しないほうがいいと思い、
近年は、眠くても、さっさとトイレに行ってしまうので、
その後気持ちよく二度寝できる(してしまう)。
なにかと心に引っかかることは、なるべくキャンセルしないで、さっさとやってしまったほうがいい。
少しでも、心の宿題のようなものを除去して置く。
そんなことができればできるほど、自由な発想をもたらしてくれる。
心が軽くなる。
なるべくキャンセルしないこと。
そもそも、ここでキャンセルと表現していることは、
心や体からのシグナルなのに、それを、無視や先延ばししようとすること。
折角、気付かせてくれようとしているのにね。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
「学問は生活からしか生まれない」(2024.10.7朝日)に、
長生きしているのは、何でもプラスに考えるから。
これまでずっと頭にあったのは、長く生きた人間は最後に何を思うのかということ。私の夢は、死ぬ時に最高の考えを持っていること。その時に何を考え、自分の人生を総括するのか。それが楽しみなんです。
と
経済学者の暉峻淑子(てるおかいつこ)先生が語られています。
まあこれを今の僕なりに書き換えてみると、
今生きているのは、なにかしらプラスにできないかと。
ここのところ頭にあるのは、楽しく面白いようなことに沿える頭や体でありたいということ。
だから、僕の夢と言えるようなことは言いにくいけれども、その時その時を大事にできるように(なかなかできていないので)なればいい。死ぬ時のことにまでの考えには至っておりません。
そんな感じでして、
とてもとても先生のように、
最後が楽しみというところに至れておりません。
たぶん、自分はまだ動けていて、現役の世代にも、そんなには、
との、のぼせがあるからなのだろうなあ。
ところで、
先生の苗字はふりがなが記載されていたのでよかったけれど、
そのままではとても読むことはかないませんでした。
でも、このスペースキーを押すと、変換されていた。
そんな意味でも記憶に残りやすいのかもしれませんが、
少しでも先生に近づければとも思います。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
臭いものはおいしい
と 思い込んでいるのですが。
「ニシン塩漬け「鼻が壊れる」」(2024.10.14日本海)に、
納豆の約20倍の臭いというニシン缶が開くと、どよめきが起きた
世界一臭いとも言われるスウェーデンのニシンの塩漬け「シュールストレミング」
用意されたのはシュールストレミングの他、エイの切り身を発酵させた韓国の「ホンオフェ」と伊豆諸島名産の魚の干物「くさや」。
参加した約70人
においが強烈な海の食べ物をかぐイベントが13日、三重県鳥羽市の市立海の博物館で開かれた。
などとありました。
冥途の土産に食べてみたい。
そう思ってからはや数十年。
紹介されている3つとも、できれば現地に行って食べてみたい。
そうか。いずれも海からの産物か。
それでは、陸の産物にはそんな強烈なものはないのだろうか。
ドリアンはおいしくいただけたけれど。
参加者70人は多いのか少ないのか。
僕は、現地に行って食べてみたいとは思っているけれど、
たぶんそれは予防線。
その臭いに怖れを感じていて、
(取り寄せできなくもないだろうに)
先延ばしている。
そこいらへんが正直なところ。
3つのうち、どれから挑戦したほうがいいのだろう。
そんなことを思い、グズグズしている。
やっぱり、くさや かなあ。
たぶん、おいしいと思うのですが。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
とてもいいことだと思う。
「カスハラの根っこにあるもの」(2024.10.13日経)で、
写真が掲載されていて、
その説明に
座ってレジ接客を始めたドン・キホーテ浅草店。
会社側の告知もあり、これまでに消費者からのクレームはないという
とありました。
スーパーのレジのお仕事ではどなたも立っている。
その写真のように座ってのレジ接客は見たことが無い。
いつも立ったまま。
交代される時間はあるのだろうけれど、
長年そのお仕事をされていて、足腰に故障を持ってしまったような方もお見受けしている。足元に暖房器具を置いておいても寒さが堪えることもあるだろうし。
立たざるを得ない時もあるのだろうけれど、
座ってのレジ接客大賛成です。
現状でもそのお仕事は女性が多い。
あまり動かないままのその態様は、
現代の、纏足(てんそく)の様にも見えてしまう。
なんとか座ってのレジ接客、普及してくれないだろうか。
お客となる人からのクレームに恐れず、
少しでも進めて欲しい。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
山歩きはときおりしているのですが、
ともかく、吊り橋が怖い。
「スリルと紅葉、楽しむつり橋」(2024.10.12日経の何でもランキング)に、
10橋紹介されていました。
う~ん。
写真を見ただけで、足が竦(すく)む。
股がスース―する。
(スース―するのは、身構えてしまって、筋肉が硬直し、血流が悪くなるから?)
