ススキの葉はガラスの刃。
稲の葉も似たようなもの。
よく手に切り傷を負ったものです。
やわな手です。
「身を守るガラスの刃」(2024.10.20日本海のすご~い植物)に、
ススキの葉っぱのふち ノコギリの刃のようにギザギザ キラキラ光っている
これは「ガラス」なんです。
土の中には、ガラスのもととなる「ケイ素」という物質が含まれています。
ススキはこれを吸い取って、 葉っぱのふちに並べています。
などとありました。
草原を自分の足で歩く。
数千年以上前からヒトは寒暖に合わせて衣服を用いてきた。
しかし、衣服の効用は外気温と体温との差を調整するだけではなく、
地上に在るものから身を守る役割もとても大切なこと。
山歩きをしていると、樹木で頭に軽く傷を負うことがある。
僕の頭では、頭髪が薄くなっているので、特にそうなんです。
だから、そんな時のために、キャップを被ろうとする。
下半身において、頭のように全部露出させて歩くことは全くと言ってない。
いつも、なにがしかのいわゆるズボン?のようなものを身につけている。
だから、頭のように露出させているわけではないので、つまり、いつも薄い生地であったとしても守られている。
そのことをあまり意識する現代生活ではないものの、
やはり、役割は大きいと思っている。
草原を自分の足で歩く。
足を守ってくれる、股を守ってくれる、そんな自毛があるうちはどんどん突き進んでいける。
しかし、そんな防御機能を維持するよりも、それを維持するエネルギー消費よりも、より生命活動に有利と選択されてきた結果が、体毛が薄い現代人の体。
いわゆるケのあるモノではなくなっている。
(皮膚を充分に守ってくれるだけの毛という意味でのことです。)
もう、体一つだけでは、草原を自分の足で歩くことはできない。
キリ傷だらけになる。
そこらうちじゅう。
ススキや稲だけではない。
細長い葉は、だいたい自己を守るすべを身につけている。
人間が構築してきた社会での人生を歩むときに、
擦り傷、切り傷だらけになっていく、大切な血が流れていく、重い打ち身を受けることもあるだろう、落とし穴に落ち込んでしまうこともある。他人ごとばかりじゃあありません。
ガラスの刃はそんなことを気づかせてくれる痛みを伴う切り傷を与えてくれているのかもしれません。
そんなことをおもってしまいました。
「おもし=新聞記事などを読んで、おもってしまったことです。」