思わず笑ってしまいましたが、
本当の「夢の」技術ならば、50年では普及しないということかな。
(2024.7.22日経の春秋)では、
そのうち「夢の」と枕詞がつくだけで胡散臭く感じるようになった。
今なら核融合がそうだろう。
実現まで「あと50年、言い続けて50年」と冗談のネタにされてきた。
できそうもないこと、何千億円という税金に見合わない計画のために夢を利用するのは間違っている。
都合のいい時だけ夢を持ちだす官僚を批判していた。
などとありました。
あと50年、言い続けて50年 ということなら、
つまり、50年経過しているけれど、ほゞ進捗できていないので、当初のとおりあと50年必要という意味?
それでは、50年前には、なぜ50年と言えたのか。
そして、今、なぜあと50年と言えるのか。
(真実に近いのは、あと100年なのか、それとも1000年なのか。)
そしてまた、核融合のごとき、常温常圧の地上に、超高温超高圧の太陽をとの、まさに夢と言っていいような技術が、人間の手で50年+50年の百年程度で実現できるのだろうか。
エネルギー問題を根本的に解決できる。
温暖化ガスの排出が理屈の上では無い。
地球全体の資源であるべき地下資源だと思っているのに、その地表をその時支配しているとされている人間たちが、自国の地下資源であるとして、資源国として、それ以外の国に対して優位な言動を行おうとする。そんなことに左右されにくくなる技術。
そんなふうに核融合は捉えられているからこそでも、「夢」がついてまわる。
まあ、日々、現実を目の当たりにせざるを得ない生活を行っている者にとっては、
寝ている時に見せてもらえるものが、夢であります。
それも、時々にしかいい夢は見せていただけない。
官僚さんを擁護するわけではないけれど、
毎年の予算をどのような理屈で正当化しようか致すのか。
それぞれ、胸のうちが苦しい時だってありますね。
勿論、素直な気持ちで、まっすぐな予算要求だってありますですが。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」