6番目の 谷瀬の吊り橋。
行きましたけれど、3回、3分の1ぐらいまでは何とか歩みを進めるも、怖くて、引き返した。ここから結構遠いんですよ奈良県十津川村。
せっかくそのために来たのにと、思い悩むも、3回まで。
目的は、
3番目に紹介されている 畑薙大吊橋 を渡るための度胸付け。
この橋を渡らなければ、南アルプスの目的とする山に近づけないと思っているから。
村道ということで、地元の方はすいすいと。
かくして、両橋とも、僕にとって渡橋は夢のようなこと。
1番目に紹介されているのが 祖谷のかずら橋。
この橋は渡橋料大人550円とあるので、
お金を払ってしまえば、否応なしに目を瞑ってでも渡るしかないか、
と 貧乏人根性が出てくるけれど、そんなものに後押しされてでも渡りたいなあ。
身近なところでの橋だって、渡るときは、心拍数の増加が自分でもよくわかる。
四輪車でもそうだし、二輪ならもっと。
そんなに思うからこそ殊更にそうなるのでは。
そんな面もあるとも思うけれども、
竦んでしまうので。
(我ながら情けないし、意気地もないなあ。
なにか、前世のことと理由付けたくもなる。)
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
「シカに襲われ男性死亡か」(2024.10.11日本海)では、
田んぼで、近くに住む男性(68)が上半身から血を流し倒れている
男性はその場で死亡が確認された。
衣服に動物の毛が付着 府警福知山署はシカに襲われた可能性があるとみて調べている。
角のあるシカ一頭が田んぼ内から逃げた。
田んぼはシカよけのフェンスで囲まれているが出入り口が2カ所あり
などとありました。
う~ん。
鹿は人を襲うのか。
シカと人が相対した時の状況はどうだったのだろう。
フェンスに囲まれて、とっさに逃げにくいとシカはおもったのかもしれない。
出入り口側にはヒトがいる。
ならば、向かう。
角もある。
上半身から血を流され死亡なされるような衝撃を受けられた
ということなのだろうか。
4年ほど前だったか、
立派な角(いくつも枝分かれしていた)を誇示するように立っている鹿を見たことがある。谷あいのどなたかの田んぼの真ん中だった。約200mほど。稲刈りが終わり、それまで稲の森の中で過ごしていたカエルなどの生き物が、森が奪われ機械に蹂躙され傷ついていたりする。そんな瀕死の生き物を食料とするためなのか、稲刈りが終わった後の田んぼには、サギなどの鳥もやってくる。鹿もそうなのだろうか。お互い、立ったまま探り合う。そのうち立ち去って行った。もっと田んぼの中を探してみたかったのかもしれない。
これもまた、その前後だったか、
角はないもののけっこうな体格の鹿が、自宅の裏に来ていた。こちらもそこにいた。その距離約7mほど。すっと身をひるがえし、来た方向に姿を向け、ふと振り返った。何か食べ物を乞うていたのかもしれない。
列島にニホンオオカミが存在しなくなり、シカの天敵はヒトのみになったと言われている。生息数は増えているそうな。
人が殺される事案まで発生するならば、罠などの対策でかわいそうでは済ませない。
彼らも、数が多くなって生きるために食を求めその範囲を広げざるを得ない。
人の食べるものを口にしたこともあるだろう。
そのなかには甘いものもある。
立派な体格の鹿に対しては、僕は、逃げることとします。
遭遇するとは書きたくない、遭遇の原因や遠因を作っているのは人だと思っているから。そんな人のひとり。
やるせない。無責任。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
連想したのは、
血糖値とヘモグロビンA1c(HbA1c)
「年金の男女格差を解消せよ」(2024.10.10日経の私見卓見)に、
7月に厚生労働省が公表した公的年金の財政検証では、
老後の年金に男女格差があること、
格差は将来世代まで続くという見通しが明らかになった。
例えば、
今年50歳になる男性が、65歳で受給開始すると平均は月14.1万円だが、
同じく50歳女性の場合は9.8万円、
今年20歳になる男性は15.5万円だが、
20歳女性の場合は11.6万円、
という具合である。
年金に男女格差があるのは当然と思われるかもしれない。確かに夫婦で暮らしているうちは、支障はあまりないだろう。問題は、 女性がシングルになった場合や未婚の場合である。
などとありました。
当たり前のような状況として、それが継続しているからそういう結果になることは、これもまた当たり前。
生産年齢の期間の収入格差が男女に在れば、その結果の年金額に男女差があることが当たり前の、現在の年金制度。
なんで、冒頭のことを連想したかと言いますと、
食を通じて血糖値が高くなる。それは、食後に高く、その高まりを膵臓からのインシュリンで抑える。一時的であれば大した問題にならなくても、恒常的に、当たり前のように糖が血管内に流れてしまう状況が続くと、その恒常性を証明するように、ヘモグロビンA1cの値が高くなる。
「夫婦で暮らしているうちは、支障はあまりない」?
