「歴史は靴のようなもの。
日常生活はガラスだらけの浜辺。
はだしで歩くと危険で、靴が必要です。
地震や津波の歴史を知れば次の危険に備えられる」
と
「やりたいことをやろう」(2024.9.22日本海)で、
歴史家として磯田道史先生が述べてくれています。
磯田先生を嫌いな人は聞いたことがありません。
こんなところが僕はとても面白いんだというような雰囲気丸出しで熱く語ってくれるそのお姿は失礼ながらとても面白い。
そんな風に僕も語りたいものです。
さて、
日常生活はガラスだらけの浜辺。
諸々の面でそうなんだろう。
歴史だけじゃない。
今起きているそのことも尖って鋭利なガラスだらけ。
しかし、学校を終えて、若しくは、終わりにして、
社会に出ていく。
危なっかしくて。
実際の浜辺にもガラスはある。
しかし、休みなく、大波小波に摩耗され、丸くなり、ガラスなのかどうかがよくわからない石ころのようになっている。
そんな浜辺に子供のころから接してきた。
そして、そんな浜辺なら靴はかえって邪魔になる。
裸足で気持ちよく歩き走り。
ガラスが四六時中摩耗されるわけでもなく、その尖りを維持したままならとても恐ろしいこと。
余程の靴でなければそんなところは歩けない。
しっかりと、実地の学びを行わなくては。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」
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