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水を汲み上げる(おもしー810)

「ひたすら水くむ苦しい仕事」(2024.9.22日本海)で、

佐渡金山では江戸時代、金をほるために、せまくて暗い穴の中で、次々にわき出る水を、ひたすらくみ上げる苦しい仕事をする人が必要でした。

「無宿人」と呼ばれた若者たちもいました。

短い間に体をこわす人も多かったようです。

地元には無宿人の墓があり、供養する行事が毎年開かれています。

「何も悪いことをしていない人が幕府の考えで佐渡に送られた。

だれもやりたがらない仕事をさせられ、ここで亡くなった。」

などと、紹介されていました。


狭くて、頭やひじや脛など当たり前のように硬い岩石にぶつけてしまい、傷を負う。

穴の中の換気も充分ではなかったと思う。炭鉱のカナリヤのような酸素の状況を知らせる仕組みもあったのだろうか。

はたして、「仕事」と言っていいことなのだろうか。

まさに、苦役。

したくてなされていたわけではないだろう。

平地だって、水は重くて、

それを、汲み上げる?

繰り返す中で、疲労困憊で、力が入らず、溢し、ひっくり返し、倒れてしまう。

なにか、記載を読んで、眼に浮かぶような、そんな悲惨な情景。

(僕の頭の中のことはまだまだ甘いのだろうけれども)


苦しみの中でお亡くなりになった方々を今も供養なされているという。

亡くなられたそんな人々より、生を永らえることができた人々も、その苦しみを共有なされていたからこそ、今に続く供養の行事がなされているのだろう。

罪深いのは、金なのか、人なのか、社会なのか。

そして、僕なのか、だれかなのか、神か仏か。

すべてなんだろうなあ。

そんなことをおもってしまいました。

「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」


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