前提が、そんなことを選択しなければならないよう、暗に強制していることが僕はとても嫌だ。
男だろうが女だろうが、ともかく、自由な選択をその人生において行って欲しい。
誰に何を言われようが、その人の選択だ。
その選択時の判断を年金制度が歪めている。
お国の制度で、いつまでたっても格差是正ができないのであれば、
いっそのこと、
女性一律加算みたいな年金制度を創設して欲しいとの意見だって出てきますよ。
だって、今年20歳の方だって65歳時に格差があるのでしょお?
これからあと何年あるのですか?
これなら僕だって計算できますよ。
45年もあるのです。
それでも・・・・・・。
所得税だって、毎年の所得を申告して納税する。
しかし、その申告内容が適切に所得を記載なされていない前提で、毎年の積み重ねで遺産が生じ、所得の清算という面もある相続税が課税されている。
きちんとできていないなら、なんらかの清算と言うか後始末的なことが必要だ。
取る方は対応して、払う方はほったらかし。
そんな印象です。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
「お酒と正しく付き合うには」(2024.10.2読売)では、
「適正飲酒」を巡っては、世界保健機関(WHO)が健康リスクの低減などを目的に、過度な飲酒を減らす指針を採択。
厚生労働省は今年2月、健康に配慮した飲酒に関するガイドラインを初めて公表した。
ガイドラインでは、生活習慣病のリスクを高める1日あたりの飲酒量を純アルコール量に換算して、「男性で40グラム以上、女性で20グラム以上」と紹介。
純アルコール量の換算の目安(表)
ビール(中瓶1本・500ml)20g
日本酒(1合・180ml)約22g
ウイスキー(ダブル・60ml)約21g
などとありました。
とってもじゃありませんが、それぐらいの量で始まりとして、そこを超えてからいよいよ飲みだす、飲み終わりははるか先。
そんなイメージを持っている者からすれば、
EUじゃないけれど、
またいってるよ。
そんなこと示したって、守られるはずなし。
そう強く思います。
そう思うのは、そんな程度で飲みを終わらせたことがなかったから。
止めた方がいいんじゃない。
そんなこと示したって、表向きのみ。
飲料メーカーに配慮しているだけ。
理想論を示しただけ。
だから、「適正飲酒」?
僕から言わせれば、ちゃんちゃらおかしい。
そんなこと言わせずに、さっさと、断酒すればいい。
しかしできないし、
世界各国の畏れ多き飲酒文化を敵に回したくない。
相当おかしいと思っているから、
言葉は少し違うけれども、同じことの繰り返しを綴ってしまっています。
我ながら、阿保みたい。
それほど、
「適正飲酒」なるものは、定着するはずない。
示す側のほぼほぼの自己満足と言われることでしょう。
まあ、そういう意見もあるということで、
なにがしかの理由で体力が落ちてから、
そのガイドライン様に沿うことになるのでしょう。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
最も軽い原子である「ポジトロニウム」
電子と、プラスの電荷を持つ「陽電子」から構成される。
電子と陽電子がお互いに引き合って動いており、最終的にはぶつかって消滅する「対消滅」という現象を起こし、放射線の一種であるガンマ線が発生する。
「半減期」は約140ナノ(ナノは10億分の1)秒と短く、解析が難しい。
などと、
「「最軽量の原子」を極低温に」(2024.10.8日経)にありました。
マイナスの電子とプラスの電子で原子を構成する?
まあ、そりゃあ、プラスとマイナスなのでお互い引きあうのだろうけれど。
その質量はお互い同じなのかどうか?
そして、ぶつかって消滅する?
電子と電子・・・・。
東京大学の先生たちのご研究のようですが、
物質しか存在していないとされる現在に生きている者はどうにも理解しがたく。
しかし、実験とは言え、
陽電子のような反粒子で構成される反物質の存在無くしては、
その、物質と言っていいのかどうかのポジトロニウムは扱えないということ。
そうだ、
その、ポジトロニウムは、物質なのか反物質なのか。
マイナスの電子は物質、プラスの電子は反物質。
その2者で構成するポジトロニウムは、どっちなんかい?
物事を、どっちと決めつけない方がいい場合もあるようで。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
時代劇を見るたびに、どうかなと思っていました。
あんなに高くては寝るに寝られない。
「「殿様枕」とめまい」(2024.10.5日経の元気の処方箋)に、
「Shogun Pillow Syndrome」
和名疾患名は将軍ではなく「殿様枕症候群」
国立循環器病研究センターが提唱した概念
高い枕を使っているとが脳卒中の一因である特発性椎骨動脈乖離の発症リスクになっている
江戸時代の日本では、丁髷(ちょんまげ)を維持するために高くて硬い枕が用いられていた。
当時から「4寸(約12センチメートル)だと髪形が乱れないが3寸(約9センチメートル)の方が長生きする」といった説もあったそうだ。
などとありました。
では、枕の高さはどの程度がいいのだろう。
3寸だってとても高いように思うし、2寸?1寸?無し?
江戸時代の人にうつぶせ寝はなかったのだろうか。
ともかく、
寝相が悪い≒寝返りを打つ≒一部の圧迫を解放する≒褥瘡予防、そんなことはいいことだと思っています。
だから、その殿様枕?あれはちょっと確かに寿命を短くしてしまいそう。
寝返りも打ちにくい。
ああ、チョンマゲが普通でない世の中であってよかった。
え!君に髷を結う髪があるのかって?
大丈夫、今のところ僕でも結えると思いますよ。
横や後ろから引っ張って来れば。
つまり、月代(さかやき)をするあたりは、寂しくなっている(月代しやすくなっている)ということであります。
つまり、丁髷を結うには理想的(?)に近い状態と言える?
全部バリカンで短くしていますが。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
時の総理大臣の選挙区がある地元紙の1面コラム。
なかなかに気を使い、書きにくいことを察しますが、
四字熟語を上手に使い、厳しくも、期待する内容で、読ませてくれた。
とてもいい書きっぷりだと思いました。
僕にはなかなかこんなふうに仕留めれないなあ。
(2024.10.5日本海の海潮音)に、
「虚心坦懐」「鷲鳥不群」「雪中松柏」「前代未聞」「右顧左眄」「党利党略」「敵前逃亡」「論功行賞」「四面楚歌」「党内野党」「言易行難」「言行齟齬」「一口両舌」「前途多難」
全て「言行一致」させることは誰であっても難しい。
それを許されないのが首相という立場なのだ。
「全身全霊」「粉骨砕身」「臥薪嘗胆」「面目躍如」
などとありました。
注目度が上がれば、大変な量とたくさんの角度から突っ込まれること甚だしくなる。
ただ、
議員の質は、選挙民の質をそのまま反映したようなものと思っているので、
時の政権政党の総裁を決める選挙において、その政党の構成員等の考えや多様性があるならばそれも、1人に押し込めること自体が矛盾ながらも、当面もある程度そうせざるを得ない。
特に、その党内の盤石な支持がそもそもなかったような場合は、
注目度の低かったころの言動を、注目度が上がってしまってからもまったくにそのまま尖っていてはやりきれない。あなただってそうでしょお。
許されない立場だったとしても。
特に応援したこともないけれど、
20年ほど前だったか、
鳥取空港から羽田空港へ。到着後、空港ターミナルまでのバス移動(羽田ー鳥取 の便はいつでも羽田空港の端っこ扱いのため空港内の移動距離がとても長い。)で、バス内の後ろの席で隅によけてくれて、その横に座れたことがあった。
だからどうというわけでもないけれど、
コラムの最後にあった
持ち前の打たれ強さと粘り強さ というものがあるならば、
誰であっても、
言いたい人には言わせておけばいい。
それは、人というものは、行ってきた自分は恥ずかしくないそんな自信を持つその風貌に惹きつけられてくるものだと思うから。
誰であってもね。注目度が上がれば上がるほどより強くそうだとも思うよ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
加齢が原因と言われれば、あきらめるしかない?
そこがとても不満なところ。
そうじゃないでしょ。
「目の病気、少しずつ悪化」(2024.10.3日本海)では、
40歳以上の人が健康面で最も不自由を感じているのは、歯や足腰よりも目に関すること
視覚障害の原因の約6割は、緑内障と糖尿病網膜症、加齢黄斑変性が占めている。
失明など障害が起こるのは70歳以上が大半。
視覚障害の原因となる主な病気(表) の 病名 と その主な原因
緑内障 加齢・遺伝素因、糖尿病網膜症 糖尿病、変性近視 不明・遺伝素因、
加齢黄斑変性 加齢、白内障 加齢
などとありました。
冒頭にも書きましたが、
加齢が主な原因でそんな病気になると言われれば、
誰も悪くない。
本人も、医療機関も。
致し方ないねえ。症状が軽く済むように気をつけましょうね。
本当にそうなんか?
仮にそんなこと言われても、気休めだけ。
(以下は僕の素人判断)
白内障は、水晶体のやけどのようなもの。
卵の白身が過熱されて白くなることと同じようなもの。
だから、熱の近くに眼球をさらしたくない。
緑内障は、酸素などを供給してくれる房水の排水が詰まり、眼球内の視神経を圧迫する眼圧となって神経障害を起こしているもの。
だから、血液の流れをスムーズにしておいて、毛細血管でも流れるのであれば、詰まりも起こりにくい?
後は知らない病気。
ともかく、加齢で済ますのではなく、
年を重ねてこれこれの負担をかけてきたことの結果がこの症状に出てきていますので、
そんな負担をなるべくかけないようにしておいてくださいね。
そんなお言葉を、ドクターからはお聞きしたいのです。
糖尿病網膜症の糖尿だって、
そんな食生活を行ってきていることが多くの場合とても大きな主な原因。
そう思っています。
(繰り返しますが、あくまでも、私見ですので。)
血圧は上が105だったか。
そんな状態であるならば。
70歳以上で失明。そんな道はなるべくならたどりたくない。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
いいことだと思います。
だって、記載にあるとおり、同じ。Cなんでしょ。
「合成ダイヤ 市場で輝き 天然は1年で2割安に」(2024.10.4日経)では、
天然ダイヤの価格が下がり、1カラットの商品は1年で2割超下落した。
2024年は合成ダイヤがダイヤ婚約指輪市場の半分以上を占めると予測する。
化学成分や結晶構造、物理的・光学的特性が天然ダイヤと変わらず、見かけ上も区別が難しい。
価格は一般的に天然ダイヤより3~9割程度安いとされる。
天然ダイヤのような児童労働などの懸念が少ない
などとありました。
時々書かせていただいていますが、
炭素原子のありようで、ダイヤモンドだったり、鉛筆の芯だったり。
人間様は高温高圧で人工的にダイヤが生成される環境を作ることができるようになり、
その硬度からの工業的利用に収まらず、
宝飾品としても、高い評価を得るようになっているようです。
専門家でも、区別が難しいのならば、
とてもいいんじゃない。
美しいんだろうし。
もしかして、
ジュエリーから貴金属への資金の流れも出てきているのかも。
そんなことが、天然ダイヤの価格下落の一因になっているのであれば、
そのうち雪崩現象が起こってしまうかもね。
僕にとっては全く住む世界が違うし、興味もほぼないのですけれど。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
タイトル名は、
シマノさんの(自転車の)新変速システムです。
「シマノ、自転車変速機にAI」(2024.9.23日経)では、
「こんなに軽々と坂を上れるなんて。E-BIKEじゃなくてもいいと思う」
新変速システム「Q,AUTO(クォート)」はAIチップを搭載したハブ部品と変速機、11段ギアから構成する。
リチウムイオン電池を搭載しないため車体も軽くなる。
ハブ部品が車輪の駆動で発充電し、連結する変速機を動かすため、複雑な配線は必要ない。
などとありました。
電動アシスト自転車に対して、僕は否定的。
バッテリーの重さがどうにも嫌なのです。
それを支える車体もどうしても重くなるし。
時々書いている僕の自転車はスイスイ軽く動いてくれて、とても快適に使用させてもらっていますが、そのコンポーネントはシマノさんのDURA-ACE(デュラエース)。
とは言っても、クロモリ(クロームモリブデン)のフレームも含めて40年前のものを未だに使わせていただいているので、シマノさんの儲けはもはやどこかへ行ってしまっているのでしょう。勿論、アシストはありません。
そんなシマノさんが、自力で、電動アシスト自転車に対抗できるよう開発を練ってくれたのが、記載のシステム。
AIさんの力を使って、適切なタイミングで自動で変速(ギア変更)をしてくれるという。
僕のBIKEは、今どき見ないけれど、変速のレバーが前輪の後ろのフレーム(ダウンチューブ)にあり、手をハンドルからそのたびに離して変速レバーを操作する。カチカチっときっちり変速できる。これはこれで、味があっていいけれども、高速やブレーキ操作が必要な時にハンドルを片手とするのは危険を伴う。
(オートバイシクルでは旋回中などにもギアのダウンもアップもブレーキも行いますが、ハンドルから手は放しませんし。)
日常使いの自転車にクォートを搭載なされるとのことですが、
ぜひ、量産効果で、手の届く価格にしていただきたいなあ。
ん?
じゃあ、今のBIKEはどうする?
そうか。
使用できる限界までは使わせていただきたいしなあ。
でも、自転車よりも、僕の体のほうが、早く、使用の限界が来そうな気もしますが。
まあ、そのときはそのとき。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
夏などの暑さもあり、よく飲んでいます。
「伊藤園、緑茶を100カ国に」(2024.10.2日経)では、
シンガポールやインドネシア、タイなど東南アジアで、お~いお茶の飲料とリーフが『無糖ドリンク』として定着してきた。
緑茶飲料に占めるお~いお茶の割合は33.5%と国内シェア1位だ。1989年の発売以来、35年間にわたってトップの座を守り続けている。
国内の品目別生産量シェア(円グラフ) で、 茶系飲料23.7%
(その内訳は)
お~いお茶(伊藤園)33.5%、伊右衛門(サントリー)21.8%、綾鷹(コカ・コーラ)19.2%、生茶(キリン)10.6% など
(出所)飲料総研(23年)
などとありました。
伊藤園さんと聞いて、老舗なんだなあと感じていましたが、記載では創業60年とか。
それほど昔からというわけでもないのに、35年間にわたってトップを守り続けておられることに、敬意を感じます。
飲みやすさや味わいにこだわりがあるような。
内訳で列挙されたそれぞれの商品名はいずれもいただいています。
ディスカウントスーパーで、2㍑100円程度での売り出しの時に箱買いで2箱ほど。
どの品でなければならないとのこだわりはあまりないため、その時の、売り出し商品を購入。
僕においては、無糖ドリンクとして、相当飲み込んでいます。
ナノプラスチックが心配なのですが、水分摂取のための安易な方法として他に適当な代替手段が見当たらない。
記載のタイトルのとおりに緑茶の更なる国際化を牽引なされて、国際的な会社への飛躍を期待します。
ただ、そのネーミングはどうしても引っかかる。
だれが、どんな立場の人が、 お~い と言っていて、
それを聞いている人は、どんな立ち位置にいるのか。
お茶 と言われて、何をしなければならない のか と考えたときに、
国際的に批判を浴びかねないネーミングからの脱皮をなされなければとも思いますが。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
自律神経には
気持ちを高揚させる交感神経と
心身をリラックスさせて消化器官の働きを活発にする副交感神経がある。
と
「自律神経を整える」(2024.9.30日本海の歳々元気)にありました。
まったくの私見ですけれど、
本来、生物というか動物は、穏やかに暮らしておりたいものの、
どうしたって体外の危機に対応しなければならない。
だから、
基本は自らの心身の調節であり、
体外からの働きかけに対することはその次のこと。
そう思っています。
だから、
記載の交感神経と副交感神経とは、その名付けが逆だと、僕は感じている。
まず、自身の消化器官などの体内環境をバランスよく。
しかしながら、その個体の存亡にかかわるようなときはそんなこと言っておれないので、自身のことは後回しにして、体外の事象に立ち向かう。
寝ているときと起きている時だって、
基本は、寝ている時で、
起きているときということが、体に無理をさせているとき。
そんな風に思っています。
起きているときが当たり前のように、人間は思っているのかもしれませんが、
生命にとって、非常時、救急車の出動時、そんな場面に慣れきっていることが、
日常の起床からの人間活動であるとも言えるのでは。
人の活動というものは、命の働きの中ではほんの一端であると思っています。
だから、
副交感神経と人から呼ばれていることに対しては、いつも、違和感を感じながら聴いている。こちらが基本のように感じているので。
たぶん、今、膝の上で目を瞑(つぶ)っているこの猫も、そう感じていることに違いありません。
最近、よく寝ているんです。
君。寝過ぎのようにも思うよ。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」